クイーン(Queen):伝説のロックバンドを追う

Queenは、1971年に結成されたロックバンド。『キラー・クイーン』『ボヘミアン・ラプソディ』今日に至るまでシングル・アルバムを2億枚以上販売。「世界一売れたアーティスト」として名を連ねています。

■Queenの結成

Queenの始まりは、ギター担当のブライアン・メイ。そしてドラム担当のロジャー・テイラーが在籍していたバンド「スマイル」がもととなりました。当時スマイルでリリースしたシングルが全く成功しなかったことにより、ボーカル兼ベースのメンバーが脱退することになります。

そこに、当時こちらも所属していたバンドが解散したフレディ・マーキュリーが参加。その際にフレディからバンド名を「Queen」に変更することが立案されます。当時、ほかのメンバー二人やマネージメントスタジオはこのバンド名に難色をしましましたが結局Queenに決定。このバンド名の決定に際してフレディは「堂々としていていいじゃないか、力強さもあって誰にでもどこにでも通じる」と語っていました。

その後1971年2月、それまでなかなかメンバーを固定できていなかったベーシスト担当をオーディションで選出。その結果4人目のメンバーであるジョン・ディーコンが加入を果たします。

かくして後の伝説のバンドQueenは結成されることとなったのです。

■ターニングポイントとなったシングル『Killer Queen』

1971年に結成されたQueen。しかしデビューアルバムである『Queen』が発表されたのは1973年のことになります。この当時母国イギリスでの評価はあまり芳しくなかった一方で、アメリカでは「ヘヴィメタルの次世代を担う存在」「イギリスのニューヒーロー」とまで言われるほどの好評を博していました。

こういった真逆の評価が聞かれる中で、Queen自身は「出すのが遅すぎて音楽シーンが変ってしまっていた」と、結成から2年後に発売されたアルバムに渋い評価を下すこととなります。

そんなQueenにとって大きなターニングポイントとなったのが、1974年に発売された3rdアルバムである『Sheer Heart Attack』から先行で発売されたシングル『Killer Queen』。この曲が結果的に全英で第2位まで上り詰め、彼らにとっての最初のヒットソングとなります。

当初、アルバムの中の1曲として作成されていた『Killer Queen』でしたが。曲から作るフレディ・マーキュリーが作詞から作り終えるという、普段とは違うステップを踏んだ結果、録音を終えた後に「これをシングルで出せば売れる」と確かな手ごたえを感じたメンバーたちは先行シングルという形で発売。そしてこの予感は大的中することとなります。

そしてここから、伝説のロックバンド・Queenの快進撃が始まりました。

■誰もが耳にした数々の名曲が誕生

勢いそのままに同年10月。Queenは4thアルバム『A Night at the Opera』からの先行シングルという形で『ボヘミアン・ラプソディ』を発表。当時、音楽を作る上で「ラジオに流してもらえる曲」を念頭に置くことが多かった中、このボヘミアン・ラプソディは6分間に渡る超編曲。しかしこれが英国のみならず世界中で大ヒットすることとなります。

全英シングルチャートでは9週連続1位を獲得。更にアメリカのシングル年間ランキング18位という結果を残します。このボヘミアン・ラプソディはビートルズやエルトン・ジョンなどのそうそうたる顔ぶれを抑えて「イギリスで最も売れた曲」として現在も語り継がれています。

また、現在でこそ当たり前のように作成されている「プロモーションビデオ」を世界で初めて作成したのがこのボヘミアン・ラプソディであるといわれています。

その後も『We Will Rock You』『We Are the Champions』『Bicycle Race』など、生粋のQueenファンでなかったとしてもだれでもいずれかの曲は耳にした数々の名曲が誕生。イギリスやアメリカのみならず、アジア、ヨーロッパ各地でもブームが巻き起こることとなりました。

■「フレディの声明」と早すぎる別れ

バンド活動後期には、南米に活躍の場を移すことの多かったQueenですが、異変は突然訪れました。1986年のヨーロッパ諸国のツアーを最後に、Queenの4人が揃ってステージに立つことはなくなってしまったのです。

このころから「フレディ・マーキュリーがエイズではないのか」という噂がついて回り、彼はこの話題が上るたびに強く否定を続けてきました。

1991年初頭にアルバム『Innuendo』をリリースすると、世界中のファンはこのInnuendoのミュージックビデオ内で久々にフレディ・マーキュリーの姿を目にすることとなりした。しかしそこには往年の彼の姿ではなく、やせ細った見る影もない姿が映し残されていました。

そして1991年11月23日。
フレディ・マーキュリーは自宅前で会見を開きこんな声明を残すこととなります。

私はHIVテストで陽性と診断され、AIDS患者であることが確認されました。
しかし私の身の回りの人々のプライバシーを守るため、この事実を隠しておくことが適当だと考えておりました。しかし今、世界中の友人たちとファンの皆様に真実をお伝えするべき時がきました。これからはこの恐ろしい病気に対して、私と私の医師団と世界中で同じように苦しんでいる人々と共に戦って下さい

引用(Wikipedia):クイーン_(バンド)

自身がHIVであることを公表したフレディ・マーキュリー。そしてこの翌日、11月24日免疫不全による肺炎が原因となり45歳という若さで死去。奇しくもQueen結成からちょうど20年という節目の年のことでした。

こうして、伝説のロックバンド・Queenの初期メンバーたちの歴史は、幕を下ろすこととなります。

■フレディ・マーキュリー死後も生き続けた『Queen』

透き通るような歌声に、観る者を圧倒するステージパフォーマンス。また、キャッチーでもあり意味の深い歌詞に負けないだけの緻密ながらに聞いていて飽きの来ないサウンドの数々。まさにすべてがハイレベルであったQueenの音楽は、ひとたび耳にすれば世代を超え、時代を超えて愛されるだけの理由が確かに存在するといえます。

また、フレディ・マーキュリーが多く取りざたされることの多いQueenですが、ほかのメンバーたちが居なければ彼らの音楽は作り出されることは決してなかったでしょう。

オールカスタムギターである「レッド・スペシャル」を手に、様々な音楽を作り上げてきたブライアン・メイ。

ドラムだけでなく少年時代の聖歌隊やボーカルとしても活動していた経験や実績から、高音のバックコーラス主にQueenの音楽にとって欠かせない存在となっていたロジャー・テイラー。

オリジナルメンバー最年少にして最後に加入し、演奏や作曲のみならず電子系に強く音楽機器の製作に長け、何よりその温和な性格からバンド内の衝突を幾度となく止め、諫めてきたジョン・ディーコン。

彼ら4人が揃ってはじめてQueenであることが、音楽や今も残る映像を通じて強く感じ取ることができるでしょう。

そして近年Queenの曲を知らなかった世代にも広く知れ渡るきっかけとなったのが2018年公開の伝記映画「ボヘミアン・ラプソディ」。素晴らしい楽曲の数々と、Queenというバンドの辿った半生を描いたこの作品が現代も高く評価されていることをみるに、結成から30年経ったこれからも、伝説のロックバンドは伝説であり続けることでしょう。

出典(Wikipedia):クイーン_(バンド)

※本記事はコロナウイルス感染症拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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