モード・ルイス:リウマチで生涯手足が不自由であった女性画家

モード・ルイスはカナダの小さな港町で手足が不自由ながらも独学で温かみのある絵画を描いた女流画家です。結婚後は深い愛情のもと制作活動を続け、小さな家で慎ましくアクリル画材で田舎の風景や動物、植物などを描き来訪者に絵を売る生活をしていました。

<独学で描き続ける>

モード・ルイスは1903年3月7日にカナダのノバスコシア州にあるヤーマスの小さな港町で生まれました。彼女は両親と兄と4人暮らしで、若年性関節リウマチを患い手足が不自由でとても小柄な女の子でした。彼女は絵画教室など特別な美術教育を受けず、独学で絵を習得した素朴派画家です。素朴派とは19世紀から20世紀にかけて存在した絵画の一傾向のことで英国ではナイーヴ・アート、仏国ではパントル・ナイーフと呼ばれ、一般的には画家を職業としない者が独学で絵画を制作していることを指します。そして彼女はフォークアートと呼ばれる自然や動植物を独自の感性を生かして描くスタイルで絵画を制作していきました。

<小さな家で小さな絵を>

モードは生涯において小さな自宅で夫とともに生活し創作活動を続けていました。彼女の作品の特徴は20cm四方のものから大きくても50cm四方のもので、素朴なタッチで描かれ絵の中には影がないということです。

モードは免疫の異常により手足の関節が腫れたり傷んだりする病であるリウマチを患っていました。その上、小柄で手足が不自由なことから学校で差別を受け、母親が家庭教師を呼ぶなど自宅中心の生活を送っていましたが、母親がモードに絵を教えたことにより彼女は絵画に夢中になることができました。

モードは老後も更に体が不自由になっていきますが、自身が興味を持つモチーフを絵に描く生活が続きました。彼女の作品は明るくユーモアに溢れており、貧しい生活の中でも心豊かな時間を送っていたことが想像できます。彼女は同世代の友人と遊ぶよりも母親とピアノを演奏したり絵を描いてカードを作ったりして、家族や1人で過ごす時間を大切にし、制作したカードを近所で販売するなど生計に役立てていました。彼女の絵は現代で言うとRifle Paper Co.の作風と似ており、植物や動物がカラフルに描かれ当時から女性の心を掴む作風となっています。

<両親の死が転機で家政婦の看板を見て結婚>

モードが32歳の時に父親が他界し、その2年後には母親も亡くなります。その後、彼女はディグビー郡に住む叔母の家に移り住むことになりますが叔母はとても口うるさく、モードにとってストレスを抱える毎日となり心を痛める生活を送っていました。

(※画像はイメージです)

その翌年、町の商店街で買いものをしていたモードは家政婦募集の広告に興味を持ちます。そして束縛の厳しい叔母との生活から逃れるため、住み込みの家政婦になることを決意し、そこで魚屋を営むエヴェレット・ルイスと出会います。孤児院育ちで教養もなくただ生きることに精一杯であった彼に、彼女は愛情のこもった料理をふるまい、彼の心を温めました。やがて2人は心を通わせ結婚しますが、彼は無骨で不器用な男で彼女にもぶっきらぼうに接します。しかし根は優しく彼女の身体が不自由なことを理解し、家事や身の回りのことを積極的にサポートしました。その後も2人は協力し、彼が魚を売る際には彼女が小さなカードを添えて販売するなどともに努力を惜しみませんでした。

とても貧しく電気も水道も通っていないわずか4平方メートルの小さな家の中で、モードはその壁やドア、家具やキッチン小物にも油絵を施し幸せな夫婦生活を送ります。ときには夫婦間の揉め事もありましたが、彼女には母親から教わった“絵を描く”という心の癒しを得る強みがあり、自分自身を癒すことができる柔軟な心を持っていたため平穏に過ごすことができました。家の中にあるティーポットやクッキーシート、薪ストーブなど、家の中のあらゆるものが彼女にとってはキャンパスでした。彼女の絵画は大半が混色しないということも特徴のうちのひとつで、原色を使用してバランスの良い配色を施しています。美術専門家から評価を集めるような作風ではありませんが、多くの人々の心を穏やかにするような明るく楽しい作品をたくさん残しました。

<女性に好まれる作風>

1945年頃からモードの作品は徐々に注目を集め、“Paintings for Sale”と書いたボードを家の前に置き、訪れた人に2,3ドルで絵を売り始めます。その金額は来訪客が増えるごとに少しずつ高く設定し、1964年以降にカナダの雑誌やテレビ番組で紹介されると高額で販売するようになり、テレビや新聞からの情報でカナダの各地から絵画の注文が届くようになりました。モードはテレビ出演の際にアトリエが欲しいと発言すると、番組を見た隣人からトレーラーハウスが贈られました。彼女の家と同様にそのトレーラーハウスの中のあらゆる家具に彩色を施しますが、そのトレーラーハウス自体には何も描かれていなかったことが疑問として残されています。

その後、モードのリウマチの症状は好転せず、通院の合間のわずかな時間で絵を描くようになります。そして病は更に悪化し絵筆を持つことも出来なくなり、1970年7月30日に67歳でこの世を去りました。また、彼女が亡くなった9年後の1979年にモード宅に強盗が入り、そこでエヴェレットは命を落としました。

モード・ルイスの家と絵画は夫妻が亡くなった後も市民グループによって保存されており、後にノバスコシア美術館の屋内に家が修復されて常設展示されるようになりました。彼女の絵と作品でもある家は多くの人に愛されていることがわかります。彼女の生涯を描いた映画「しあわせの絵の具」という作品が2018年3月から日本で公開され、多くの人に感動を与えました。

出典:(Wikipedia、モード・ルイス)(7,2021)

※本記事はコロナウイルス感染拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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