ゴッホ美術館:フィンセント・ファン・ゴッホの作品を所蔵する美術館

ゴッホ美術館はオランダのアムステルダムにある美術館で、1973年に創設されました。ゴッホ作品のほか、同時代の画家ポール・ゴーギャンやロートレック、そのほかゴッホに関連のある作品などを所蔵しており、ゴッホ研究においても中心的な役割に位置づけられています。そんなゴッホ美術館の歴史とコレクションについて詳しく解説していきます。

■ゴッホ美術館とは

ゴッホ美術館はオランダのアムステルダムにある美術館で、1973年に創設されました。アムステルダムはオランダ北ホラント州の基礎自治体であり、オランダの首都にあたります。13世紀にアムステル側の河口にダムが築かれ、16世紀には海運貿易の港町になったことにより、ヨーロッパでも指折りの都市へと発展していきました。また、プロテスタント文化が花開いたことにより、市民階級にとって身近な画題が求められた街でもあります。

そんなアムステルダムにあるゴッホ美術館は、ゴッホ財団およびアムステルダム市の協力によって国立美術館として開館しました。美術館のコレクションの基となったのは、ゴッホの弟であるテオドルス・ファン・ゴッホとその妻ヨハンナ・ファン・ゴッホ=ボンゲルが所有していたものです。その内訳は、ゴッホの油絵約200点、素描約500点、書簡約700点、それに加えてゴッホとテオが蒐集した浮世絵約500枚などが含まれていました。

弟夫妻が亡くなったのち、コレクションはその子どものフィンセント・ウィレム・ファン・ゴッホに相続されました。ゴッホの甥にあたるフィンセントは、伯父の作品をまとまった形で保存したいと考えます。これにオランダ政府やアムステルダム市などが協力する形で、1962年にファン・ゴッホ財団が設立されました。現在は、財団がコレクションを国立美術館に永久寄託する形で美術館の運営がなされています。

■フィンセント・ファン・ゴッホとは

生涯一切絵が売れることがなかったにもかかわらず、没後名前が冠された美術館が設立されるほどに評価されることとなったフィンセント・ファン・ゴッホとは、どのような画家だったのでしょうか。

フィンセント・ファン・ゴッホは1853年オランダ南部の北ブラバント州、ズンデルトに生まれました。父テオドルス・ファン・ゴッホはオランダ改革派の牧師、母アンナ・コーネリア・カルベントスはハーグの王室製本の屋出身でした。

1860年に村の学校に入学し、1864年にはゼーフェンベルゲンの寄宿学校に入学。しかし寄宿学校ではホームシックになってしまったため、1866年にティブルフの中学校に進学します。1869年、16歳の時には叔父に紹介してもらった美術商会社であるグーピル商会で働くようになります。1873年にはグーピル商会のロンドン支部に移り、ストックウェルに勤務することになります。

ロンドンでは下宿先の娘ユルシュラ・ロワイエに恋心を抱きますが、その恋が成就することはありませんでした。このことをきっかけに、ゴッホは宗教に関心を抱くようになっていきます。グーピル商会を退社すると寄宿学校での臨時教師を経て、アムステルダムの著名な神学者であったヨハネス・ストリッケル牧師のもとに身を寄せることになります。

ゴッホはアムステル大学の神学部への入学を希望していましたが、入学試験に失敗。その後、ブリュッセル近郊のラーケンにあるプロテスタント宣教師学校で3カ月間のコースを受講するも、挫折してしまいます。こうした状況にもかかわらずゴッホは信仰に没頭し、勝手に伝導をはじめたことによって支援を打ち切られてしまいます。

1885年に描かれた《ジャガイモを食べる人々》を発表すると、パリの画商からも徐々に関心を持たれるようになりますが、ゴッホの作品が売れることはなく、1885年11月にはハーグからアントワープに居を移します。しかし、ゴッホはアルコール中毒や梅毒を患い、美術大学の教授たちと衝突を起こすなどまたしても問題が絶えなかったため、パリに戻って後期印象派の研究に没頭します。

ゴッホはその後アルルに居を移し、ポール・ゴーギャンと共同生活をしながら作品制作を行いますが、次第に二人の関係は悪化し始め、1888年12月23日にはゴッホが自ら耳を切断する事件が発生。サン・レミの精神科に入院したものの、その後37歳という若さで生涯を閉じることになります。

■ゴッホ美術館のコレクション

ゴッホ美術館のコレクションは、ゴッホの弟であるテオとその妻ヨハンナが所蔵していたゴッホ作品が礎となっており、そのほか同時代に活躍したポール・ゴーギャン、ロートレックなどの画家たちの作品も所蔵されています。加えて、ゴッホが傾倒していた日本の浮世絵や何度も模写を行ったミレーの作品なども展示されており、ゴッホ作品やゴッホに関連する作品を所蔵する美術館としては世界有数の美術館と言えます。

ゴッホ美術館ではこうしたコレクションをもとに研究が行われており、ゴッホ作品の真贋を鑑定する活動も行われていることからもゴッホに関しては世界で最も正確であると位置づけられている美術館です。

そんなゴッホ美術館のコレクションにはどのような作品が含まれているのでしょうか。主要な作品をご紹介します。

・《ジャガイモを食べる人々》1885年フィンセント・ファン・ゴッホ

(Public Domain /‘The Potato Eaters’byVincent Van Gogh. Image viaWIKIMEDIA COMMONS)

本作品は1885年に制作された作品で、ゴッホがオランダのニューネンに滞在していた折に制作されたと考えられている作品です。ゴッホはパリに移る前、農民や職人をテーマとして作品を制作していました。これは手を汚しながら働いている人々への尊敬の念というゴッホの宗教観に基づくものであったといわれています。

中央には小さな明かりがともり、農民たちが湯気の昇るジャガイモを食べています。しかしその食卓にはジャガイモ以外のものは置かれておらず、農民たちが貧しい暮らしをしていることがわかります。

農民たちの表情には労働の疲れや日々の生活がにじんでいます。ゴッホが書簡で「ジャガイモを食べる人々がその手で土を掘ったということが伝わるように努めた」と書いているように、農民の生活と貧しさが感じ取れる表現です。

・《花咲くアーモンドの木の枝》1890年フィンセント・ファン・ゴッホ

(Public Domain /‘Almond blossom’byVincent Van Gogh. Image viaWIKIMEDIA COMMONS)

本作品は1890年に制作された作品で、ゴッホが南フランス・サン=レミ=ド=プロヴァンスの精神病院で療養していた時に描いた作品です。

1890年1月31日、テオ夫妻のもとに長男が生まれると、テオはゴッホのもとに名前はフィンセントにしようと思っているという手紙を送り、ゴッホは「言葉で表せないほどうれしい」との返事を送っています。ゴッホはその喜びのままに、青い空を背景に白い花をつけたアーモンドの木の枝を描き始め、4月29日にはテオの元に作品を贈ることとなるのです。

アーモンドは南フランスにおいて、2月でも花を咲かせる木であり、ゴッホはアーモンドを新しい生命の主張ととらえていました。そのいきいきとした様子は、甥の誕生に喜ぶゴッホの感情をそのままに表現したようです。また、木の配置や輪郭線は日本の浮世絵からの影響がみられると考えられており、ゴッホ研究においても重要な作品に位置付けられています。

■おわりに

ゴッホ美術館はゴッホの作品のほか、同時代の画家の作品やゴッホの書簡、関連する作品を所蔵しており、世界的なゴッホ研究の聖地となっています。ゴッホに関心を抱いた方は、ぜひ足を延ばしてみてはいかがでしょうか。

Official Website:https://www.vangoghmuseum.nl/ja/visitor-information-japanese

※本記事はコロナウイルス感染症拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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