アルベール・カミュ:長きに渡り愛される作品を書き上げた短命のノーベル賞作家

アルベール・カミュ(1913-1960)
アルジェリア出身の哲学者。小説家兼劇作家でもあり、1957年にノーベル文学賞を受賞しています。彼の作品「カリギュラ」はパリや日本などで度々舞台上演され、2014年には短編「客」を映画化した「涙するまで、生きる」がアメリカで80万ドル以上の興行収入を記録するなど数々の成功を収めています。

※2014年「涙するまで、生きる」

<貧しい幼少期と結核、恩師との出逢い>

カミュは1913年にアルジェリアのモンドヴィ近郊(現在のドレアン)に生まれました。第一次世界大戦中にパリで勃発したマルヌ会戦で父を亡くした彼はアルジェ市内にある母の実家に移り住み、1918年に公立小学校へ入学します。家が貧しかったため小学校以降進学する予定はありませんでしたが、教師のルイ・ジェルマンがカミュの才能を見抜き家族を説得。その結果奨学金制度を利用しての進学が認められ勉強を続けることができました。その後趣味としてサッカーに打ち込みアルバイトなどをしながら生活していましたが、1930年頃になると結核を患い入院生活を送るようになります。症状が落ち着き退院するも完治はせず、彼の健康を脅かし続けました。

<文化活動と作品の出版>

カミュは1935年に共産党に入党します。共産主義の思想にはあまり関心がありませんでしたが、党の文化活動として劇団「労働座」の創設に関わり、アンドレ・マルローの「侮蔑の時代」を翻案するなど舞台におけるさまざまな面で活動しました。しかし党の幹部とアラブ人活動家との間で板ばさみになり、最終的には党から除名処分を言い渡されてしまいます。1937年になると処女作となるエッセイ集「裏と表」を出版。その後生活を安定させるため新聞記者などの仕事をしながら小説「幸福な死」を書き上げます。この作品はカミュ自身が完成度に不満があるとして出版を見合わせましたが、のちに出版される「異邦人」の原型となっています。1947年には中世のヨーロッパで実際に起きた感染病の蔓延をテーマにした「ペスト」を出版。当時のヨーロッパの人口を3割も減少させた無慈悲をアルジェリアのオラン市を舞台に描いています。

※画像はイメージです

<ノーベル賞>

1956年、現代の裁きについて問う哲学的小説「転落」を発表。翌年の1957年には短編集「追放と王国」を発表しました。そして同年「アルベール・カミュの文学作品が、現代における人間の良心問題について明らかにしている」として、戦後最年少となる43歳でのノーベル文学賞受賞を果たしました。彼は恩師のルイ・ジェルマンに感謝を示し、ノーベル賞記念講演の内容を本にして出版した際に「ルイ・ジェルマン先生へ」と献辞を添えています。

<アルベール・カミュの最期>

カミュはノーベル賞受賞後、プロヴァンス地方の田園地帯であるルールマランに家を構え、自宅とパリを往復する生活を送っていました。ある日友人が運転する車でパリに向かっている最中、車が立ち木に衝突し彼は事故死してしまいます。なぜ事故が起きたのかは今も明らかになっていませんが、当時は「時速180kmの猛スピードで運転していた」、「友人がてんかん発作を起こした」などさまざまな憶測が飛び交いました。

※アルベール・カミュがデザインされたスウェーデン発行の切手

<さいごに>

文学において類稀なる才能を発揮するも不幸な事故で亡くなってしまったアルベール・カミュ。彼の作品は時がった今でも多くの人に愛されています。本を読んだり舞台を見たり、映画化されているものもあるので、興味のある方はお好きな作品をチョイスしてカミュの世界観に触れてみてはいかがでしょうか。

出典:(Wikipedia、アルベール・カミュ)(6,2021)

※本記事はコロナウイルス感染拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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