ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト:神童と称えられた天才音楽家

(Public Domain /‘Wolfgang Amadeus Mozart’ by Barbara Krafft. Image viaWIKIMEDIA COMMONS)

ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(1756–1791)
オーストリアを代表する世界的に有名な音楽家。作曲家兼奏者でもあります。オペラや宗教音楽などの声楽曲、交響曲や協奏曲など幅広いジャンルで作曲し、総作品数は900曲以上とも言われています。

※幼少期のモーツァルト
(Public Domain /‘The Boy Mozart’ by Pietro Antonio Lorenzoni. Image viaWIKIMEDIA COMMONS)

<幼少期から開花した才能とマリー・アントワネットとの逸話>

モーツァルトは1756年1月27日に、オーストリアのザルツブルクで生まれました。父も音楽家として活動しており、宮廷の出入りを許されるほどの実力の持ち主でした。父が息子の才能を見抜き幼い頃から音楽に関する教育を与えると、モーツァルトは3歳でピアノを弾き、5歳では作曲を行うまでに成長。初めて作った曲は『アンダンテハ長調K.1a』で、明るく子どもらしさ溢れる一曲となっています。モーツァルトが音楽で稼いでいけると確信した父は彼を連れていろいろな国を巡り、各地で演奏を行いながらモーツァルトの音楽技術を売り込みました。そして6歳のときにマリー・アントワネットの前で演奏しており、転んだモーツァルトに手を貸した7歳のマリーに「大きくなったら僕のお嫁さんにしてあげる」と言ったという話も残されています。

※システィーナ礼拝堂の外観

<各国で発揮する才能>

モーツァルトは1769年から1771年にかけて父と共にイタリア旅行を行い、ローマ、ミラノ、ボローニャなどの都市を巡りました。ローマでシスティーナ礼拝堂を観光すると水曜礼拝で「ミゼレーレ」という曲を聞きます。この曲は楽譜が公開されておらず誰も再現できずにいましたが、当時14歳だったモーツァルトは一度耳にしたあと、記憶だけで楽譜に書き起こすことに成功。その後再度礼拝堂を訪れ曖昧な部分や間違いを修正し、完璧な楽譜を作り上げたのです。そしてボローニャでは作曲家でもあったマルティーニ神父から音楽理論を学びました。対位法やポリフォニー(多声音楽)を勉強し、これはのちに大きく役立つことになります。
1777年になるとドイツのマンハイムに移り、宮廷楽団を中心に活躍する「マンハイム楽派」に出会います。マンハイム楽派は正確な演奏、優雅な音色に定評があり、これに影響を受け作られた曲が交響曲第31番『パリ』です。1781年にはウィーンに移りフリー作曲家として活動を始め、オペラの作曲、楽譜の出版などで多忙を極めました。

※画像はイメージです

<成功と借金>

1782年、モーツァルトはドイツ出身のソプラノ歌手コンスタンツェ・ヴェーバーと出逢い、父の反対を無視して結婚しました。この頃のモーツァルトは交響曲の父と呼ばれるフランツ・ヨーゼフ・ハイドンに献呈した弦楽四重奏曲『ハイドン・セット(ハイドン四重奏曲)』絶賛され、1786年には彼が作曲したオペラ『フィガロの結婚』がウィーンのブルク劇場で初演を迎えるなど数々の成功を収めています。翌年には新作の依頼を受けオペラ『ドン・ジョヴァンニ』を作曲。チェコのプラハにあるエステート劇場で公演され、モーツァルト自ら指揮をとりました。しかし私生活は荒れていき、モーツァルトは借金を繰り返すようになります。ギャンブルにはまり、数十人の仲間を連れて飲み歩き、全員分の代金を彼が全て支払うなど激しい浪費を繰り返します。妻のヴェーバーもモーツァルトにどれだけの収入があるのか知らないまま温泉療養などで散財し、最終的に家庭は借金地獄に陥りました。

※実際のモーツァルトに似ている数少ない肖像画
(Public Domain /‘Portrait of Wolfgang Amadeus Mozart’ by Dora Stock.Image viaWIKIMEDIA COMMONS)

<天才的音楽家の早すぎる死>

ウィーンでピアニストとして人気を得ていたモーツァルトでしたが、次第に収入が減り借金返済を求める手紙が多く送られてきました。収入が減った原因は彼の日頃の行いが悪かったことと、ビジネスの才能がなかったためと言われています。依頼人からの報酬を受け取るだけで楽曲使用による継続的な収入がなく、富として蓄えることができなかったので
す。お金に困ったモーツァルトは他の依頼より高額な報酬が得られるオペラの仕事を中心に行うようになりました。しかし体調を悪化させ、死者のためのミサ曲「レクイエム」を作曲している最中に寝込んでしまいます。その2週間後1791年12月5日に35歳という若さで亡くなりました。死因は連鎖球菌性咽頭炎(咽頭炎などを引き起こし、発疹を伴う発熱が起こる病気)ではないかと言われていますが詳細は分からず、モーツァルトの死の真相はいまも謎に包まれたままです。

※オーストリアのザンクト・ギルゲンにある少年のモーツァルト像

<さいごに>

幼いころから音楽を学び、その卓越したセンスと才能で数々の名曲を残したヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト。学校の音楽室に肖像画が飾られていることもあり、彼の顔、作品共に知っているという方は多いのではないでしょうか。数々のオーケストラや楽団、ピアニストたちがモーツァルトの曲を演奏しているので、興味のある方はお気に入りの奏者を見つけて彼の音楽を楽しんでみてはいかがでしょうか。

出典:(Wiener Mozart Konzert、w-a-mozart)(7,2021)

※本記事はコロナウイルス感染拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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