国立移民史博物館:フランスの移民史をテーマに資料や作品を多数所蔵する博物館

国立移民史博物館はフランスのパリにある博物館で、2007年に開館しました。現在ではフランスの人口の10%以上を占める、移民の歴史についての貴重な資料を所蔵しており、移民や難民の問題について学ぶきっかけとなる博物館です。そんな国立移民史博物館の歴史と所蔵品について詳しく解説していきます。

■国立移民史博物館とは

国立移民博物館は2007年にパリ12区に開館した比較的新しい博物館です。
この建物は、1931年にパリで国際植民地博覧会が開かれた際に建てられたもので、博覧会の後はアフリカ・オセアニア美術館という民族資料の博物館になっていました。その美術館に所蔵されていた資料がパリ7区に誕生したケ・ブランリ美術館に移されたことでこの建物は一時閉館となりましたが、2007年に国立移民史博物館として再びオープンしました。

■国立移民史博物館の所蔵品

(Public Domain /‘Cité-Immigration4’byJi-Elle. Image viaWIKIMEDIA COMMONS)

一般的に「移民」とは、生まれた場所とは異なる国に住まいを移して暮らす人々を指しますが、フランスは移民が多く、人口の10%を超える約700万人が移民です。19世紀頃から移民を受け入れ始めたフランスは、現在では様々な地域の人々が移住し、各地域で形成された多様な文化や宗教が入り混じっています。

(Public Domain /‘Cité-Immigration3’by Ji-Elle. Image viaWIKIMEDIA COMMONS)

移民はフランスの歴史に大きな影響を与えており、国立移民史博物館には移民をテーマにした多くの資料が展示されています。移民の歴史に関わる資料はもちろん、現代作家による写真や映像資料、移民をテーマに製作された絵画や現代アートなど、移民に関する幅広い分野の展示が行われています。

そんな国立移民史博物館のコレクションには、どのようなものが含まれているのでしょうか。主要な展示をご紹介します。

・《移民の生活用品や衣類など》

国立移民史博物館には、移民が仕事や生活の中で使っていた道具や衣類など、移民の生活に欠かせない多種多様なものが展示されています。移民が持ち込んだとされる織物や洋裁道具、楽器、手紙などが移民の証言と共に展示されており、当時の生活や移民たちの声をリアルに感じることができるコーナーです。また、フランスへ移住する際に使用したスーツケースの中身や書類、移民の写真などの展示もあります。

19世紀に始まった移民の受け入れですが、多いのはポルトガルやアルジェリア、モロッコからの移民です。多くの移民を受け入れ始めた背景には、フランスの出生率の低下がありました。安い労働力を確保し、人口減少に歯止めをかけるために大量の移民を受け入れたのです。

しかし、すでに移住した人が家族を呼び寄せたり、旧植民地の解放に伴いアフリカから仕事を求めて移住したりする人が増え、受け入れを一時ストップしなければならないほど移民の数は増大することとなりました。20世紀前半まではヨーロッパ圏内からの移民がほとんどでしたが、現在ではヨーロッパ以外からの移民が過半数を占めています。

・《ピカソの写真など移民の紹介》

国立移民史博物館には、移民である有名人が紹介されているコーナーがあります。画家のパブロ・ピカソも20世紀の移民の一人で、写真や作品などが紹介されています。

(Public Domain /‘Pablo picasso’Image viaWIKIMEDIA COMMONS)

ピカソは1881年にスペインのアンダルシア地方にあるマラガで生まれました。父も画家で、ピカソは幼少時から絵の才能に恵まれます。1895年にスペインのバルセロナに移住しましたが、当時のバルセロナは治安が悪く、テロも繰り返し行われている状況でした。芸術活動に打ち込むため、ピカソはフランスのパリに移り住む決心をします。一時はバルセロナに戻りましたが、1904年にはパリに定住する道を選びました。

20歳でパリに移住したピカソは、絵画の制作に打ち込み数々の傑作を生み出しました。ピカソの作風は移り変わりが激しく、青の時代やキュビズム、シュールレアリスムなど、異なる文化や芸術家に影響を受け、時代によって違う画風の作品を発表していきました。また、ピカソは非常に多くの作品を残したことでも知られており、亡くなるまでに制作した油絵や版画などの製作数は約14万点と言われています。フランスの芸術に多大な影響を与えたピカソですが、1940年にフランスへ帰化申請した際は拒否されたとのことです。

ピカソのようにフランスに移り住んだ芸術家は多く、博物館内に展示されている移民年表には有名人の名が多く見られます。画家のシャガールや音楽家のショパンなども移民であり、その名前が年表に記されています。

・《キュリー夫人の博士論文》

本展示は、キュリー夫人の博士論文で、本人の書き込みがある貴重な資料です。

マリー・キュリー(キュリー夫人)は1867年にポーランドのワルシャワで生まれました。放射能の研究により2度のノーベル賞を受賞した物理学者で、女性初のノーベル賞受賞者としても有名です。

教師の両親のもとに生まれたマリーは、幼い頃から勉学に励み、学業で優秀な成績を修めていました。しかし当時のポーランドは女性の権利が依然認められておらず、高等教育を受けることも法律で禁じられていました。そこでマリーは1891年にポーランドを離れ、パリにあるソルボンヌ大学に入学します。大学卒業後に結婚したマリーは、夫婦で研究に没頭しました。その結果、ウランの放射現象の研究、ポロニウムとラジウムという元素の発見、放射能の発見など数多くの功績が認められ、1903年にノーベル物理学賞を受賞しました。夫が亡くなったあともマリーは研究を重ね、1911年にノーベル化学賞を受賞しています。

物理学の分野で素晴らしい功績を残したマリーは、1903年にパリ大学で博士号を取得しており、フランスでは女性発の博士号取得となりました。この博士論文もその頃に書かれたものだと推測できます。

■おわりに

国立移民史博物館はフランスの移民の歴史について貴重な資料を所蔵しており、世界中で近い将来考える必要がある移民や難民の問題について学ぶきっかけとなる博物館です。

※本記事はコロナウイルス感染症拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

関連記事一覧