アーダルベルト・シュティフター:自然を愛し、画才と文才に恵まれた作家

(Public Domain /‘Portrait of Adalbert Stifter’ by Bertalan Székely. Image via WIKIMEDIA COMMONS)
※アーダルベルト・シュティフター(1805-1868)

南ボヘミア生まれの作家兼風景画家。オーストリアにおける「リアリズム文学」を代表する作家でもある。三月革命や普墺戦争など激動の時代に生きながらも、豊かな自然描写、平和かつ調和的に生きる人間像を追求した作品を多く執筆した。主要な著作に「コンドル」「習作集」「石さまざま」「晩夏」「ヴィティコー」などがある。

<文学に勝る画才>

アーダルベルト・シュティフターは、当時オーストリア領であった南ボヘミアに生まれました。彼は神学を学ぶため7年間修道院に通い、自然に恵まれた環境の中で風景画を描き始めます。学業にもまじめに取り組み優秀な成績を修め、卒業後はウィーン大学に入学し自然科学の講義に魅了されます。以降興味を持った学科を履修し音楽、演劇、美術など数々の芸術に触れる学生生活を送りました。また「巨人」などの作品で知られるジャン・パウルの小説を好んで読んでいたシュティフターは自身でも執筆をしましたが、風景を描くことで世の役に立ちたいと考え一時は画家を目指していました。

※画像はイメージです

<求められている文才を自覚>

シュティフターは生活費や絵の材料を買うため家庭教師の仕事を始め、その合間を縫って絵画の制作に取り組みます。作品には少しずつ買い手がつくようになり、複数名の画家の展覧会にも出品できるようになりました。あるとき生徒の授業中に以前執筆した「コンドル」を朗読すると、偶然聞いていた生徒の家族が気に入りウィーン芸苑雑誌に応募します。すると見事に雑誌に掲載され一躍有名となりました。これをきっかけに作家としての可能性を感じたシュティフターは執筆を始め、「老独身者」や「水晶」などの文学作品を世に送り出しました。

<肝硬変の痛みに耐えきれず自殺>

ドイツとオーストリアで起こった自由主義の実現を目指す革命運動、「三月革命」で世の中が混乱する中シュティフターは、「人間が造り上げた政治という恐怖の中に生きる人々の心のやすらぎになれば」と創作活動を続けます。画家や作家としてだけでは生計が成り立たなかったため、1850年頃からオーストリアにあるリンツという街で役所員(小学校教育を視察し、監督する職)として働き始めました。以降16年間この職に従事し余暇や休暇を利用して活動を続け、1853年に石をテーマにした5編の作品集「石さまざま」を出版。4年後の1857年にはアルプス山麓の館を舞台にした小説「晩夏」を出版しました。しかし1867年にシュティフターは肝硬変を患ってしまいます。日に日に病状が悪化していく中で薔薇と剣の物語「ヴィティコー」を書き上げ、ついには病からくる痛みに耐えられず自害を選択しました。

※シュティフター作「ゴーザウ谷にて」(1834年)
(Public Domain /‘Im Gosautal’ by Adalbert Stifter. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

<自然派であり反時代的である作風>

シュティフターは文学作品、絵画共にオーストリアの森や川などの自然描写を繰り返し描きました。そこには「ささやかでありありふれた日常こそ偉大」という彼の考えが込められています。シュティフターは作家になってからも継続して絵画の制作を行い、油彩画「ゴーザウ谷にて」でも見事にその才能を発揮しました。一方革命が起き殺伐とした世界情勢の中で穏やかな作品を生み出していたため、「反時代的な作品」とも呼ばれています。

<さいごに>

幼いころから自然を愛し、才能に恵まれたアーダルベルト・シュティフター。彼の絵や文学作品は今でも多くの人に愛されています。短編で読みやすいものもあるので、興味のある方はオーストリアの美しい景色を思い浮かべながら手に取ってみてはいかがでしょうか。

出典:(Wikipedia、アーダルベルト・シュティフター)(6,2021)

※本記事はコロナウイルス感染拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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