リヨン美術館:幅広い美術史を誇り、「小さなルーヴル」と呼ばれる美術館

リヨン美術館はフランス南東部のリヨンにある美術館で、1803年に開館しました。フランスおよびヨーロッパでも大きな規模を誇るこの美術館では、古代文明の芸術品から現代美術までの多様なコレクションを鑑賞することができ、「小さなルーヴル」とも呼ばれています。また、リヨンの歴史の中で生み出されたリヨン派の画家たちによる作品も多く所蔵されています。そんなリヨン美術館の歴史と所蔵品について詳しく解説していきます。

■リヨン美術館とは

リヨン美術館は、フランス南東部のリヨンにある美術館です。リヨンは、絹織物の産地としても有名な都市で、ローマ帝国属州の首都として繁栄していました。ローヌ川とソーヌ川の間にあるリヨン中心街に建てられた美術館は、フランスおよびヨーロッパにおいて最大規模を誇る美術館の一つです。建物はフランス革命以前、ダム・ド・サン・ピエール王立大修道院として使われていましたが、1801年に国内15の都市に絵画コレクションを設けるというジャン=アントワーヌ・シャプタルの政令が施行され、建物内に美術館が設けられました。その後、1803年に一般公開され、1814年に開館へと至っています。1830年頃からは規模の拡張とコレクションの収集が活発に行われ、美術史を幅広く見渡せるようになっていきました。1914年には自然史博物館が分離、1921年になるとリヨンの歴史に関する作品はガダーニュ博物館へ移され、1935年には併設されていた美術学校が分離されています。

■リヨン美術館の所蔵品

リヨン美術館には70の展示室があり、古代エジプト、古代ギリシアにおける美術品や、新古典主義、ロマン主義の芸術家たちによる彫刻、ゴシック様式の絵画、19世紀までのイタリアやフランス、オランダ、フランドルの作品といった幅広いコレクションを鑑賞できます。また、リヨンの歴史と結びついた傑作絵画を生み出したリヨン派の芸術家たちによる作品も多く所蔵されており、美術館の庭園ではオーギュスト・ロダンによる貴重なブロンズ彫刻をはじめとした、多数の彫刻を見ることもできます。

そんなリヨン美術館のコレクションには、どのような作品が含まれているのでしょうか。主要な作品をご紹介します。

・《キリストの昇天》1495~1498年ペルジーノ

(Public Domain /‘Ascension of Christ’byPerugino. Image viaWIKIMEDIA COMMONS)

本作品は1495~1498年に制作された作品で、ルネッサンス期のイタリアにおけるウンブリア派を代表する画家ペルジーノによって描かれた祭壇画です。

ペルジーノは1448年頃にイタリアのペルージャで生まれました。本名はピエトロ・ヴァンヌッチですが、ペルージャ人にちなんでペルジーノと呼ばれています。ペルージャの工房で絵画を学び始めたペルジーノは、後にダ・ヴィンチなどの画家と共に、フィレンツェの芸術家であるヴェロッキオの工房で油絵を習得したといわれています。ペルジーノは1490年から1500年頃にかけて画家として絶大な人気を受け、「ピエタ」や「聖母子と聖人」および、フィレンツェ修道院の十字架のフレスコ画など、最も優れているとされる作品を生み出しています。また、ボッティチェリやギルランダイオなどの画家とともにバチカン、システィーナ礼拝堂の壁画制作を担当したことが実績となり、イタリア国内で「神のごとき画家」として多くの賞賛を受けました。

本作品は、1495年にペルージュ街のベネディクト派から依頼を受けた教会の主祭壇の祭壇画で、約3年がかりで制作されました。15のパーツから構成されている絵画の中で、現在でも残されているのは、この美術館にあるキリストの昇天を描いた中央部分と半円形の部分のみです。ペルジーノはこの祭壇画により、絵画の古典的スタイルを確立していきました。

・《東方三博士の礼拝》1617-1618年頃ピーテル・パウル・ルーベンス

(Public Domain /‘Adoration of the Magi’byPeter Paul Rubens. Image viaWIKIMEDIA COMMONS)

本作品は1617-1618年頃に、バロック期を代表するフランドルの画家ピーテル・パウル・ルーベンスによって描かれました。

ピーテル・パウル・ルーベンスは1577年、ドイツのジーゲンで生まれました。ルーベンスは、アントウェルペンでカトリック教徒として育てられており、描かれてきた作品からも宗教から強い影響を受けていることがうかがえます。ルーベンスは後に、対抗宗教改革(カトリックの改革運動)の影響を受けた絵画様式の主導者にもなっています。

ルーベンスは、13歳頃から芸術的な才能を見込まれ、フェルハーヒト、アダム・ファン・ノールト、ファン・フェーンという画家たちの弟子として絵画を学びながら修業時代を過ごしました。1600年からはイタリアで様々な芸術家の作品を目にし、絵画様式を研究していきます。最初に訪れたヴェネツィアではティッツァーノ、ヴェロネーゼ、ティントレットなどから豊かな色彩感覚による画面構成に影響を受けました。その後はローマを訪れ、レオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロ、ラファエロ、カラヴァッジョなどによる古代ギリシア、古代ローマの芸術作品に触れたため、後の作品に影響が及ぼされました。これらのイタリアでの影響により、ルーベンスは才能をますます開花させていきました。

1608年、ルーベンスはハウスブルク家アルブレヒト大公夫妻に宮廷画家として仕えるようになり、ヤン・ブリューゲルたちとともに多くの作品を制作しています。社交性の高かったルーベンスは、イザベラ大公妃やフランスの王妃など当時の権力者たちとの交流を深めており、使節として国交のためにも尽力していました。

本作品は、キリスト教のイエス誕生の主題である「東方三博士の礼拝」をテーマにした絵画で、降誕したイエスを取り囲み、三博士たちが礼拝する場面が描かれています。幼児であるイエスが、ひざまずいて足に接吻する王の頭に優しく手を乗せている様子が特徴的です。豊かな色彩や人物構成などは、バロック様式から影響を受けていることが分かります。

・《羨望偏執狂、あるいはサルペトリエールの狂女》1819-1820年頃テオドール・ジェリコー

(Public Domain /‘La Monomane de l’envie’byThéodore Géricault. Image viaWIKIMEDIA COMMONS)

本作品は1819-1820年頃、フランスのロマン主義の画家テオドール・ジェリコーによって描かれています。

テオドール・ジェリコーは1791年、フランスのルーアンで生まれました。1808年にパリで画家カルル・ヴェルネに弟子入りして絵画を学び始め、2年後にはそこを離れて、新古典主義のピエール・ゲランの弟子になりました。その後、軍事的主題の絵画やルーヴル美術館の作品、ルーベンスなどの作風に影響を受け、1816年にイタリアに訪れてからは、ミケランジェロから大きな影響を受けるようになります。1824年に健康状態の悪化により33歳という若さでこの世を去りますが、ジェリコーの描いてきたロマン主義的な表現は、その後の同派で偉大な画家となるウジェーヌ・ドラクロワにも大きな影響を与えています。

ジェリコーの描いた絵は古典主義を基本にしていますが、もともと宗教画や神話画などを好まず、主に現実社会や人間の本質を表現することに力を入れていました。1819年頃に制作した「メデューズ号の筏」は今では有名な代表作となっていますが、出展直後には政治的な面での物議や批判を呼んだため、それが原因となってジェリコーは精神疾患を患いました。それにより、ジェリコーはサルペトリエール病院に通院しており、その病院の医師でもあった友人からの勧めで精神疾患者たちの肖像画を連作で描きました。

本作品はジェリコーが通院したサルペトリエール病院の精神疾患を持った患者を描いた肖像画の一つで、ねたみや欲深さによる「羨望偏執狂」と呼ばれた精神疾患を患う老女の姿が描かれています。青白い肌や血走った目が強調され、狂気にとりつかれて死の縁に立たされた女性の表情がするどく表現されています。美術史においてジェリコーが内省的な表現で描いたこのような作品は貴重なものであり、ジェリコーの没後100年の時を経て、重要性を評価されるようになりました。

■おわりに

Official Website

※本記事はコロナウイルス感染症拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

関連記事一覧