ビルバオ美術館:2つの美術館を融合したバスク州第2の美術館

ビルバオ美術館はバスク州で2番目の規模と人気を誇る美術館です。バスク州の2つの美術館を融合することを目的として1945年に開館しました。西欧諸国の中世から現代にかけての作品や日本の浮世絵をもコレクションに持つ、作品の種類の広さをうかがわせる美術館です。スペインの画家の作品も充実しており、多くの名画を十分に堪能できる美術館といえるでしょう。

※新館

ビルバオ美術館とは

ビルバオ美術館とは、スペインのバスク州、ドニャ・カシルダ・イトゥリサル公園内にある美術館です。バスク州の中ではビルバオ・グッゲンハイムについで2番目の規模を誇る美術館で約8000点のコレクションを所蔵しています。ビルバオ美術館はバスク州のもとよりあった2つの美術館のコレクションを一つにするために1945年に開館しました。ビルバオ美術館が開館したことにより、バスク州の美術品が一つの館に融合されました。1970年に新しい棟を増設、2001年には大規模なリニューアルを行い、現在の美術館に至ります。2008年には、「100年の歴史、10世紀の芸術」をスローガンに掲げ、設立100周年を迎えました(美術館の起源を旧ビルバオ美術館設立の1908年としています)。

美術館のコレクション

ビルバオ美術館のコレクションは12世紀から現代に至るまでの絵画、彫刻、版画など非常に広範囲に渡っています。エル・グレコ、ムリーリョ、リベーラ、スルバラン、ジェンティレスキ、ゴヤ、セザンヌ、ゴーギャン、メアリー・カサット、歌川広重の浮世絵等、ヨーロッパ諸国だけにとどまらない数々の収蔵品を抱えています。さらにフランシス・ベーコンやイグナシオ・スロアガ、彫刻家エドゥアルド・チリアガの作品などもコレクションにあり、古典的な名作に加えて現代美術も網羅しています。

では、ビルバオ美術館の名画はどのような作品であるかをご紹介します。

《ルクレティア》1534年ルーカス・クラナッハ(父)

(Public Domain /‘Lucrecia’byLucas Cranach The Elder. Image viaWIKIMEDIA COMMONS)

本作品は1534年に制作された作品で、ルネッサンス期のドイツの画家ルーカス・クラナッハによって描かれた作品です。

ルーカス・クラナッハは1472年ドイツのクローナハ出身の画家で、彼の息子もまた同名の画家であるため、区別をするために(父)(“年上の”を意味するElder)表記をつけて表します。ルネッサンス期にヴィッテンベルグに工房を持ち、ザクセン侯フリードリヒ3世の宮廷画家となっています。1520年頃より宗教改革の革命家マルティン・ルターと友人となり、その影響でルターやその家族の肖像画を多く描きました。今日伝わるルターの画の大多数はクラナッハが描いた肖像画といえます。

代表作は宗教画、神話をモチーフにしたものが多く、『アダムとイブ』、『ヴィーナス』、『三美神』、『マルティン・ルターの肖像』などです。

(Public Domain /‘Adam and Eve’byLucas Cranach The Elder. Image viaWIKIMEDIA COMMONS)
(Public Domain /‘Venus’byLucas Cranach The Elder. Image viaWIKIMEDIA COMMONS)
(Public Domain /‘The Three Graces’byLucas Cranach The Elder. Image viaWIKIMEDIA COMMONS)
(Public Domain /‘Portrait of Martin Luther‘ byLucas Cranach The Elder. Image viaWIKIMEDIA COMMONS)

クラナッハが描く女性像は非常に特徴的であり、独特の官能美を持つといわれています。無表情で切れ長の目、アンバランスなまでに長い手足、なで肩、薄く笑いを浮かべる唇などです。それらの特徴が、他のルネッサンスの画家が描く女性美とは違う妖艶な女性美をもたらしています。

『ルクレティア』のモデル、ルクレティアは古代ローマの伝説上の女性です。王の息子に乱暴されたルクレティアが貞淑を証明するために自らの命を断ち、彼女の死によってローマ王政が覆されるきっかけになったというエピソードです。ボッティチェリ、ティツィアーノらルネッサンスの画家をはじめ多くの画家たちが好んでこのルクレティアのモチーフを描いています。

クラナッハは非常に多くのルクレティアを描いており、その数は30点近くにも及びます。

ビルバオ美術館の『ルクレティア』は暗闇の中でルクレティアが自らに短剣を突き付け、自害する瞬間を描いています。しかし、彼女のその眼は死への旅立ちを夢見ているかのように穏やかで静かです。赤いマント、ドレープのあるベール、短剣が演出された配置で描かれており、ルクレティアの腕や指の曲線を美しく引き立てています。

『ルクレティア』はクラナッハの描く独特な女性美、官能美を堪能できる作品であり、一見の価値があるといえます。

《受胎告知》1596年-1600年エル・グレコ

(Public Domain /‘Annunciation’byEl Greco. Image viaWIKIMEDIA COMMONS)

本作品は1596年から1600年にかけて制作された作品で、スペインの巨匠エル・グレコによって描かれた作品です。

エル・グレコはギリシャのクレタ島出身の画家で本名はドメニコス・テオトコプーロスです。
エル・グレコとは“ギリシャ人(男性)”という意味で、エル・グレコはスペインに来る前イタリアに滞在していたためイタリア語のギリシャ人を意味する「グレコ」と呼ばれ、それにスペイン語の男性定冠詞エルがつき、通称“エル・グレコ”と呼ばれました。
マニエリスムを独自の解釈で追求し、独特のスタイルで優れた宗教画を多く描いています。

エル・グレコは故郷のクレタ島の首都、カンディアでビザンティン美術を継承するイコンの画家として独立しました。
イコン制作のかたわら、独学でイタリア絵画を学んでいたエル・グレコはイタリアのヴェネツィアに渡り、ルネッサンスのヴェネツィア派ティツィアーノ・ヴェチェッリオに弟子入りします。ここで色彩学や遠近法、油彩画などヴェネツィア・ルネッサンス方式の絵画を学んでいきます。
当時のイタリアの絵画の本場はローマであったため、彼もヴェネツィアからローマへと移り、勉強のためにパドヴァ、ヴェローナ、フィレンツェとイタリア各地を転々としました。

1577年エル・グレコはスペインのエル・エスコリアル修道院の装飾芸術に強く惹かれ、スペインのマドリードへ移ります。そしてマドリードから文化都市トレドへと移住し、次々と作品を制作していきます。サント・ドミンゴ・エル・アンティーグォ修道院の祭壇衝立は全てエル・グレコが手掛け、また彼自身もこの修道院の地下に埋葬されました。1614年エル・グレコは72歳、グレコでその生涯を閉じています。

『受胎告知』は新約聖書の中の一節で、聖母マリアが大天使ガブリエルから精霊によるキリストの受胎を告げられ、祝福される場面を説いています。レオナルド・ダ・ヴィンチをはじめ、多くの画家達が「受胎告知」を描いており、エル・グレコにとっても非常に重要なモチーフでした。エル・グレコは多くのスタイルの『受胎告知』を描いており、ビルバオ美術館の『受胎告知』はドーニャ・マリア・デ・アラゴン学院の祭壇画のために描かれたものです。

この「受胎告知」の、“驚きで立ち上がっている聖母”は類を見ない斬新な構図となっており、この試みによって大天使の出現の神々しさと一瞬の緊張感を強調して感じさせます。また、光線の中を舞い降りる鳩(精霊)、上空に描かれた天使の楽隊の豊かな色彩と暗色の背景との対比の鮮やかさが、観る人を荘厳な空気に引き込みます。すべてが劇的であり、エル・グレコの描く『受胎告知』の中において最も美しい作品であるといえるのではないでしょうか。

《マルティン・サパテールの肖像》1797年フランシスコ・デ・ゴヤ

(Public Domain /‘Portrait of Martín Zapater’byFrancisco José de Goya. Image viaWIKIMEDIA COMMONS)

本作品は1797年に制作された作品で、スペイン最大の画家、フランシスコ・デ・ゴヤによって描かれた作品です(デ・ゴヤは父方による第一姓、イ・ルシナンテスは母方による第二姓)。

ゴヤは鋭い観察眼を持ち、多くの肖像画を描いたスペインの宮廷画家です。また版画家でもあり、版画集「戦争の惨禍」も作成しています。40歳を過ぎ、病気で聴覚を失ってからは幻想的な想像画や政治批判を訴える風刺画など、より芸術性が高い作品を制作するようになります。

代表作は『カルロス4世の家族』、『裸のマハ』『着衣のマハ』、政治色の強い『マドリード、1808年5月3日」(別名「プリンシペ・ピオの丘での虐殺」)など、いずれもゴヤが聴力を失ってからの作品です。

(Public Domain /‘Charles IV of Spain and His Family’byFrancisco José de Goya. Image viaWIKIMEDIA COMMONS)
(Public Domain /‘The Nude Maja’byFrancisco José de Goya. Image viaWIKIMEDIA COMMONS)
(Public Domain /‘The Clothed Maja’byFrancisco José de Goya. Image viaWIKIMEDIA COMMONS)

1746年、ゴヤはスペインのサラゴサに近いフェンデトードスの彫金師の家に生まれました。地元のサラゴサで14才から約4年間画家の修業を積んだのち、イタリアのローマに渡ってフレスコ画を学んでいます。1773年にスペイン、マドリードの宮廷画家のフランシスコ・バイユーの妹と結婚し、義兄であるバイユーの助力で宮廷のタペストリー工場の下絵描きに就任します。
タペストリー工場での功績を認められたゴヤはカルロス3世付きの画家に、その後、新王カルロス4世の宮廷画家に就任します。1799年には主席王室画家となり、宮廷画家として不動の地位を築いていきます。しかし1800年代に入り、ナポレオンのスペイン侵攻からスペインは激動の時代に突入します。
社会情勢の不穏さと病のため、ゴヤの精神は徐々に崩壊していき、後に『黒い絵』と呼ばれる不気味な作品を自らの別荘の壁に描き続けるようになります。
1824年、自由主義者であったゴヤは弾圧を受けフランスのボルドーへと亡命しました。そして1828年、故郷に帰れぬままゴヤはその生涯を閉じました。

『マルティン・サパテールの肖像』はゴヤの友人マルティン・サパテールを描いた作品です。サパテールはゴヤのサラゴサからの親友で、商人であり、啓蒙主義者であり、サン・フェルナンド王立アカデミーのメンバーでもありました。ゴヤとは手紙のやり取りを頻繁にかわしていた親しい友人の一人でした。ゴヤは鋭い観察眼により、健康的な面持ちのサパテールの内面までも感じさせる肖像画を描いています。顔、特にサパテールの高く存在感のある鼻を中心に描き、その表情豊かで開放的な性格を表現しました。
この一枚はゴヤがマドリードで宮廷画家として活躍していた時の作品で、その偉大な肖像画家としてのスケールを十二分に感じることができます。

おわりに

ビルバオ美術館はスペインの画家をはじめ西欧諸国の中世から現代にかけての名作を楽しむことが出来る美術館です。美しい公園の中にたたずむこの美術館で美の世界を満喫できることでしょう。スペインを訪れる機会があれば、ぜひ足を延ばしてみてはいかがでしょうか。

※本記事はコロナウイルス感染拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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