ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー:世紀を超える絵画史を先取り

(Public Domain /‘Rain, steam, speed’ by Joseph Mallord William Turner. Image viaWikimedia commons)

ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー(1775―1851)はイギリスを代表するロマン主義の画家です。代表作には『雨、蒸気、スピード』などがあり、白くもやのかかったような作品や立体的かつぼやけた技法を使った作品が有名で、版画や水彩画が主な技法です。彼の作品は荒々しく不穏な雰囲気の風景画が多いと言われることがよくありますが、その独特な風景表現はクロード・モネなどの印象派の画家にも多大な影響を及ぼしました。

<ウィリアム・ターナーにとって黄色とは何か>

※蒸気を通して昇る太陽、1809頃
(Public Domain /‘The sun rising through steam’ byJoseph Mallord William Turner. Image viaWikimedia commons)

ターナーは1775年にロンドンのコヴェント・ガーデンの、決して裕福ではない家庭に生まれます。父は理髪師をしていて、母は精神的な疾患に苦しみあまり息子の面倒を見られなかったそうです。当時のイギリス労働者階級の人々には特有のなまりがあり、それがコンプレックスだったターナーは人見知りで引っ込み思案な性格でした。
彼の作品を何枚か見ていくと、彼が好んで使用した色がとても限定されていることがわかります。ターナーの作品を語る際に、黄色という色はとても重要な要素の1つです。風景画を描く際も緑色はあまり使わず、黄色を他の色と絶妙に混ぜ合わせ、独特の温かみを表現していました。

<燃え盛るアルバイト先>

(Public Domain /‘Pantheon, the morning after the fire’ by Joseph Mallord William Turner. Image viaWikimedia commons)

幼い頃から絵を描く才能を発揮していたターナーは、13歳の頃に画家に弟子入りしようと考えました。そして風景画家のトーマス・マートンを師として選び、絵画の基礎を教わります。彼の両親も息子の作品を自分の理髪店に飾ったりするなど、彼を応援してくれていたようです。14歳という若さでロイヤル・アカデミー附属美術学校に入学したターナーは、入学した翌年に水彩画をアカデミー展に初めて出品します。しかし、父親の稼ぎだけでは学費の支払いが困難であったため、2年生の頃からパンテオン劇場のお芝居で使われる大道具の背景を制作するアルバイトを始めました。
順調に学生生活を送っていたターナーでしたが、アルバイト先のパンテオン劇場が火事になってしまいます。その際彼は慌ててスケッチブックと絵の具を持って燃え盛るパンテオン劇場に向かい、激しく燃える劇場の様子を描きました。それが『パンテオン、火事の翌朝』という作品で、現在はテート・ブリテンに所蔵されています。当時17歳だったターナーは、どのような気持ちで燃え盛るパンテオン劇場を捉えていたのでしょうか。
この経験をきっかけにターナーは建物や風景を描く魅力に更にとりつかれていきます。特に古い建物を好み、古城や廃墟を巡ってはスケッチをし、光と雲、影の陽影を立体的にキャンバスに表現しました。また、ターナーの絵画の魅力の1つに「天候表現の豊かさ」があることは明白です。天気というのは毎日必ず変化し、全く同じ天気の日というものはありません。ターナーはそれを全て描き分けるが如く表現したと言えるのではないでしょうか。

<画風の転換期は何度もあった>

(Public Domain /‘Fischer auf dem Meer’ by Joseph Mallord William Turner. Image viaWikimedia commons)

ターナーは画風がよく変わることでも有名です。1796年に描かれアカデミー展に出展した、彼の初めての油彩画『海上の漁師たち』。この作品は現在も非常に人気があります。暗く荒れた海上を黄色い光月が煌々と照らしている様子は、絶望と救いのコントラストのようにも見えます。ターナーはこれ以前にもコントラストのはっきりとした作品を作ってきましたが『海上の漁師たち』は油絵の具を使ったことで、更に立体的な動きが強調されています。
ターナーはこの作品によって名声を手に入れますが、そのとき彼はまだ22歳でした。時代によって作風が変わっていったターナーですが、この後も水彩画と油彩画の技法を組み合わせたり、油彩画の技法を水彩画に応用したりと試行錯誤を重ねます。
ターナーは自分で乗船し波の動きを体感したり、城跡に数日間張り込んでスケッチをし続けたりなど本当に制作に夢中な天才でした。また彼の作品は、年齢とともにエネルギッシュなものから鬱蒼としたあいまいな作品へと変化していきました。

<時代がついてこられなかった才能>

※ラ・ベル・ガブリエル宮殿、1830年頃
(Public Domain /‘La Bell Gabriel Palace’ byJoseph Mallord William Turner. Image viaWikimedia commons)

ウィリアム・ターナーは風景画に長けている画家です。そしてそれは、絵画史でいう所の印象派や抽象画の表現方法の先駆けとなっていて、彼はおよそ100年間の絵画の歴史を1人で先に歩んでしまっていました。つまり彼の出現以降の西洋絵画史の流れは、ウィリアム・ターナーの作品を一通り見れば想像がつくのです。

※本記事はコロナウイルス感染拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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