ゴッホ美術館:ゴッホに関する世界的権威である美術館

ゴッホ美術館は、オランダ・アムステルダムにある美術館で、1973年に開館しました。ゴッホが残した油絵や素描、水彩画などの作品だけでなく、弟テオと交わした書簡も多数所蔵・展示されていて、ゴッホ愛好家ならぜひ一度は訪れてみたいほど充実しています。今回は、ゴッホに関する世界的権威と呼ばれるほどの規模を誇る、ゴッホ美術館について、そのコレクションとともに紹介していきます。

■ゴッホ美術館とは

オランダ・アムステルダムのミュージアム広場に位置していて、近隣にはアムステルダム国立美術館やアムステルダム市立美術館などが立ち並んでいます。1973年に開館した本美術館はファン・ゴッホ財団によって管理・運営されていて、毎年200万人もの来館数を誇っています。美術館は本館と別館で構成されていて、本館ではゴッホの作品を中心とした常設展が開かれています。また、別館では、特別展やゴッホのコレクションである浮世絵が展示され、こちらも見どころ満載です。

ゴッホ美術館では、ゴッホの作品のほか、アルルのアトリエにて共同生活をしていたゴーギャンやポスト印象派のロートレック、ゴッホが手本としていたミレーの作品に、ゴッホが個人的に収集していた浮世絵などが所蔵・展示されています。コレクションのベースは弟テオドルス・ファン・ゴッホとその妻ヨハンナ・ファン・ゴッホ=ボンゲルがゴッホの死後受け継いだもので、その内訳は油絵およそ200点、素描約500点、書簡がおよそ700点だったそうです。それらは夫妻の死後にその息子であるフィンセント・ウィレム・ファン・ゴッホによって引き継がれました。

叔父であるゴッホの作品をまとまった形で保存したいと願うフィンセントは、オランダ政府やアムステルダム市の協力により、1962年にファン・ゴッホ財団を設立します。主にゴッホが描いた作品の購入や、保存のための寄付を募るといった活動を行い、今日までゴッホが残した作品の数々を保管・管理しています。

ゴッホ作品の収集のみならず、鑑定する場でもあり、過去には日本の東郷青児記念損保ジャパン日本興亜美術館が所有している『ひまわり』や、広島にあるウッドワン美術館の『農婦』の鑑定を行い、両作品を真作と認定したことがあります。また、ゴッホ作品のみならず、ゴッホ美術館では19世紀を中心に、近代アートの研究や展示が行われています。

■ゴッホ美術館の所蔵品

ゴッホ美術館では、現在およそ800点もの油絵に加え、約1,000点以上の素描に、水彩画、リトグラフ、ゴッホとテオが収集した浮世絵に加え、ゴーギャンやロートレックらの作品を多数所蔵しています。ゴッホを取り扱う美術館の中でも特に大規模であるために、いつ訪れても初めて出会うゴッホの作品があると言われています。また、ゴッホの絵画作品だけでなく、ゴッホとテオが交わした書簡などの資料も莫大な数を所有しているため、ゴッホを知るという面でも内容が充実しています。

そんなゴッホ美術館のコレクションには、どのような作品が含まれているのでしょうか。主要な作品をご紹介します。

(Public Domain /‘The yellow house ’ by Vincent van Gogh. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

・《黄色い家》 1888年 フィンセント・ファン・ゴッホ

本作品は1888年にゴッホによって描かれました。『通り』とも呼ばれるこの作品は、ゴッホがアルル滞在時に利用していた、フランス・アルルのラマルティーヌ広場2丁目の角に建てられていた家屋をモチーフにしています。画面の中央右にある、緑のシャッターや雨戸が印象的な小さな建物が、ゴッホが借り入れ、アトリエ兼住居として使っていた家です。

晴れ渡る青空に、黄色い建物が印象的な本作品は、ゴッホの新しい生活に対する希望に満ち溢れています。弟テオに「陽光で黄色になる家と背景の新鮮な青色の対比が素晴らしい」という感想を、家屋のスケッチとともに送るほど、ゴッホはアルルに対して好印象を持っていました。ゴッホはこの黄色く、小さな緑のシャッターの家の1階部分をアトリエと台所に、2階は寝室として使っていました。ゴッホはこの家屋を芸術家たちの家として、ゴーギャンをはじめとするアーティストのコロニーとして使うつもりだったそうです。

現在、この黄色い家は1944年第二次世界大戦の戦火に遭って損傷し、後に取り壊されてしまったため現存しておらず、元の場所には樹木とプラカードが残されているのみですが、土地自体は当時そのままで、ゴッホが見た景色を追体験することができます。

(Public Domain /‘Vase with Fifteen Sunflowers’ by Vincent van Gogh. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

・《ひまわり》 1889年 フィンセント・ファン・ゴッホ

本作品は、1889年にゴッホによって手掛けられた作品で、時期としてはゴッホが病院からアトリエである黄色い家に戻ってきたころに描かれています。本作品は日本の東郷青児記念損保ジャパン日本興亜美術館にある『ひまわり』を模写したものと考えられ、振動や室温などの環境変化や振動による損傷などを防ぐため、門外不出の名作として扱われています。

ゴッホは花瓶に活けられたひまわりを1888年8月から1890年1月のおよそ1年と半年の間、モチーフとして描き続けていました。ゴッホにとってひまわりとは南フランス・アルルの太陽を思わせ、明朗で快活、そして希望に満ち溢れたものに見えていたのでしょう。現に、ゴッホが『ひまわり』の連作を描いていた時期は、アルルのアトリエで画家生活を送っていた頃で、彼にとって最も充実し、希望に満ちた時代でもありました。ゴッホはその病状が悪化して病院での療養生活が始まるまで、7点ものひまわりを描き続けます。

1889年1月に描かれた本作品は、先に描いたひまわりと比べると、若干暗いトーンに仕上がっていて、描かれているひまわりにも生気を感じさせずどこか不安な雰囲気が漂います。この頃のゴッホは片耳を切り落とすなど精神状態は不安定な状態であったため、作品にもそれが反映されているのかもしれません。

(Public Domain /‘Almond blossom’ by Vincent van Gogh. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

・《花咲くアーモンドの木の枝》 1890年 フィンセント・ファン・ゴッホ

本作品は1890年、南フランスのサン=レミ=プロヴァンスにある精神病院にて療養中に、弟テオに子どもが生まれたお祝いとして描かれました。テオから手紙で「息子の名前はフィンセントにしようと思う」と伝えられたゴッホは、折り返しその吉報に対し、言葉では尽くせないほどの嬉しさに満ち溢れていると返事を送りました。

そうした希望に満ち溢れた心境で、ゴッホは新しい命が芽生えた喜びをアーモンドの木の枝を描くことで表現しました。青空に向かって活き活きと枝を伸ばし、可憐な白い花を咲かせるアーモンドの木の枝の姿は、実に柔らかく優しげな雰囲気が漂い、甥のフィンセントの出産を祝福するゴッホの真心が伝わってきます。

■おわりに

ゴッホ美術館では『ひまわり』をはじめ、ゴッホが生前残した作品を数多く保管し、世に発表しています。その展示内容の充実度は、ゴッホ愛好家はもちろんのこと、そうでない人でも満足できるほどです。また、作品の展示のみならずゴッホの作品とされているものを鑑定するなど、ゴッホに対する敬意と誠実ある姿勢で運営し続けています。今後、オランダのアムステルダムに訪れる機会がありましたら、ぜひ足を運んでみてはいかがでしょうか。

※本記事はコロナウイルス感染拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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