クレラー・ミュラー美術館:クレラー・ミュラー夫妻の美術コレクションの美術館

 (Public Domain /‘Helene Müller and Anton Kröller’Image via WIKIMEDIA COMMONS)

クレラー・ミュラー美術館はアントン・クレラー・ミュラーとヘレン・クレラー・ミュラー夫妻のコレクションを基礎とした美術館です。ゴッホのコレクション数が世界で2番目となっており、ゴッホの生涯を通した作品を観賞することが出来ます。また、ゴッホの他モネやスーラ、ピカソなどの美術品をコレクションとしています。美術館の周囲は箱根彫刻の森美術館のモデルになった彫刻庭園になっており、ロダンやムーアなどの彫刻の名作を楽しむことも出来ます。

■クレラー・ミュラー美術館とは

クレラー・ミュラー美術館はオランダの中央部、デ・ホーフェ・フェルウェ国立公園内のオッテルロー村に位置し、クレラー・ミュラー夫妻が収集したコレクションを基礎とした美術館です。

美術評論家のH.P.ブレマーらの指導をもとに美術品を収集し、その数は1万点にも及びました。しかし、不景気により夫の会社が傾き、美術品を手放さなければいけない状況になってしまいます。夫妻は美術館設立を条件としてオランダ政府にコレクションを寄贈し、1938年にクレラー・ミュラー美術館が開館しました。

■クレラー・ミュラー美術館のコレクション

美術館の建物はベルギーのモダンデザインの建築家アンリ・ヴァン・ヴェルデによって建築されています。美術館の周囲25万㎡は彫刻庭園となっており、ヨーロッパ最大級の彫刻庭園となっています。庭園内にはロダン、ムーア等160点もの彫刻が配置されており、日本の箱根彫刻の森美術館はこの彫刻庭園をモデルにしています。

妻のヘレン・クレラー・ミュラーはゴッホがまだ有名でない頃から彼の作品に魅了され、油彩約90点 、素描約180点、と非常に多くの作品を収集しており、この美術館ではゴッホの初期の作品から晩年に至るまで生涯を通した作品を観賞することが出来ます。

また、現代の芸術家達の素晴らしい作品が2万点にも及ぶコレクションとなっています。

そんなクレラー・ミュラー美術館のコレクションの作品の中でも主要な画家ゴッホについてご紹介します。

■ゴッホについて

ゴッホはゴーギャンと並んで後期印象派を代表する画家といわれています。後期印象派とは、印象派から影響を受け、印象派を超える絵画を目指した芸術家達を総称した名称です。“印象派以後の芸術家達”という時代的な括りの為、様式的な共通性は無く、画家それぞれの画風が特徴となっています。

ゴッホは画家としての活躍時期は10年と短いながらも、熱い情熱をもって独自の絵画を探求し、その主観的な力強い表現力はフォービスムや20世紀芸術に多大な影響を与えました。

(Public Domain /‘Self-Portrait’ by Vincent van Gogh. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

フィンセント・ファン・ゴッホは、1853年オランダのズンデルトの牧師の家に生まれました。

画廊勤務、教師、書店員と転職を繰り返し、その後伝道師を目指して挫折、1880年27歳の時に画家を志すようになります。

1886年に画商をしている弟のテオを頼ってパリに渡り、フェルナン・コルモンの画塾に通い、ここでピサロやロートレック、ゴーギャンら新進の芸術家達と出会います。

ゴッホはこれらの新しい出会いと、印象派や新印象派の芸術に触れたことから強く影響を受け、それまでの暗い色調の作品から、一変して明るい色彩の作品を描くようになっています。

                             (Public Domain /‘Portrait of Père Tanguy’ by Vincent van Gogh. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

またこの頃パリでは日本の浮世絵が流行しており、ゴッホもその影響を多分に受けています。

数多くの浮世絵の模写を行い、展示会を開催し、浮世絵を背景にいれた「タンギー爺さんの肖像」なども制作しています。

(Public Domain /‘Still Life: Vase with Twelve Sunflowers’ byVincent van Gogh. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

1888年パリ生活の疲労の静養と新しい芸術拠点の確立を目指して、南フランスのアルルに移住します。

景色の美しさに非常に感動し、「私は今までで一番幸せです。ここはどこも、何もかも全てが美しいです。空のドームは素晴らしい青色、太陽は硫黄色で優しく魅力的に輝き、まるでフェルメールの絵画の青と黄の組み合わせのようです。」と語っています。

この時期にゴッホの絵画は飛躍的に発展を遂げました。

原色の明るい色彩、強い筆使い、厚塗りによる迫力ある技法など独自の絵画を確立し、「アルルの跳ね橋」「夜のカフェテラス」「ひまわり」など名作と呼ばれる作品を次々と制作しています。

ゴッホはパリから画家仲間のゴーギャンを呼び寄せ、共同生活を送ろうと思い、「黄色い家」をアトリエとして借りました。

(Public Domain /‘The yellow house ’ by Vincent van Gogh. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

しかしこの共同生活は長くは続かず、個性が強い2人の意見はたびたび衝突し、口論を繰り返していきます。

そのような状況だった為か、ゴッホは徐々に情緒が不安定になり、1888年12月23日、自らの耳を切りおとす大事件を起こしました。

(Public Domain /‘The Starry Night’ by Vincent van Gogh. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

その後ゴッホは精神病院に入院し、入退院を繰り返し、1889年プロヴァンスのサン・レミの病院に移ります。サン・レミの病院生活において描かれた作品が「糸杉と星の見える道」、「星月夜」であり、この頃からゴッホの作品に特徴的にみられる渦巻が描かれるようになり、不安定な精神状態を表していると分析されています。

1890年、印象派のマネやルノワール達と親交があり、美術愛好家であるガシェ医師の治療を受ける為、パリ近郊のオーベル・シュル・オワーズの病院に移ります。

しかし同年7月27日にピストルで自殺をはかり、その2日後の29日に一番の理解者で支援者であった弟テオに看取られ、ゴッホはその情熱と波乱に満ちた生涯を閉じました。

■ゴッホの主な作品

・《アルルの跳ね橋》 1888年フィンセント・ファン・ゴッホ

(Public Domain /‘Die Brücke be Arles’ by Vincent van Gogh. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

本作品は1888年3月中旬頃に制作された作品です。

ゴッホはアルルに到着するとすぐに町の南にあるこの跳ね橋を様々なバージョンで描きました。

油彩、素描、水彩と何通りにも描いており、このクレラー・ミュラー美術館の作品は油彩で、躍動感ある画面構成で描かれている作品の一つです。

跳ね上げ橋と、橋を渡る途中の馬車、川で洗濯する女性達の風景、空と揺れる水面の青のコントラストが生き生きと美しく描かれています。

2年間のパリの都会生活の後、明るい空と大地の色を望んでアルルに移住したゴッホの幸福感が伝わってくる作品といえます。

・《夜のカフェテラス》 1888年 フィンセント・ファン・ゴッホ

                                         (Public Domain /‘Cafe Terrace at Night’ by Vincent van Gogh. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

本作品は1888年に制作された作品です。

この作品はアルルのフォーラム広場に面したカフェの夜の景色を描いています。

ゴッホは従来の黒や灰色を使った夜景ではなく、豊かな色彩による夜景を描きたいと考えていました。明るい日の下では絵の具の色も違って見えてしまうため、ゴッホは夜のテラスに赴き、その場の暗さとガス灯の明かりで描いています。

ゴッホはこの時の様子を妹のヴィルへ宛てた手紙で「私は、夜はその場所で描くのが途方もなく好きなのだ。」と語っています。

この作品は星々が輝く深い青の夜空、ガス灯に照らされた黄色、緑、オレンジ色のカフェテラスの風景、濃紺の夜の街並みの鮮やかな色の対比が非常に美しく描かれています。

ゴッホ自身も色の効果に満足しており、「ガス灯の豊かな黄色やオレンジ色が青を際立たせていると確信しています。」と語っています。

・《糸杉と星の見える道》 1890年 フィンセント・ファン・ゴッホ

(Public Domain /‘Saint-Rémy – Road with Cypress and Star’ by Vincent van Gogh. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

本作品は1890年に制作された作品です。

この「糸杉と星の見える道」はゴッホの死の2か月前の5月頃、プロヴァンスのサン・レミを離れる少し前に描かれており、実際の風景ではなくゴッホのプロヴァンスの思い出のイメージ画となっています。

この時期、ゴッホは非常に強く糸杉のモチーフに魅了され、弟のテオに宛てた手紙で「私は糸杉に没頭している」と語っています。

また、「私は糸杉で「ひまわり」のキャンバスで成し遂げたような“何か”偉大なことがしたい。糸杉の均整の取れた姿と線はエジプトのオベリスクのように美しく、その緑色は際立って素晴らしいです。」と糸杉の美しさを賛美しています。

(Public Domain /‘The Red Vineyard / Red Vineyard at Arles ’ by Vincent van Gogh. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

糸杉はキリストが磔刑にされたときの十字架の素材であり、死を象徴し、墓地によく植えられている木です。その為、ゴッホは自らの死を予期してこの作品を描いたと解釈されています。

ゴッホの生前に売れた作品は「赤い葡萄畑」のみとされていますが、晩年には高く評価されつつありました。ゴッホの精神的な発作の原因や自殺の理由はほとんどが不明となっています。

しかし、ゴッホが作品にかけた情熱は疑いのない真実であり、今も彼の作品は人々を魅了し続け、世界中に知られる巨匠と呼ばれる画家となっています。

■おわりに

クレラー・ミュラー美術館は、ゴッホの生涯を通した作品を観賞することが出来ます。また箱根彫刻の森美術館のモデルになった彫刻庭園があり、緑に囲まれた非常に美しい美術館となっています。

※本記事はコロナウイルス感染拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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