ベラルド現代近代美術館:ピカソをはじめとする近現代の美術作品を所蔵する美術館

ベラルド現代近代美術館はポルトガルの首都リスボンのベレン地区にある、新しい文化の発信地として知られているCCB(ベレン文化センター)の中にあります。ピカソや若手の美術家、ポルトガル出身の美術家などの作品を所蔵しています。

■ベラルド現代近代美術館とは

ベラルド現代近代美術館はCCB(ベレン文化センター)内に2007年に開設されました。ベレン文化センターには美術館のほか劇場やギャラリーなども併設されています。
ベラルド現代近代美術館の庭園からは世界遺産として有名なジェロニモス修道院を眺めることができ、テージョ川側のテラスからも素敵な眺めを楽しむことができます。

■ベラルド現代近代美術館の所蔵品

ベラルド現代近代美術館には20世紀を代表するアーティストの作品が900点ほど所蔵されています。所蔵品の中にはピカソやサルバドール・ダリなど巨匠の絵画や、ヘンリー・ムーアの彫刻など見ごたえのある作品が揃っています。またポルトガルで活躍している若手のアーティストの作品も多く展示されており、充実したラインナップを楽しむことができます。

ベラルド現代近代美術館では常設展示に加え特別展示でも20世紀に活躍したアーティストの作品が紹介されています。展示方法もムーブメントごとに分けられており、美術に詳しくない人でも楽しめるようになっています。そんなベラルド現代近代美術館の主な所蔵品を紹介します。

≪ペイター≫1982年ジャン=ミシェル・バスキア

本作品はわずか27歳で夭逝したアメリカのアーティストであるジャン=ミシェル・バスキアが1982年に描いた作品です。

ジャン=ミシェル・バスキアは1960年アメリカのニューヨークでハイチ系アメリカ人として生まれました。母親が芸術好きであり幼いころから一緒に美術館へ行くことが多かったといいます。またバスキア自身も幼いころから絵を描くなど、芸術家としての片鱗を見せていたといいます。バスキアは11歳の頃にはフランス語とスペイン語英語を流ちょうに話すことができ、またスポーツにも秀でていました。

1968年には両親が別居、その後母親は精神病院へ入院することに。バスキアは父親とともに暮らしましたが、その後高校を中退するなど荒れた生活を送ります。17歳の時、高校を中退したことが原因で父親に家から出されたバスキアは、友人の家に居候しポストカードやTシャツを作って販売することで日々暮らしていました。

1976年からはSAMOのユニット名でストリートにグラフィックを描き始め、次第に高い評価を受けるようになります。1988年にヘロインの過剰摂取が原因で亡くなるまでのわずか10年間で3000点を超えるドローイングと1000点以上の絵画作品を製作しています。

1992年に回顧展が開催され、1996年には「バスキア」として映画化されるなど、高い評価を受けています。また多くの著名人が彼の作品を所有していることも知られています。バスキアは20世紀における重要なアメリカ人アーティストの一人です。

バスキアの《Untitled》(1982年)という絵はZOZOの元社長である前澤友作氏が123億円というアメリカ人アーティストでは最高落札価格で購入したことでも知られています。本作品はそんなバスキアが《Untitled》(1982年)と同じ1982年に描いた作品です。バスキア独特の新表現主義の特徴を見ることができます。

≪リドル≫1948年アンドレ・マッソン

本作品はシュルレアリスムの画家アンドレ・マッソンが1948年に描いた作品です。

アンドレ・マッソンは1896年にフランスで生まれました。1904年に一家でベルギーへ引っ越し、11歳からブリュッセルの王立美術学校で絵の勉強を始めます。1912年にはパリのエコール・デ・ボザールで絵画の勉強をします。パリではフレスコ画を勉強し、アカデミーの援助でイタリアやスイスで勉強することができました。

マッソンは当初、キュビスムやポスト印象派の影響を受けていましたが1923年に初の個展を開き、この個展の後マッソンはシュルレアリスムへと移行していきます。

マッソンはシュルレアリスム運動に参加し、オートマティスムのドローイング実験を始めています。オートマティスム(自動記述)とは描く内容をあらかじめ決めることなく速いスピードでいろいろなものを描いていくという手法です。マッソンは無意識的な表現をするために空腹や睡眠不足、ドラッグなどで体調不良に自らを追い込んで作品を描いていました。

第2次大戦中はナチスドイツによって退廃的芸術とされ非難されたため、アメリカへ亡命。ただアメリカでも入国審査の際、自身の絵画がポルノとみなされ破棄されることもありました。アメリカではコネティカット州ニュープレストンで暮らし、抽象表現主義の画家たちに大きな影響を与えることになります。終戦後はフランスのプロヴァンスへ移り住み、色彩豊かな風景画などを描きました。マッソンは1987年パリでその生涯の幕を閉じています。

本作品はそんなアンドレ・マッソンが第2次大戦後に製作したものです。様々な迫害を受けたマッソンは戦時下では暴力的で暗い色彩の絵を多く描いていましたが、ヨーロッパへ戻った彼の作品には変化が見られます。

終わりに

ポルトガルの新たな文化発信地にあるベラルド現代近代美術館にはピカソやダリなどの近現代美術の巨匠たちやヘンリー・ムーアの作品を楽しむことができます。またポルトガルの若手アーティストたちの活気にあふれる多くの作品が展示されおり、高品質の展示作品を所蔵しています。

※本記事はコロナウイルス感染症拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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