イスタンブール海軍博物館:オスマン海軍に関連する貴重なコレクションを展示する博物館

イスタンブール海軍博物館は、トルコ・イスタンブールにある最も有名な博物館です。オスマン海軍大臣によって設立され、オスマン海軍にまつわる重要な軍事資料を中心にコレクションしています。博物館の歴史と所蔵品について、詳しく解説していきます。

■イスタンブール海軍博物館とは

1897年、当時のオスマン海軍大臣であったボスカダール・ハサン・フスヌ・パシャによって、トルコのイスタンブール・ベシクタシュ地区に設立されました。

トルコにある博物館の中でも、海事分野としては最大級の規模を誇ります。また、トルコ海軍司令部による運営のため、トルコ初の軍事博物館としても有名です。

2008年から新しい展示ホールの建設が始まり、2013年10月に5年の歳月をかけて完成しました。地上2階、地下2階の建物は、なんと20,000㎡もの面積があります。

■イスタンブール海軍博物館の所蔵品

イスタンブール海軍博物館では、オスマン海軍に関連する軍事遺物を中心にコレクションしており、その貴重な資料は約20,000点にも及びます。

オスマン海軍の著名な司令官・将校たちの肖像画や、オスマン海軍の活躍を描いた絵画など、所蔵品のジャンルは多岐にわたっており、美術品としても大変貴重だと言えるでしょう。

そんなイスタンブール海軍博物館のコレクションには、どのような作品が含まれているのでしょうか。主要な作品をご紹介していきます。

・《艦船模型 金剛・比叡》1900年代 

1900年代に制作された模型で、日本の戦艦である「金剛」と「比叡」がモチーフとなっています。

この2隻の日本船がイスタンブール博物館で展示されている理由は、1890年の「エルトゥールル号遭難事件」まで遡ります。

※オスマン帝国海軍軍艦エルトゥールル号
(Public Domain/‘ErtugrulFirkateyn’ by Ottoman Empire. Image viaWIKIMEDIA COMMONS)

1890年9月16日夜、オスマン帝国海軍軍艦エルトゥールル号は、和歌山県沖の紀伊大島付近(現在の串本町)で台風に煽られ座礁し、直後の浸水による水蒸気爆発で600名以上もの船員が海へ投げ出されました。遭難を知った紀伊大島の人々は、総出で救助と介抱に当たり、69名の船員が生還させることに成功しました。その一方、残る約500名は死亡または行方不明という大惨事となってしまいました。

※現在の和歌山県串本町、紀伊大島海港

和歌山県から報告を受けた明治天皇の命により、日本政府は69名の生存者を軍艦「金剛」と「比叡」で送り届けることを決定します。遭難事故から約20日後の10月5日、東京の品川湾から出航した2隻は、神戸港で生存乗員を分乗させ、1891年1月2日にようやくオスマン帝国の首都・コンスタンティノープルまで送り届けました。この事件はオスマン帝国で大きく取り上げられ、日本という国が人々の記憶に強く残る出来事となりました。

※イラン・イラク戦争で、日本人を運んだ救援機と同じ塗装の「Kushimoto号」

事件から約100年後の1985年、イラン・イラク戦争でイラクから脱出不可能となっていた215名の日本人を救出するため、トルコ政府は「エルトゥールル号遭難の恩を返すために」と救援機2機を派遣します。この時、救援機はなんとトルコ人よりも日本人を優先して搭乗させていたのです。

一連のエピソードは、日本・トルコの合作映画「海難1890」でも描かれています。

本作品は、トルコ共和国と日本の友好の証として作成され、「比叡」「金剛」の名の入った木札は、日露戦争で東郷平八郎が乗艦した船のチーク材が利用されています。

・《マルタに上陸したトゥルグート・レイス(ドラガット)》制作年不明 エウヘニオ・カシェス

バロック時代のスペイン人画家、エウヘニオ・カシェスによって描かれた油彩作品です。

エウヘニオ・カシェスは、1574年頃にスペイン・マドリードで生まれました。父親がフィレンツェの肖像画家であるアレッサンドロ・アローリの弟子であったこともあり、彼は幼い頃から絵画に親しんでいました。

※スペイン・マドリードにある、ユネスコ世界遺産のエル・エスコリアル修道院

成長したカシェスは、エル・エスコリアル修道院を手掛けた大工、ファン・マンザノと知り合い、彼の娘と結婚したことが分かっています。

カシェスの画家人生の転機となったのは、フィリップ3世から装飾の依頼を受けたことでした。この仕事で「ソロモンの審判」をマドリード王室の金庫に描いたことで、1612年から宮廷画家として活躍するようになり、数多くの作品をマドリードで制作しています。

カシェスの作品で特に有名なのは、トレドにある聖母デル・サグラリオ礼拝堂で描いた作品でした。現在は失われていますが、ギリシャ神話に登場するアガメムノンをモチーフとしていたと伝えられています。

※トルコ・イスタンブールにあるドラガットの記念碑

そんなカシェスが制作した本作品では、オスマン帝国の海軍司令官だったドラガットが海軍を率いてマルタに上陸する様子が描かれています。ドラガットは当時、「軍略の天才」「地中海の生きた地図」との異名がつくほどの切れ者でしたが、その一方で「史上最強の海軍戦士」とも恐れられていました。

海からやってきたドラガットら海軍の強さは、画面上からも読み取れるほどの迫力です。陸に上がっても走り出しそうな船は、まるで迎え撃つ人々を押しつぶしてしまうかのような勢いです。傾く不安定な船の描写は、マルタの人々の恐怖心がさらに増幅しているようにも見えます。

・《オスマン帝国のカイーク》制作年不明

※トルコ・エーゲ海付近に停泊する漁船(カイーク)

カイークとは「小舟」のことで、もともとはトルコのエーゲ海付近で主に釣りを行う漁船として活躍してきました。船体は木材で構成されており、木材を保護するため、それぞれのパーツをオレンジ色の塗料で塗ります。そして、強い太陽光による劣化を避けるため、表面は白く、上部は鮮やかで目立つ色合いに仕上げられています。

また、ボスポラス海峡付近では長さが5〜6メートル、幅が1メートル程度の大きさで、主に人や物資の運搬に使用されるカイークもありました。

※オスマン帝国、スルタンと一族のために造られたカイーク

本作品は、エーゲ海やボスポラス海峡のカイークとは違い、オスマン帝国のスルタン(皇帝)とその一族のために造られた船です。スルタンとその家族は、カイークに乗って儀式を行ったり、遠方に出かけたりしていたことが分かっています。

船の装飾は、繊細な彫刻や花柄の布が施されており、民間のカイークとは比べ物にならないほど豪華な物でした。もちろん実用性も重視していましたが、より立派なカイークを作ることで、スルタン(皇帝)とオスマン王室の権力を誇示する目的もありました。

■おわりに

イスタンブール海軍博物館は、トルコのイスタンブールにある有名な博物館です。オスマン海軍にまつわる資料はもちろん、オスマン帝国皇帝の船や宮廷画家の絵画など、多岐に渡るジャンルが展示されており、当時の文化に触れられる大変貴重な場所だと言えます。

※本記事はコロナウイルス感染拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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