オルレアン美術館:ジャンヌ・ダルクに最もゆかりの深い美術館

オルレアン美術館は、フランスのオルレアンにある美術館です。1797年に創設され、何度かの移転を経て1984年、現在の場所に建てられました。15世紀中頃に奇跡の活躍を果たしたジャンヌ・ダルクにまつわる多くの作品をはじめ、イタリア、オランダ、スペインなどの古典絵画や17世紀~18世紀のフランス絵画を中心とした作品を展示しています。

オルレアン美術館とは

オルレアン美術館はフランスのオルレアンにある美術館です。サント・クロワ大聖堂やグロロ邸の近くに位置し、フランス革命に際して1797年に創設されました。その後、時代の流れとともに何度かの移転を繰り返し、1984年に再構成を経て現在の場所に建てられています。百年戦争の舞台としても有名なオルレアンの町に建つこの美術館には、フランス軍の先頭に立ちイギリス軍と戦ったことで知られるジャンヌ・ダルクの奇跡の勝利を物語る多くの所蔵品が残されています。

また、美術館には約1万点のデッサンや約5万点の版画などがコレクションされており、18世紀頃に活躍した芸術家の作品を中心とした豊富なパステル画は、ルーブル美術館に次ぐほどの規模であるといわれています。

オルレアン美術館の所蔵品

オルレアン美術館は15世紀~20世紀の芸術品を網羅し、コレッジョ、ベラスケス、ドラクロワ、ゴーギャンなどによる約2000点の絵画、約700点の彫刻、1200点以上の装飾美術品、1万点のデッサン、5万点の版画がコレクションされています。ル・ナン兄弟による17世紀の農民の生活を描いた作品や、ミレー、シャルダンなど18世紀に活躍した芸術家たちによるパステル画作品も展示されています。特に、オルレアンならではといえる、ジャンヌ・ダルクをテーマとした作品が大半を占めています。

そんなオルレアン美術館のコレクションには、どのような作品が含まれているのでしょうか。主要な作品をご紹介します。


《オルレアンに入るジャンヌ・ダルク》1887年ジャン=ジャック・シェラー

(Public Domain /‘Entrée de Jeanne d’Arc à Orléans’byJean-Jacques Scherrer. Image viaWIKIMEDIA COMMONS)

本作品は1887年、フランスの画家ジャン=ジャック・シェラーにより制作された作品で、イギリス軍に勝利し、オルレアンに入城するジャンヌ・ダルクの様子が描かれています。

ジャンヌ・ダルクは1412年頃、フランス東部にあるドンレミという町(現在のロレーヌ地方)に裕福な農家の娘として生まれました。当時、イギリスとフランスの間では百年戦争が続いていました。フランスがイギリスに王位を奪われそうになるなど人々の希望が失われつつある中、命がけでフランスの平和を取り戻したのがジャンヌでした。

ジャンヌは12歳頃に、「イギリス軍からオルレアンを解放しシャルル7世を王位に就かしめよ。」という「神の声」を聞いたといわれています。ジャンヌは17歳になると祖国を救うための旅に出ます。オルレアン西方のシノンで群衆に紛れたシャルル7世を見つけ出し、ランスで戴冠式(正式なフランス王として神に認められるための儀式)を執り行うため、自分が神に遣わされた身であることを王に認めさせました。ジャンヌは1429年、イギリス軍によって包囲されていたオルレアンを奪回し、イギリス軍を撤退させることに成功します。ジャンヌの率いるフランス軍はその後も奇跡的な勝利を重ねていき、ついに王を連れてランスで戴冠式を執り行い、シャルル7世が正式なフランスの王となったのです。

ところが、オルレアンの解放から1年経った1430年にジャンヌは異端審問にかけられ、その翌年の1431年、ルーアンで当時の極刑にあたる火あぶりの刑に処されてしまいます。ジャンヌはわずか19歳の若さで悲劇の最後を遂げました。しかし、フランス国や王を救ったジャンヌを崇める多くの声が止むことはなく、1455年頃に復権裁判が行われました。そして1920年には法王庁により正式な聖女として認められました。ジャンヌ・ダルクはフランスを救った「オルレアンの乙女」として、現在でも語り継がれています。

本作品はイギリス軍に勝利を収め、オルレアンの解放を果たしたジャンヌ・ダルクがオルレアンに帰還し、歓喜に満ちた街の人々に迎えられる様子が描かれています。ジャンヌに率いられ共に戦った兵士たちも、ジャンヌの勇敢な行動と共に士気を向上させていったとされています。オルレアンではジャンヌを称える祭りが今も絶えることなく行われています。

出典

《聖母子と聖ヨゼフ、聖ヨハネ》1518 -1519年頃アントニオ・アッレグリ・ダ・コレッジョ

(Public Domain /‘Holy Family with the Infant Saint John the Baptist’byAntonio da Correggio. Image viaWIKIMEDIA COMMONS)

本作品は1518 -1519年頃に制作された作品で、イタリアの画家アントニオ・アッレグリ・ダ・コレッジョによって描かれています。

アントニオ・アッレグリ・ダ・コレッジョは1489年頃、北イタリアのコレッジョという町で生まれました。本名はアントニオ・アッレグリですが、生地のコレッジョという町の名前にちなんで先の名前で呼ばれていました。パルマを中心にルネッサンス期、マニエリスム期に活躍し、1534年に激しい熱に侵され命を落とすまで、家族のために苦労を重ねながら働いたといわれています。

コレッジョは多くの古典的作品を研究していました。1506年頃に移り住んだマントヴァではマンテーニャの画風に影響を受け、1519年頃にはパルマに移り、サン・パオロ尼僧院やサン・ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ聖堂の天井画などを手掛けています。その後も、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエロなどのルネッサンスの巨匠たちや、ジョルジョーネ、ティツィアーノなどのヴェネツィア派など、複数の絵画様式に影響を受けています。コレッジョは後のバロック絵画に通じる作品も多く残しており、大きな影響力を持っていた画家でした。

本作品では、聖母マリアとその子イエスキリスト、聖ヨゼフ、聖ヨハネが描かれており、対比的な明暗から生まれる光の効果があたたかく表現されています。輪郭をぼかしたリアルな描写は、ダ・ヴィンチの技法から影響を受けていることがうかがえます。


《丸眼鏡の自画像》1773年ジャン・シメオン・シャルダン

本作品は1773年に制作された作品で、フランスの画家ジャン・シメオン・シャルダンによって描かれています。

ジャン・シメオン・シャルダンは1699年にフランスのパリで生まれました。家具職人をしていた父親のもとで育ち、1718年から歴史画を得意とするカーズの工房で絵画の仕事を始めます。1720年にはコアペルに師事しながら、静物画を描く際の助手をつとめていたといわれています。

シャルダンは、1728年に「赤エイ」の静物画で王立絵画彫刻アカデミーに認められ正会員となり、後にフォンテーヌブロー宮殿の修復作業に参加するなどしています。食材や食器類などの静物画作品が増えてきたのは1730年頃からで、1731年からサロン・ド・パリに出品するようになっていきます。1733年頃から風俗画(庶民の日常生活の様々な面を描いた作品)を多く描くようになり、「食前の祈り」や「働き者の母」は特に有名な作品となりました。シャルダンは当時の風俗画家としては異例ともいえる名誉を受け、1757年にルーヴル宮殿でアトリエを兼ねた住居を授かり、国内外の王侯貴族からも多くの注文がありました。

本作品では、シャルダン自身のトレードマークであった丸眼鏡が特徴的で、帽子や服などがパステル画により色鮮やかに表現されています。シャルダンの写実表現は17世紀のオランダ絵画の影響がみられ、それに加えて、光と影の描写や造形感覚などが際立った近代性を示すため、後に発展する印象派を予感させるものがありました。シャルダンは晩年、視力を失い始めたことで、色や質感などを最高な状態に近づけられるパステル画へと転向し、称賛を受けています。

おわりに

オルレアン美術館は、パリから南西方面に電車で約1時間の距離に位置するオルレアンという町にあります。オルレアンでは中世の美しい街並みが今も残り、フランスの救世主ジャンヌ・ダルクにゆかりが深く、その足取りをたどることができます。フランスを訪れる機会があれば、ぜひ足を延ばしてみてはいかがでしょうか。

※本記事はコロナウイルス感染拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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