ロマン派美術館:19世紀ロマン派の芸術家たちが集うサロンだった美術館

ロマン派美術館は、パリ9区のヌーヴェル・アテネと呼ばれる住宅地にある美術館で、1984年に開館しました。ロマン派の画家アリ・シェフェールが住居兼アトリエとしながら、ロマン主義の芸術家たちの交流の場ともなっていた邸宅です。主にシェフェールや彼と親交の深かったジョルジュ・サンドの作品、遺品などを中心としたコレクションを鑑賞することができます。そんなロマン派美術館の歴史と所蔵品について詳しく解説していきます。

■ロマン派美術館とは

ロマン派美術館は、パリ9区のヌーヴェル・アテネと呼ばれる住宅地にある美術館です。19世紀のロマン派の画家アリ・シェフェールが1830年から1858年までの約30年間住んでいた邸宅でしたが、後に子孫によってパリ市に寄付され、パリ市所有の美術館として改装されました。シェフェールと親交のあったジョルジュ・サンドの孫娘にあたるオロールが、サンドの数多くの遺作品を寄贈しており、19世紀のロマン主義の雰囲気を強く残しています。
シェフェールは、ジョルジュ・サンド、ドラクロワ、ショパン、リスト、フロベール、ロッシーニなどといったロマン派といわれる芸術家たちをこの邸宅へ招き入れ、交流のためのサロンにしていました。ショパンはここでピアノを弾いていたともいわれています。

本館はシェフェール=ルナン館と呼ばれ、敷地内には他に2つのアトリエと小さな中庭があります。中庭には、温室スタイルでできたティールーム「サロン・ド・テ」があり、都会の喧騒からはなれ、ここでのんびりと憩うために訪れる人も少なくないようです。

■ロマン派美術館の所蔵品

ロマン派美術館では、アリ・シェフェールの作品をはじめ、当時の時代を象徴する家具や調度品、ヴィクトル・ユゴーやショパン、リストなどの作家、画家、音楽家たちの肖像画や思い出の品々が展示されています。中でも、シェフェールと親交の深かった画家ジョルジュ・サンドの絵画作品や手紙、宝飾品など、彼女をゆかりとした品々が多くコレクションされています。

そんなロマン派美術館には、どのようなコレクションが含まれているのでしょうか。主要な展示品をご紹介します。

・《ジョアンヴィル公夫人の肖像画》アリ・シェフェール

本作品は、ロマン派の画家アリ・シェフェールによって描かれた作品です。

アリ・シェフェールは、1795年にオランダのドルトレヒトで生まれました。両親ともに芸術家でしたが、父親は早くに他界しており、1811年には母親と共にパリへ移り住んでピエール=ナルシス・ゲランの工房に入ります。シェフェールがゲランの工房を出たころ、フランスではグザヴィエ・シガロン、ウジェーヌ・ドラクロワなどのロマン主義の絵画が流行していました。当時のシェフェールはロマン主義に関心を持たず、独自の「冷たい古典主義」というスタイルを発展させます。

シェフェールは、バイロンやゲーテなどの文学作品を題材とした絵を良く描いており、その後のテーマは宗教的になっていきました。また、シェフェールは多くの著名人の絵も描いており、肖像画家としても熟達していました。1822年からオルレアン家のルイ=フィリップの子どもたちに絵を教えるようになり、その後も王家の人々と密接な関係を築いていました。
シェフェールはアトリエにこもり多くの絵を描きましたが、1858年にアルジャントゥイユで亡くなり、その遺体はモンマルトル墓地に埋葬されています。

本作品は、アリ・シェフェールが絵を教えていたオルレアン家の子息の妻ジョワンヴィル公夫人の肖像画です。黒のドレスの光沢感やレース、しわなどが特に繊細に表現されています。

(出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/アリ・シェフェール)

・《ジョルジュ・サンドの肖像画》1838年オーギュスト・シャルパンティエ

(Public Domain /‘Portrait de George Sand’byAuguste Charpentier. Image viaWIKIMEDIA COMMONS)

本作品は、ジョルジュ・サンドのゆかりの品々が所蔵されたサロンに展示されている肖像画です。

フランスの作家、初期のフェミニストであるジョルジュ・サンドは1804年にフランスのパリで生まれました。本名はオーロール・デュパン、父親は軍人貴族でした。父親が早くに他界したため、幼少期はアンドル県ノアンの父方の祖母の元で暮らしました。1822年にカジミール・デュドヴァン男爵と結婚し、後に息子モーリスと娘ソランジュを生みますが、男爵とはすぐに別れ、パリに移り住むようになります。

1832年、サンドは第一作目となる小説を発表し、それからジョルジュ・サンドというペンネームを使うようになりました。「アンディアナ」という小説で成功し、注目されるようになったサンドは、男装で社交界に出ることで話題になり「男装の麗人」といわれるようになります。文壇での華々しいデビュー後、サンドは71歳でこの世を去るまでの間執筆活動を続け、60編以上におよぶ小説や劇作などを残しています。自由で自立した女性として、時代のさきがけとなる人生を送った人物といえます。

本作品が所蔵されているサロンでは、ジョルジュ・サンドが当時住んでいた部屋が再現され、サンドが愛用していた家具や絵画、宝飾品など寄贈された品々が展示されています。また、その手前の展示室には、サンドの筆跡が残る書物や髪の毛などもコレクションされています。

・《サンドの右腕とショパンの左手》

本作品は、ジョルジュ・サンドのゆかりの品々が所蔵されたサロンに展示されている石膏の手形です。ジョルジュ・サンドの右腕の隣に展示されているのは、サンドの恋人であったことでも有名な音楽家フレデリック・ショパンの左手です。

ロマン派の代表的な作曲家フレデリック・ショパンは、1810年にポーランドのワルシャワ近郊にあるジェラゾヴァ・ヴォラ村に生まれました。4歳からピアノを習い、8歳には公開演奏を行い、11歳にはワルシャワに来ていたロシア皇帝の御前で演奏を披露するなど、幼少のころから音楽の才能を発揮していました。ウィーン、パリへと移り住みながら、作曲家・ピアニストの地位を確立していきます。

ショパンは1836年、社交の場で女性作家ジョルジュ・サンドと出会い、恋に落ちます。持病の結核に苦しめられるなか、サンドと生活をともにしながら支えられ、多くの名曲を残していきます。ショパンの晩年は、病状が悪化して39歳という若さで生涯を終えることになります。

石膏の手形は、ジョルジュ・サンドとショパンの8年間の燃えるような恋を彷彿とさせるかのように寄り添う形で置かれた展示品です。ショパンが亡くなったとき、サンドの娘婿である彫刻家のクレサンジュによって、彼の顔と左手の型が取られ、デスマスク、デスハンドが制作されています。

■おわりに

ロマン派美術館は繁華街から少し離れた住宅街の一角にあり、隠れ家のように建つ小さな美術館です。美術館での鑑賞のあとには、中庭にある自然に囲まれたティーサロン(3月~10月頃)でゆっくりとお茶を楽しむこともできます。パリを訪れる機会があれば、ぜひ足を延ばしてみてはいかがでしょうか。

Official Website

※本記事はコロナウイルス感染症拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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