マルモッタン・モネ美術館

マルモッタン・モネ美術館は、パリ16区の住宅街にある美術館で、1934年に開館しました。ナポレオン時代の絵画や美術品などを中心に、多数の印象派作品が展示されています。中でもクロード・モネの作品数は世界最大であるといわれ、最も貴重とされる作品が所蔵されていることでも有名です。そんなマルモッタン・モネ美術館の歴史と所蔵品について詳しく解説していきます。

■マルモッタン・モネ美術館とは

マルモッタン・モネ美術館は、パリ16区の閑静な高級住宅街にある美術館です。建物は19世紀末、ヴァルミー公爵という人物が狩猟用の別荘として建築したものを、フランス北部の裕福な実業家ジュール・マルモッタンが購入し、後に受けついだ息子のポールが邸宅に造り替えました。ポールによって多くの美術品がコレクションされていました、ポールの死後はフランス美術アカデミーへ寄贈され、マルモッタン美術館として一般公開されるようになりました。

後にクロード・モネの次男によりモネの数多くの作品が遺贈され、モネコレクションが世界最大となったことにより、名前に「モネ」が追加され、マルモッタン・モネ美術館となりました。その後も多くの作品が寄贈されたことで、モネと同じ時代の印象派による豊かなコレクションが観賞できるようになりました。

■マルモッタン・モネ美術館の所蔵品

マルモッタン・モネ美術館には、ナポレオンの執政政府時代および第一帝政時代に、ナポレオンやその家族のために作られた絵画や美術品、調度品などが多くコレクションされています。建物が邸宅として造られているため、これらのコレクションが豪華な内装と調和するように飾られていることも特徴的です。連作された「睡蓮」などの有名な絵画を含め、多くの作品を観賞できるモネの常設展がある他、マネ、ルノワール、カイユボット、モリゾ、ピサロ、シスレーなどの印象派画家による作品が充実しています。

そんなマルモッタン・モネ美術館のコレクションには、どのような作品が含まれているのでしょうか。主要な作品をご紹介します。

・《印象―日の出》1873年クロード・モネ

(Public Domain /‘Impression soleil levan’byClaude Monet. Image viaWIKIMEDIA COMMONS)

本作品は1873年に制作された作品で、印象派の創設者でもある画家クロード・モネによって描かれた作品です。

クロード・モネは、1840年にフランスのパリで生まれました。父親は食料品商を営み、モネが画家を目指すことには反対していました。しかし絵画への情熱は捨てきれず、モネはル・アーヴル美術学校へと入学することになりますが、1857年に母親が亡くなったことにより退学してしまいます。しかし、モネは叔母の援助を受け、再び画家の道を進んでいきます。後にモネはフランスの風景画家ウジェーヌ・ブーダンと出会い油絵を学び、1859年にはパリのアカデミー・シュイスに入学します。

後に、モネはシャルル・グレイルの画塾に入り、ルノワール、シスレーなどとの出会いをきっかけに「印象派」といわれる表現を生み出しました。モネは1865年のサロン・ド・パリに出品し知名度を上げ、その中の作品のモデルであったカミーユ・ドンシャーと後に結婚することになりました。普仏戦争が終わったころ、モネはルノワール、ピサロ、シスレーらと展覧会を行い、印象派の由来とされる「印象―日の出」を発表します。その後は、妻カミーユを結核で亡くし、印象派グループが解散するなどの不幸が続きますが、アリスという新たな伴侶や子供に恵まれてからは、画商であるポール・デュラン=リュエルの支援により画家としての安定した生活を送ります。1926年、モネは胃がんにより86歳でその人生を閉じています。

本作品は1874年に開催された第一回印象派展において展示された油絵作品で、モネの故郷フランス北西部にあるル・アーブルの港の風景を描いています。港をテーマにしたモネの作品の中でも最も知名度の高いものであり、これにより「印象派」という呼び方が世に知れ渡ることになりました。

・《読書するクロード・モネ》1872年ピエール=オーギュスト・ルノワール

(Public Domain /‘Monet that reads Monet that reads’byPierre-Auguste Renoir . Image viaWIKIMEDIA COMMONS)

本作品は1872年に制作された作品で、印象派を代表する画家ピエール=オーギュスト・ルノワールによって描かれた作品です。

ピエール=オーギュスト・ルノワールは1841年フランスのリモージュで生まれました。父親は仕立屋を営み、母親はお針子をしていました。幼少の頃は歌の才能を評価されていましたが、貧しかったため音楽を学ぶことができず、磁器工場で働くことになります。働きながらも芸術的な才能のあったルノワールは、ルーヴル美術館に通いながらルーベンスなどの宮廷絵画を研究し始めます。1861年にはシャルル・グレールの画塾に登録し、翌年には、パリ国立高等美術学校に入学して絵画を学ぶことになります。

その後もルノワールは様々な画家たちの影響を受けながら絵画作品を制作し、サロンでの入選と落選を繰り返しながらもその名を知られるようになっていきます。普仏戦争後には、モネやシスレーらも参加する印象派展に出品し、全体的に酷評が多かった中でルノワールの作品は比較的評価が高いものでした。1890年には、お針子をしていたアリーヌ・シャリゴと結婚し家庭を築いたことで、ルノワールは家族の日常的な風景をテーマに多くの作品を残しています。その後、リウマチ性関節炎を患い思うように絵が描けなくなりましたが、1919年78歳でこの世を去るまで作品を描き続けました。

本作品は、丸い帽子を被ったクロード・モネが椅子に座り、パイプを吸いながらレヴェヌマン紙を読んでいる様子を描いたものです。シャルル・グレールの画塾でモネと知り合ったルノワールは、何年もの間友人として共に制作に励みました。イル=ド=フランス地方のモネ宅に滞在した際に本作品を制作しており、モネの休憩中に見せる穏やかな表情が、肌の明るいタッチで表現されています。

・《舞踏会にて(扇を持つ女性)》1875年ベルト・モリゾ

(Public Domain /‘Jeune fille au bal’byBerthe Morisot. Image viaWIKIMEDIA COMMONS)

本作品は1875年に制作された作品で、印象派の画家ベルト・モリゾによって描かれた作品です。

ベルト・モリゾは1841年フランスのブルージュで生まれました。父親はブールジュの市長で、母親はロココ美術の巨匠フラゴナールの遠縁にあたります。上流家庭で育ったモリゾは幼少期から姉とともに絵画を学びますが、後に画才を見込まれたモリゾはカミーユ・コローのもとで絵を勉強し、当時女性としては珍しい戸外での制作活動も始めていきます。1864年にサロン・ド・パリで初入選し、1874年に印象派展へ参加するまでの間、サロンで定期的に参加したことにより、人々から好意的な評価を受けていました。

ルーヴル美術館で模写を行っているとき、モリゾはサロン画家の紹介によりエドゥアール・マネと出会います。彼女はマネの絵のモデルを務めるのと同時に、自身の絵画にもマネから多大な影響を受けました。そして、後の印象派といわれるモネ、ルノワール、ピサロなどの画家たちと出会い、交友を重ねていくことで、独自の絵画様式も確立していきます。1874年にモリゾはマネの弟、ウジェーヌ・マネと結婚し、娘も産まれました。結婚後も印象派展に参加するなど作品制作に励み、1895年に肺炎で死去しました。

本作品では、当時の女性が最も華やかに活動できる場とされた舞踏会へ出かける前、または帰宅後の女性の姿が描かれています。舞踏会の会場の雰囲気などを主に表現していた印象派の男性画家たちに対し、モリゾは、流行が反映されやすい女性の衣服の色合いや質感を中心に表現しています。当時は珍しかった女性画家特有の視点で捉えられた魅力的な作品です。

■おわりに

マルモッタン・モネ美術館はモネの作品を中心とした印象派のコレクションが充実し、世界中から多くの人々が訪れています。観光地から少し離れているため、落ち着いて観賞することができる美術館です。パリを訪れる機会があれば、ぜひ足を延ばしてみてはいかがでしょうか。

Official Website

※本記事はコロナウイルス感染症拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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