グッゲンハイム美術館:鉱山王が愛した現代アート

グッゲンハイム美術館はアメリカ・ニューヨークのセントラルパークのすぐ近くに位置する美術館です。ニューヨークを代表する観光スポットで、映画「メン・イン・ブラック」や「シー・デビル」を始め数々の映像作品に登場しています。そんなグッゲンハイム美術館の歴史と所蔵品について詳しく解説していきます。

グッゲンハイム美術館とは

グッゲンハイム美術館は、正式名称をソロモン・R・グッゲンハイム美術館と言います。アメリカの鉱山王マイアー・グッゲンハイムの息子である、ソロモン・R・グッゲンハイムが収集した現代アートを収蔵している美術館です。

グッゲンハイムの集めたコレクションを収蔵する目的で財団が設立されたのは1937年です。その後1939年に美術館としてニューヨークに開館しました。現在の建物は、近代建築の三代巨匠のうちのひとりであるフランク・ロイド・ライトが設計し、1959年に竣工しました。

「かたつむりの殻のようだ」と言われる建物の内部は、らせん状のギャラリーになっています。建物自体が芸術作品であり、見た目も内部も大変特徴のある造りです。今ではニューヨークのシンボルの一つになっており、毎年大勢の観光客が訪れます。2019年に「フランク・ロイド・ライトの20世紀建築作品群」という名称で世界遺産に登録されました。

グッゲンハイム美術館の所蔵品

そんなグッゲンハイム美術館のコレクションには、どのような作品が含まれているのでしょうか。主要な作品をご紹介します。

《黄色い髪の女》1931年パブロ・ピカソ

本作品は1931年に制作されました。この時代のピカソはシュルレアリスム(超現実主義)の時代と呼ばれています。
1927年1月、45歳であったピカソは17才のマリー・テレーズ・ウォルターと出会い恋に落ちます。当時、ピカソはオルガ・コクラヴァと婚姻関係にありましたが、妻のオルガ・コクラヴァは上流階級の出身で、何かとピカソと衝突していました。そのような婚姻生活の中、ピカソは、彼の理想の女性の顔であった古代ギリシャ彫刻の面影を、マリー・テレーズの中に見出したと言われています。また、マリー・テレーズはピカソに出会った当時、彼が有名人だとは知らなかったそうです。

マリー・テレーズはピカソの芸術性に最も影響を与えた女性でした。出会った年の1927年だけでも、マリー・テレーズをモデルとした静止画は5点制作されました。その後ピカソはマリー・テレーズをモデルにした作品を多く生み出しました。《黄色の髪の女》は、マリー・テレーズの寝ている姿をシンプルに描いています。

《黄色いセーターのジャンヌ・エビュテルヌ》1918年-1919年アメデオ・クレメンテ・モディリアーニ

(Public Domain /‘Jeanne Hébuterne in yellow sweater’by Amedeo Clemente Modigliani. Image viaWIKIMEDIA COMMONS)

本作品は1918-1919年にエコール・ド・パリ(パリ派)であるモディリアーニによって制作されました。モデルであるジャンヌ・エビュテルヌはモディリアーニの愛人でした。彼女は幼少の頃から大変美しく、様々な芸術家のモデルを務めるうちに、いつしか自身も芸術家を目指し始めます。

1917年、ジャンヌ・エビュテルヌはモディリアーニを紹介されると、家族の反対を押し切ってモディリアーニと親密な関係になります。1918年には長女が生まれ、1919年7月にジャンヌ・エビュテルヌと結婚の誓約をしました。この作品のジャンヌは黄色のセーターを着ている事から、1918年の冬頃から描かれたものと推測されます。二人が子供を授かり、結婚を誓った時期です。

モディリアーニの描く人物画の特徴は、顔から首がとても長く表現され、瞳は無く目の形のみが描かれる事が多く見られます。本作品は、モディリアーニの描く人物画の特徴を色濃く表現しています。モディリアーニの代表作の大半は1916年から1919年の間に制作されたものです。モディリアーニは、数多くの肖像画を制作しましたが、その中でもジャンヌ・エビュテルヌの肖像画は20作品以上と大変多く、モディリアーニのジャンヌへの想いが伝わってきます。

モディリアーニは1920年1月に、結核性髄膜炎により35歳の若さでこの世を去ります。伴侶であるジャンヌ・エビュテルヌはその時妊娠9か月でした。ジャンヌはモディリアーニの死の2日後、彼の後を追ってわずか21歳で飛び降り自殺します。モディリアーニとジャンヌの悲恋の死は、今でも語り継がれており、映画化もされています。

《黄色い牛》1911年フランツ・マルク

(Public Domain /‘The Yellow Cow’by Franz Moritz Wilhelm Marc. Image viaWIKIMEDIA COMMONS)

本作品は1911年にドイツのフランツ・マルクによって制作されました。画家として活躍した期間は短く、わずか10年です。マルクは動物をこよなく愛し、動物を描いた作品を数多く残しました。

マルクは風景画家の父親からデッサンの基礎を教え込まれましたが、父親は絵を描くことが好きだったマルクを肯定することはなかったと言います。マルクは元々内向的な性格であったこともあり、成長するにつれ人間嫌いになりました。1899年、19歳になったマルクに転機が訪れます。1年間の兵役で馬術の訓練で馬に乗った時、マルクは動物の持つ、憎しみや偽りのない純粋さを感じ取りました。以来、動物をこよなく愛するようになったマルクは、父親の反対を押し切ってミュンヘン美術アカデミーに入学しました。しかしアカデミーが教えるのは風景画であり、動物は風景の一部でしかありませんでした。マルクはアカデミーを辞め、その後動物を描くためにアトリエを構えました。

マルクの作品の特徴は色鮮やかな色彩です。マルクは独自の研究をしており、着色の色彩が与える意味や効果について追い求めていました。

本作品はマルクの初期の傑作と言われています。マルクが友人にあてた手紙の中に「黄色は女性を現し、優しく陽気で官能的」と綴られています。この年、マルクは結婚をしました。黄色い牛はマルクが伴侶を得た幸せの象徴と言われています。明るい黄色で着色された牛は躍動感に溢れ、マルクがいかに幸せであったかが伝わってきます。

おわりに

常設展や企画展はもちろんのこと、世界遺産である建物や、屋外に展示されている無料で観覧できるモニュメントなどグッゲンハイム美術館の見どころは多数あります。

※本記事はコロナウイルス感染拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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