イクセル美術館:ベルギー芸術界の変遷を堪能できる美術館

※ベルギー・ブリュッセルのフラジェ広場

イクセル美術館は、ベルギーのブリュッセルにある美術館です。19~20世紀に活躍したベルギー人作家の作品を中心に、絵画・彫刻などの幅広い芸術を見ることが出来ます。そんなイクセル美術館の歴史と所蔵品について詳しく解説していきます。

■イクセル美術館とは

ベルギー・ブリュッセルのフラジェ広場近くにあるイクセル美術館は、1892年に設立されました。

元々の目的は、画家エドモンド・デ・プラトレからの寄贈品を展示することでした。屠殺場を全面改装してオープンした美術館は、開館後も貴重な芸術作品の寄付に恵まれ、コレクションの拡大に成功したのです。それに伴って、定期的な展示スペースの増築が行われていきました。

そして、2018年から約5年間をかけて行う大規模改装がスタートしました。博物館自体を拡張する工事で、本屋・カフェ・ギャラリーショップ・教育スペース・ワークショップスペース・屋外展示スペースなどが併設される予定です。

2023年の完成後には、美術館の来館者だけでなく、地元の住民や学生も気軽に利用できるコミュニティスペースとしての活用が期待されています。

『Réouverture des collections permanentes au Musée d’Ixelles』

(イクセル美術館の常設コレクションの再開)

■イクセル美術館の所蔵品

イクセル美術館では、寄贈された19~20世紀の芸術作品を中心に約10,000点をコレクションしています。

「ラーテム画派」「ペルメークなどのベルギー美術」「現実主義」「印象派主義」など、国内外の幅広い作品を鑑賞することが出来るのです。

そんなイクセル美術館のコレクションには、どのような作品が含まれているのでしょうか。主要な作品をご紹介します。

(Public Domain /‘Bringing in the Nets’by Emile Claus. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

・《魚捕り》1893年 エミール・クラウス

本作品は1893年に制作された作品で、ベルギー印象派の画家エミール・クラウスによって描かれました。

エミール・クラウスは、1849年にベルギー・リス川のほとりにあるシントエロイスヴィーブで生まれました。幼少期から絵を描くことが大好きだったエミールは、週末になると3キロも先にあるワレヘムのアカデミーまで歩いて通い熱心に絵画の勉強をしていたのです。

そしてアカデミーを卒業したエミールは、絵描きで食って行けるわけがないと父が強固に反対し、パン屋見習いの修行へ出されてしまいます。修行先のフランス・リールでは生活の為フランス語を習得しましたが、パン職人としてのやりがいを見つけることは出来なかったようです。

エミールが通っていたアントワープ美術アカデミー

どうしても絵描きになることを諦められなかったエミールは、昔父と交流のあった作曲家であるピーター・ブノワに手紙を送ることにしました。プノワは親身になって彼の話に耳を傾け、父の説得に協力することを約束してくれました。そして、エミールが学費を自分で賄うことを条件に、ついに父は息子がアントワープ美術アカデミーに入学することを許したのでした。

在学中エミールの才能は教師たちから高い評価を受けていました。卒業後もアントワープ美術館やベルギー王室に作品を買い上げられたことをきっかけに、世界中の展示会へ参加するようになっていくなど、絵描きとしては非常に順調な滑り出しを見せます。

エミールの初期作品は、肖像画などの現実的なモチーフが中心でした。しかし、1890年代に旅行で訪れたパリで、クロード・モネなどのフランス印象派の絵画に触れ、多大に影響を受けることになりました。印象派独自の明るい色彩を取り込み、独創性のあるスタイルを生み出していったのです。その色使いや色彩の表現方法からやがて彼は「太陽の画家」と呼ばれるようになりました。

本作品で描かれている、繊細な筆使いによるリアルな樹木と、草木を照らす光と人の影の対比描写がエミールらしさを物語っています。

(Public Domain /‘La Sennette in Ruysbroeck’by Guillaume Vogels. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

・《ルイスブロークのセネット》1880年頃 ギヨーム・ヴォーゲルス

本作品は1880年頃に制作された作品で、ベルギー印象派の代表画家ギヨーム・ヴォーゲルスによって描かれました。

ギヨーム・ヴォーゲルスは、1836年にベルギー・ブリュッセルの労働者階級の家庭で生まれました。初等学校を卒業後は、塗装・装飾の修行に入り、親方の資格を得ると、自らの工房を立ち上げるまでになったのです。

転機となったのは、ブリュッセルで働いていたギリシャ出身の画家、パンタジスとの出会いでした。パンタジスから絵の手ほどきを受けたヴォーゲルスは、たちまち絵画制作へのめり込んでいきます。1870年のパリ旅行の際には、自然主義的な風景画を写実的に描く「バルビゾン派」に衝撃を受け、作風が変化していきました。

(Public Domain /‘A Corner of the Salon in 1880’by Edouard Dantan. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

ベルギーに戻ったヴォーゲルスは、展覧会へ出展するようになりますが、なかなか良い評価を受けることが出来ません。ヴォーゲルスの作品は、1880年代に入ってからようやく認められるようになり、サロン・ド・パリや前衛美術団体「20人展」にも招待されています。

本作品は、ヴォーゲルスへの評価が高まってきた1880年頃に描かれた作品です。何気ない日常の風景をモチーフにしており、水面に映る樹木の繊細さがヴォーゲルスの作風をよく表しています。

・《ジャンヌ・ムニエの肖像》1886年 コンスタンタン・ムニエ

本作品は1886年に制作された作品で、ベルギーの画家・彫刻家のコンスタンタン・ムニエによって描かれました。

コンスタンタン・ムニエは、1831年にベルギーのブリュッセルで生まれました。一家は労働者階級の家庭でしたが、1830年のベルギー革命による経済悪化の影響で、困窮した生活を余儀なくされていたのです。父親は、ムニエが幼少期の頃に自殺しています。

14歳になったムニエは、ブリュッセルの美術アカデミーで彫刻を学んだ後、彫刻家ルイジェホテに弟子入りしました。次第に彫刻家としての頭角を現しますが、現代社会への問題提起を彫刻によって表現することに限界を感じ、画家を志すようになります。

※1875年の作品「農民戦争」
(Public Domain /‘The Peasant War’by Constantin Meunier. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

画家としてのムニエは、「宗教画」「ドイツやベルギーの農民戦争」をモチーフとして次々と作品を制作していきます。その後1880年代になると、「鉱夫や工場労働者」「湾港労働者」を多く描くようになり、当時の産業、社会、政治の発展を表現していったのです。

1886年以降、ムニエは再び彫刻作品を中心に手掛けるようになりました。そして、彫刻家として高く評価されるようになったのは、パリで開催した展覧会の成功がきっかけだったのです。ムニエは、晩年もブリュッセルで制作活動を続け、1905年に亡くなりました。

本作品は、自身の娘であるジャンヌ・ムニエを描いた作品です。労働者を描いた作品群は、くすみのある色合いが特徴でしたが、この作品ではとても鮮やかで、美しい配色を採用しています。

■おわりに

ベルギーにあるイクセル美術館は、1892年に設立された美術館です。歴史あるベルギー芸術のコレクションが豊富に展示されており、訪れるたびに新たな物を発見することが出来るでしょう。ベルギーを訪れた際には、是非一度立ち寄ってみてください。

※現在改装中で2023年完成予定です。訪れる際には最新の情報をチェックしてください。

※本記事はコロナウイルス感染拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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