ジャック・ジョンソン:ハワイの波風が生んだ癒しミュージシャン

ハワイ・オアフ島ノースショア出身のシンガーソングライターで、映画監督、実業家でもあるジャック・ジョンソンをご存知だろうか。
ジャック・ジョンソンは1975年生まれで幼少期よりハワイの海でサーフィンに慣れ親しんでおり、高校生の頃にはプロサーファーとしての契約を結ぶまでになるが、サーフィン中の怪我が元でプロの道を断念、失意の中、ギターや映像制作などクリエイティブな方面にのめりこむようになる。
本記事では、ジャック・ジョンソンの世界観が確立されたデビューから現在までを簡単に紹介させて頂く。

大怪我でプロサーファーを諦めた少年ジャック・ジョンソン

ジャックはプロサーファーの父ジェフ・ジョンソンに連れられ1~2歳の頃からサーフボードに乗っており、海でサーフィンをするのが日課でした。
そして高校生の頃には世界的に有名なサーフィンの大会であるパイプライン・マスターズへ出場する程の実力の持ち主になっていました。

プロサーファーとしてクイックシルバー社と契約を結ぶまでになったのですが、17歳のある日サーフィン中に海底のサンゴ礁へ叩きつけられ前歯を折り、額を150針縫う程の大怪我をします。数ヶ月に渡る入院期間に失意と退屈を埋めるように触っていたギターにどんどんのめり込んでいくのです。
この怪我がなければ彼はプロサーファーとなり、後に生み出される名曲がなかったと考えると不思議な巡り合わせを感じます。

カリフォルニア大学で映像を学ぶ

高校を出たジャックは故郷ハワイを離れカリフォルニア大学へ入学。
地元ハワイにいた頃より、友人のサーフィンの動画を撮影し、好きな音楽をのせてVHSへ入れる編集が大好きだったという彼は、入学してから数学から映像へ変更します。
この大学時代には趣味で音楽を続けながらも映像や映画の技術を磨いていきました。

ミュージシャンとしてのデビュー前の映像制作時代

ジャックが話題になるのは、彼が大学卒業後に撮影したサーファーの短編ドキュメンタリー映像「シッカー・ザン・ウォーター」でした。

この映像の撮影の際、様々なトップサーファーを撮影する為、あらゆる場所へと赴き、共にサーファーと共に生活をし、夜にはギターを弾いて歌いました。その旅路の中で作成された自身の曲を完成した映像のBGMにすることで徐々に話題になっていったのです。

「シッカー・ザン・ウォーター」には波に乗るサーファー達の生き生きとした姿や、白い歯を見せ合って笑い合う姿、それらの淡い映像にあわせて柔らかな音楽が鳴り響いている。

ミュージシャンとして世界中から注目をされるのはまだ先の話ですが、サーファー雑誌で最優秀ビデオ賞を受賞。この時点では世界中のサーファーから注目を受けつつ、この時点で密かにBGMをコピーして演奏する人まで出てきたのです。

ミュージシャンとしての転機、2つの出会い

自身で撮影した映像や音楽が話題になっても、ジャック自身はサーフィン仲間の前や、パーティー等の限られた場所でのみ演奏を続けていたのでミュージシャンになるといった選択肢はありませんでした。
そんな彼にミュージシャンとして生きていくきっかけとも呼べる2つの大きな出会いが訪れます。

G・ラブ(ギャレット・ダットン・3世)との出会い

後に深い関係となるG・ラブ自身も「シッカー・ザン・ウォーター」の映像と音楽からジャックのことをすでに気に入っていたため、共にサーフィンにて意気投合した上で、スタジオに入るまで時間はかかりませんでした。

ジャック・ジョンソンは「シッカー・ザン・ウォーター」の映像作成中にすでに代表曲である「ロデオ・クラウンズ」の作詞・作曲を行なっており、Gラブのアルバム「フィラデルフォニック」に収録された同曲にてジャックの名前は大きく広がります。

ベン・ハーパーとの出会い

もう一つの大きな出会いはジャックのサーフィン仲間にベン・ハーパーのプロデューサーであるJ・P・プルニエがおり、すでにジャックの映像や音楽ファンの一人でした。
プルニエからベン・ハーパーに対してジョンの音楽の才能が伝えられるや、ベンからすぐにミュージシャンとしての活動を勧められ、バンドを結成するきっかけとなります。

インディーズでの初アルバムが20万枚

2000年、プルニエが新しく立ち上げたインディーズ・レーベルから初アルバム「Brushfire Fairytales」が発売されそのアルバムはインディーズにも関わらず、20万枚を売り上げ、名実共に大きく名前は知れ渡ります。

プロデューサーであるプルニエはジャックに対して多く口出しをすることはせずにシンプルなアコースティックギター、ドラム、ベースがジャックの歌声を支えるようなサウンドでレコーディングを行いました。
このアルバムは今後のジャックがオーガニック・ミュージックと呼ばれる方向性を示す大きな1枚となったといっても過言ではありません。

ジャックの世界観が世界へと広がった3枚のアルバム

インディーズアルバムにしてすでに、ミュージシャンとしての知名度が高まりつつあったジャックですが、メジャーデビューアルバムから3枚は特にジャックが飛躍した作品となっています。

1ndアルバム「Brushfire Fairytales」

2002年にジャックのメジャーレーベルでの1ndアルバム「Brushfire Fairytales」が発売。
インディーズのアルバムと同じ名前、同じ内容で改めてのレコーディングとなりました。

ほとんどの場合メジャーデビューと共に楽曲には大きく手が加えられますが、このアルバムに関して収録曲は変わらず、楽器構成も元々のもので構成され100万枚以上の売り上げとなりました。つまりインディーズで発売されたアルバムですでにジャックの世界観が確立されており、メジャーレーベルでさえもその世界観を認めていたことの証明にもなったのです。

2ndアルバム「On and On」

2003年に発売された2ndアルバム「On and On」。
1枚目がヒットした場合、2枚目はセールスを気にすることで良くも悪くもとても力が入り、そこで本来の魅力を失ってしまうアーティストは多いです。
しかしジャックは2枚目でも、肩の力を抜いてリラックスしており、バンドを構成する音も多くの音をつめこむことなく、隙間があることで安心したサウンドを届けてくれている。
ハワイで録音されたというこのアルバムはやはり太陽の光や波を感じさせてくれます。
G・ラブのアルバムへ提供された「ロデオ・クラウンズ」も収録されています。

3ndアルバム「In Between Dreams」

2005年に発売された3nd「In Between Dreams」。
このアルバムこそがジャック・ジョンソンを不動の人気ミュージシャンとして位置付けたと言っても過言ではないかもしれません。
一曲目「ベター・トゥギャザー」から身体を揺らし波の身をゆだねてしまうような感覚になります。やはり心地よいシンプルなバンドサウンドにジャックのささやくような歌もすべて合わさって波を感じます。

どこまでも広がる海の穏やかな波のような音楽

ステージに立つジャックは常に身体の力が抜けリラックスをした状態でギターを弾き、歌を歌います。
彼の音楽は波を感じさせます。
それはサーフィンをまったく経験したことがない人間でさえも波のリズムを感じさせる魔法のような音楽です。それは幼少期より波に身をゆだねていた彼だからこそのものでもあるのですが、しかしそれ以上にその他のミュージシャンと異なる点があります。

彼は家族との時間とサーフィンを優先する、いつでもミュージシャンはやめられるといった旨の発言をしています。

ジャックは音楽を作ることを第一に神経をすり減らしているわけではなく、家族との時間やサーフィンを通してこその音楽を生みだすことにより、結果的に唯一無二の自然体のミュージシャンでいられるのです。

※本記事はコロナウイルス感染症拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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