ハーマン・メルヴィル:放浪し不作が続くも死後評価された小説家

ハーマン・メルヴィルはアメリカの小説家及び詩人です。代表作は「タイピー」や「オムー」「白鯨」などがあり、アメリカの政府主義に反発した人間の個性や感情を綴ったロマン主義の作家です。12歳のときに父親を亡くし、家計を支えるために数々の職を転々とした後、南太平洋の島々を4年間放浪しました。1846年にはその頃の放浪体験をもとに執筆した小説「タイピー」を出版し、以後「オムー」や「マーディ」、「白鯨」などを刊行しましたが戦時中だったこともあり、社会に反抗する人々の心情を綴った作品は思うように売れませんでした。彼の作品は生前にはほとんど評価されていませんでしたが、現在ではアメリカ文学史上で高い地位を占めています。

<放浪で知り得た食人種や艦内無秩序の実態>

メルヴィルは1819年8月1日にニューヨーク市にあるマンハッタンで生まれました。裕福な貿易商の家庭で両親どちらも古い家柄を誇る名門の出身でしたが、メルヴィルが11歳のときに父親の商売が傾き、首が回らなくなった父親は1832年に多大な借金と負債を残し精神障害により病死してしまいます。このことにより彼は12歳で学校の中途退学を余儀なくされ、不況の下さまざまな職を転々とすることになり、田舎の小学校で代用教員を勤めますがその貧しい状況は好転しませんでした。

そこで自ら小説を書くことを決意したメルヴィルは失恋を経験し傷心の旅に出ます。その旅は1839年にリバプール行きの貨物船に乗り込むところから始まります。貨物船内での様子を観察し見聞きしたことをメモにとり、イギリスの近代工業都市の発展や人道的な悲惨さを綴ったものが1849年に出版した第4作「レッドバーン」に織り込まれました。

(※マルケサス諸島)

さらにメルヴィルは1841年に捕鯨船に乗り込み南太平洋のマルケサス諸島周辺で捕鯨船から脱走し、行き着いた島で人質として先住民に捕らえられ、その先住民と1か月ほど生活をともにすることになります。この体験を元に執筆した作品が1846年に発刊された「タイピー」であり、タイピー族という先住民の原始的な生活や生き様を賛美した作品として目新しく高評価を受けました。このように彼は島を脱走したり捕鯨船に乗り込んだりしてタヒチ島やその他の島々を放浪していき、1847年に「オムー」という放浪者の話を書きました。

その後メルヴィルはアメリカ海軍の水兵となり、軍艦の中での生活を題材にした「白ジャケット」を執筆しました。艦内での悲惨な出来事や閉鎖的な軍人の生活を描き、この作品で世論を賑わせアメリカ海軍の生活が変わるほどの影響を与えたことはとても有名です。

<2作目以降は鳴かず飛ばず>

小説家人生において題材を求めることは必須であり、メルヴィルは4年間ほど南方で放浪生活をしながら創作活動に勤しみました。タイピー族部落で暮らした体験を元に第1作目となる「タイピー」を出版し、「その珍しく生きていくこととは?」という疑問を投げかけた少々残酷な部落生活が好評を得て世間で話題となります。また人喰い人種の中で暮らした白人の実話として新しい切り口を見出した一方で、南太平洋地域の観光案内に活用されることもあったようです。

(※画像はイメージです)

メルヴィルは1作目の「タイピー」で手応えを掴み、27歳のときにタヒチでの放浪体験を元にして「タイピー」の続編である「オムー」を出版し高評価を得ます。しかし彼は1851年に約1年半をかけて「白鯨」を完成させたのにも関わらず、世間ではさほど評判が上がりませんでした。さらに次作に当たる長編「ピエール」の執筆をしますが姉弟の近親相姦を描いており不評に終わります。そして彼は「ピエール」の出版以後、短い小説を雑誌に掲載し1856年に短編集である「ピアザ物語」を発表しました。

メルヴィルの代表作のうち、独立戦争を描いた1855年の「イスラエル・ポッター」は評判も良く、社会と戦争について考えることができる作品となりました。また、「詐欺師」という作品もアメリカの現実と闇を如実にユーモア溢れる形で描き切り、彼は「詐欺師」の完成と同時に聖地エルサレムの巡礼で地中海へと旅立ちます。そして1861年に南北戦争が始まりますが、彼は執筆を再開し1866年に戦争の悲惨と苦痛を綴った「戦争詩集」を出版しました。

<職を変えるも晩年まで執筆を続け、死後評価される>

メルヴィルは1866年にニューヨークの税関で働き始め、約20年間に渡り税関の仕事をしながらごく普通の生活を送っていました。しかし実際には長男のピストル自殺や自宅火災、次男の病死などつらく波乱の人生を歩んでいました。それでもメルヴィルは作品作りに精を出し、かつての聖地巡礼の思い出を中心に展開される1876年出版の長編物語詩「クラレル」を発表します。クラレルという大作のなかで彼は、西欧文明にかかわるキリスト教の運命を世に問いました。

それからメルヴィルは18世紀末のイギリス海軍を背景に1人の若い純朴な水兵の悲劇を描く「ビリー・バッド」の制作に取り掛かります。この作品は1924年に発行されることになりますが、これが遺作となり1891年9月28日に心臓拡張症のため72歳でこの世を去りました。

第一次世界大戦後にはメルヴィルの小説も広く読まれるようになり、再び評価される形になりました。彼の作品は産業の発展や世の流れに翻弄される人間をテーマに、現代でも広く愛され続けています。

※本記事はコロナウイルス感染拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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