ノラ・ジョーンズ:孤独から栄光までの道すじ

ノラ・ジョーンズとは1979年生まれのアメリカ合衆国ニューヨーク州出身のピアノ弾き語りジャズ歌手。父はインドで有名なシタール奏者ラヴィ・シャンカル。両親の離婚に伴い母の故郷テキサス州グレイプバインへと引っ越し、母が収集していた大量のLPとテキサス州ならではのカントリーミュージックやソウルミュージックに触れる。
2003年、23歳の時にグラミー賞の主要部門4つを含む8つを受賞。

ノラ・ジョーンズの功績

難解なジャズをカントリーや、ブルース、ポップスなどと合わせることで、一般の人々にも聴きやすいポップソングへと昇華し歌うことで世界中の人々にジャズが受け入れられるきっかけを作ったジャズ界の立役者的存在の女性シンガーです。

今日のノラ・ジョーンズの音楽は様々な形を取り入れ続け、進化をすることによりジャズといった一つのジャンルを超えたものになっています。
この記事ではアメリカが産んだ名ピアノシンガーのノラ・ジョーンズがどのような道のりで、誰に出会い、時に苦悩し成功したのかを紹介します。

孤独な幼少時代

両親はノラがわずか3歳の時に離婚し、母親とテキサス州グレープバインに引っ越しました。兄弟はおらず、寂しさを紛らわす為に母親が収集している大量のLPレコードを聴き、LPを介して沢山のアーティスと出会いながら、5歳で教会の聖歌隊合唱団、7歳でピアノレッスンを受け始めます。

孤独を埋めるように大好きな歌を自身のピアノで表現するようになります。
またテキサス州で、盛んに演奏されているカントリーなどにも触れながら小さくも大きな音楽家としての一歩を踏み出したのです。

母のレコードを通して幼いノラが出会った音楽

音楽家の父親ラヴィ・シャンカルとは幼少期にはすでに離れて暮らしていた為、音楽的な影響はあまり受けておりません。母親が収集していた大量のLPの中で特に気に入っていた曲はビリー・ホリディの「You Go To My Head」だと度々話しています。

また16歳の誕生日に、コーヒーハウスで初ライブを行った際にもビリーホリディの「I’ll Be Seeing You」を歌ったというエピソードからも深くリスペクトをしていることは間違いありません。他にもソウルやブルースはレイ・チャールズ、カントリーには後に共演を果たしたドリー・パートンなどの影響も強く受けています。

才能が開き始めた高校時代

15歳でグレイプバインからダラスへと引っ越したノラは高校でパフォーミングとヴィジュアル・アートを履修。高校在学中の16歳の誕生日には地元のコーヒーハウスで初ライブを行い、ダウンビート学生音楽賞の最優秀オリジナル作曲賞や最優秀ジャズヴォーカリスト賞を受賞するなど音楽の才能がすでに開花しつつありました。

大学での出会い

高校卒業後は北テキサス大学に入学、ジャズ・ピアノを専攻。ラズロ(Laszlo)というバンドを結成します。このバンドではピアノを弾かず、歌だけを歌っていたことから今日のノラの歌への意識はここで芽生えたのかもしれません。
また北テキサス大学では、ノラの今後の人生を大きく変える2つの出会いがありました。

後にバンド「The Little Willies」を結成することになるリチャード・ジュリアンと、ノラを世界的に有名にした曲「Don’t Know Why」を提供したジェシー・ハリスとの出会いです。

ノラの音楽的才能を見出したリチャードの勧めで、当初は短期で1ヶ月間だけニューヨークのマンハッタン行きを決意しましたが、ニューヨークでの様々なミュージシャンから多くの刺激を受け、滞在は伸び、結果的に大学を中退することになりました。

ニューヨーク時代

1999年、この頃には様々なアーティストに影響され自身で曲を作り始め、バンドを結成しました。
ノラはピアノとボーカルを担当、メンバーにはシンガーソングライターのジェシー・ハリスや、後にノラの恋人となるベーシストのリー・アレクサンダー、ドラムスのドン・ライザーなどがいました。ニューヨークでの生活はよほどクリエイティブな時間で満たされていたのでしょう。後に彼女はこう語っています。

「音楽がわたしを引き留めたの。音楽業界はあまりにも巨大でとても刺激的。特に『ザ・リヴィング・ルーム』(The Living Room)みたいな所で凄いソングライターの曲を聴くのは楽しかったから、あらゆるものが私の能力を広げてくれるように思えて、帰る気にはなれなかったの」”

2001年に、このメンバーにて作成されたバンドのデモCD「ファースト・セッションズ」を知ったブルーノートの社長がノラのポテンシャルを見出してブルーノートとの契約が成立。

1ndアルバム「Come Away With Me」の世界的ヒットとノラの苦悩

2002年に発売されたノラの1ndアルバム「Come Away With Me」は収録曲の「Don’t Know Why」へ引っ張られる形で瞬く間に世界中で大ヒットを納めました。

突如人気が出たスターにはよくある話ではありますが、自分をとりまく環境が一気に変わってしまった場合、その急激な環境の変化で多大なストレスを受けることがあります。

こと「Don’t Know Why」に関してはプロデューサーの支持の元、デモで録音されたテイクや、別で録音されたものをつなぎ合わせて作成された音源であったことがノラに大きなストレスを起こしました。
しかし世間からみれば、主要部門4部門を含む8つのグラミー賞を総なめにした23歳の天才シンガーとなってしまったのです。

2ndアルバム「Feels Like Home」セールス的な成功を収めるも更なるノラの苦悩

2004年に発売された2ndアルバム「Feels Like Home」もセールスとして1200万枚のセールスをあげ、さらに7曲目に収録された「Creepin’ In」では憧れの歌手であったドリー・パートンともレコーディングをしたり、一曲目に収録された「Sunrise」はグラミー賞最優秀女性ポップ・ヴォーカル・パフォーマンス賞を受賞したりしました。

しかし、アルバム内の曲の殆どをバンドメンバーが作曲していたため、ノラ自身で作曲していないにも関わらずこのように人気が出てもいいのか、といった深い苦悩を抱くきっかけにもなりました。

3stアルバム「Not Too Late」

1nd、2ndと立て続けにアルバムを発表しツアーを行なったノラは約4年間もの間、自分自身の音楽を見つめる時間がありませんでした。そういった事情から所属事務所のブルーノートからも次作を急かされることはなく、ノラのペースでの締め切りのない作品作りが任されました。

やっとできた時間、ノラは旅行に行くでもなく、買い物をするでもなく、恋人でありプロデューサーでもあるリー・アレクサンダーと暮らしながら自身で作詞、作曲をしつつゆったりとしたペースで2007年1月に「Not Too Late」がリリースされました。
時間の余裕を経て作り上げた3rdアルバムは満足度が違ったと、彼女は後に語ったそうです。

映画監督からのオファー、女優デビュー

2007年3ndアルバムリリース後のノラに対してウォン・カーウァイ監督から映画「マイ・ブルーベリー・ナイツ」に初の女優、しかも主演としてのオファーがきます。

オファーをもらった時、ノラは映画音楽を作るといった立場でのオファーと思っていましたが、監督に演技を求められ少し話しただけで信頼関係が生まれ、自身でも驚く程簡単に引き受けたのです。

映画を通してパフォーマーとしての成長

映画撮影の当初は緊張していたノラだが、映画で知り合ったジュード・ロウや、ナタリーポートマンなどの役者とのふれあいを通してノラは徐々に演技に対しての自信をつけていきます。

以前はビヨンセやマドンナのように堂々としたステージをすることができなかったが、この映画以降はステージやミュージックビデオの撮影でもリラックスしてのぞむことできるようになったのです。

音楽仲間で恋人、プロデューサーとの別れ

3ndアルバム完成や女優としてデビューしたノラ。
しかし2007年12月には信頼するパートナーであるリー・アレクサンダーとノラは破局を迎えます。理由には諸説あるのですがノラはプライベートをあまり語らないスタイルで知られているため不明ですが、彼女が深く傷ついたことは間違いないでしょう。
傷心はこれより続く4nd「The Fall」、5nd「Little Broken Hearts」のアルバムのタイトルにも現れています。

原点回帰となった6ndアルバム「Day Breaks」

前作5ndからの大きな失恋を乗り越え、4年ぶり2016年にリリースされたこのアルバム。
ピアノを全面に出し落ち着いた印象が、1ndアルバムに近い雰囲気を醸しだしている。
4年という歳月は彼女を二児の母にしたことでの深み、14年というミュージシャンとしてのキャリアが滲み出るような集大成的な作品と言えます。

ノラ・ジョーンズという芸術

ノラ・ジョーンズのことを「ノラの音楽はジャズじゃない」という評論家もいます。
ノラを語る時、ジャズはもちろんのこと、根底にあるカントリーや、ブルース、ポップスが彼女を深く形成する要因だということを忘れてはいけません。

また彼女もスターである前に一人の人間として恋をし、傷つきながらも自分自身と向き合い音楽を追求し続け、その過程で様々なミュージシャンに出会いその結果がノラ・ジョーンズを作り上げました。

ノラが深く優しく、透き通るようなささやき声で歌いあげる時、ジャンルを簡単にカテゴライズすることはできない理由は、世界中の人が大絶賛した1ndアルバムから今日までの彼女の楽曲が証明してくれており、今日も「ノラ・ジョーンズ」という音楽は世界で愛され続けています。

※本記事はコロナウイルス感染症拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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