ノイエ・ピナコテーク(ドイツ):ルートヴィヒ1世が設立。近代美術を中心としたミュンヘンの美術館

ノイエ・ピナコテークは、ドイツのバイエルン州・ミュンヘンにある美術館で、旧絵画館と言われるアルテ・ピナコテークに対して1853年に開館した「新絵画館」です。1800年代後半(19世紀前後)当時を代表する現代絵画を収蔵・展示することを目的として、当時のバイエルン王国のルートヴィヒ1世により建てられました。所蔵・展示されている絵画数は5,000点に上り、ドイツの近代絵画を始め、日本でも有名なモネ、セザンヌ、ルノワール、そしてゴーギャンなどといった印象派の画家たちの作品が大変充実しています。ミュンヘンを訪れた際には、アルテ・ピナコテークと共に外せない観光スポットになっています。今回は、ノイエ・ピナコテークの美術館としての歴史と所蔵作品について、詳しく解説していきます。

ノイエ・ピナコテークとは

ノイエ・ピナコテークは、ドイツのバイエルン州・ミュンヘンにある美術館です。旧絵画館と言われるアルテ・ピナコテークに対して、ノイエ・ピナコテークは近代絵画をメインに収蔵しています。
ノイエ・ピナコテークは、アルテ・ピナコテークとピナコテーク・デア・モデルネと共に、バイエルン州の中では一大コレクションを持つ美術館として大変有名です。またノイエ・ピナコテークは、19世紀前後の近代絵画を収蔵している美術館としては最も大きい美術館のひとつにも挙げられており、絵画だけでなく彫刻も見ることができます。そのため、見学する際は、最低2時間はみておいたほうが良いです。ノイエ・ピナコテークが開館したのは、アルテ・ピナコテークが開館してから十数年後の1853年にさかのぼります。当時バイエルンを治めていた国王ルートヴィヒ1世が、19世紀前後の絵画を収蔵するために設立したのが、このノイエ・ピナコテークなのです。ノイエ・ピナコテークは、一度、戦災によって建物が立て直されており、現在ではモダンな基調の建物となっています。

ノイエ・ピナコテークの所蔵品・展示

ノイエ・ピナコテークは、ドイツ・ロマン派やナザレ派などといった19世紀前後に隆盛したドイツの近代絵画を中心に、約5,000点にものぼる作品を所蔵・展示しています。その中には、日本でも有名な画家のゴッホ、モネ、ゴーギャンやルノワール、セザンヌなどといった巨匠たちの代表作品も数多く展示されています。

では、ノイエ・ピナコテークのコレクションには、どのような作品が含まれているのでしょうか。ここで、ノイエ・ピナコテークの主な作品および展示品をご紹介します。

《ひまわり》1888年フィンセント・ファン・ゴッホ

(Public Domain /‘Vase with Twelve Sunflowers’by Vincent Willem van Gogh. Image viaWIKIMEDIA COMMONS)

本作品は、オランダで活躍したポスト印象派の画家、フィンセント・ファン・ゴッホによって描かれた絵画です。日本でもおなじみの「ひまわり」を描いた、ゴッホの代表作でもあります。ノイエ・ピナコテークに所蔵・展示されていた「ひまわり」は、11点ないし12点であったといわれていて、現存している6点の中の1つ、これは3番目に描かれた「ひまわり」です。なぜこんなに同じ構図の作品があるのかというと、ゴッホが南フランスのアルルを生活と制作活動の拠点として過ごしていた「黄色い家」の部屋を飾るためであったとされています。

ゴッホは、1853年にオランダ南部のズンデルトというところで、牧師の家に生まれました。最初は画商に勤めており、オランダのハーグをはじめ、ロンドンやパリなどで働くものの、1876年に解雇されてしまいます。
その後は、イギリスで教師として、また書店で働く等の意外なキャリアを作りながら、画家を志すようになったのでした。それ以来、オランダを拠点に、弟の援助を受けながら画家としての活動を行いました。
ゴッホは、最初は貧しい農民の生活を描く暗めの作品が多かったものの、パリに拠点を移した後は、印象派の画家たちの影響を受け、明るい色の絵を描くようになりました。ゴッホは、日本の浮世絵からも数々の影響を受けており、実際に自分で集め、模写を行っています。
一時期、ポール・ゴーギャンとの共同生活を行っていたものの、共同生活は破綻。そこからゴッホの入退院の生活が続きます。療養中も絵画を描き続けていましたが、1890年に自殺し、この世を去りました。
しかし、実際に自殺かどうかは現在でもわかっておらず、一説には一緒にいた少年が持っていた銃が暴発し亡くなった説もあります。

《イタリアとゲルマニア》1828年頃ヨハン・フリードリヒ・オーヴァーベック

(Public Domain /‘Italia und Germania’by Johann Friedrich Overbeck. Image viaWIKIMEDIA COMMONS)

本作品は、ドイツ・ナザレ派の画家であるヨハン・フリードリヒ・オーヴァーベックが描いた作品です。

左の女性がイタリアの象徴、右の女性がドイツの象徴とされていて、彼女たちの背後には、イタリアとドイツのそれぞれの景色が広がっている、という構図です。この作品は、イタリアとドイツにおける、美術的な結びつきを祝福しています。

ヨハン・フリードリヒ・オーヴァーベックは、北ドイツのリューベックという町で生まれました。1806年にリューベックを出て、ウィーンの美術アカデミーへ進学しましたが、神学的志向の強い家庭で育ったため窮屈となってしまい、在学最後の年に仲間と真の芸術を求めるのでした彼が向かったのは、ローマでした。その後彼は、ローマを拠点に59年間この地で製作活動を行いました。この時に誕生したのが、ナザレ派という絵画の流派です。ナザレ派とは、ドイツ・ロマン主義、教会ロマン主義、ドイツの愛国的・宗教的画家の集団で、戒律が厳しかったとされます。こうして、ヨハン・フリードリヒ・オーヴァーベックをはじめとするナザレ派は活動を続け、イタリア人に好まれる壁画やフレスコ画の作成を行ってきました。

おわりに

ノイエ・ピナコテークには、今回ご紹介の絵画以外にも、19世紀前後の有名な画家による素晴らしい絵画や彫刻のコレクションが多数所蔵・展示されています。また、絵画の数はアルテ・ピナコテークよりも多くあるため、非常に見ごたえ抜群です。隣接するアルテ・ピナコテークと同時に楽しむことも可能です。
なんと、日曜日に訪れると、1ユーロという破格で周りがうらやむ作品たちをこの目で見ることができるのです。ぜひ、たっぷりと時間をとって、ノイエ・ピナコテークを訪れましょう。

※本記事はコロナウイルス感染拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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