ブルックリン美術館:貴重なオリエンタル作品が並ぶ美術館

ブルックリン美術館は、ニューヨーク市ブルックリン区にある、ニューヨーク市の中でも二番目に大きな美術館です。2004年に増築されていますが、建物自体は1895年に建築され、アメリカ最古の美術館と言われています。建築様式がフランスの古典建築というところも、ぜひ注目していただきたいところです。所蔵作品は、特にエジプト美術が充実しています。加えて、日本の浮世絵画家の歌川広重や東洲斎写楽の作品も見ることができる、大変貴重な美術館です。

ブルックリン美術館

ブルックリン美術館は、1897年に開館した美術館です。ニューヨーク市の中でもメトロポリタン美術館に次ぐ2番目に大きな美術館というだけでなく、フランスの古典建築である「ボザール様式」を採用しており、アメリカ最古の美術館建築という特徴を持っています。2004年にリニューアルしたブルックリン美術館ですが、かつての建築を残したまま増築がなされました。ブルックリンの町並みのようなレンガ造りの建物としても、大変見ごたえのある美術館です。

ブルックリン美術館の外には、円形の劇場が展示されていたり、自由の女神が展示されていたりと、建物の外も中も見どころ満載です!

ブルックリン美術館の所蔵品・展示

ブルックリン美術館の所蔵品数はなんと約150万点というのですから、驚きです。ニューヨークにある美術館の中でも、メトロポリタン美術館に次ぐ所蔵数を誇っているブルックリン美術館。約8700点以上にのぼる古代エジプト美術を中心に、アフリカやアジアの美術品、コロニアル・アートや現代アートまで、幅広く所蔵・展示が行われています。
”美術館”という呼称ですが、古代エジプトのミイラや土偶なども展示されていることから、歴史の遺物も一緒に見ることのできる貴重な展示の場となっています。また、ブルックリン美術館では西洋画だけでなく、日本の浮世絵も観ることができます。

このように、ブルックリン美術館のコレクションは個性的であり、人はブルックリン美術館のことを「小さなルーブル美術館」や「小さな大英博物館」とも呼ぶんだとか。所蔵作品や展示のコレクションのジャンルはとても幅広いため、来場者を飽きさせません。
ブルックリン美術館では、どのような作品を常設展でみることができるのでしょうか。ここで、ブルックリン美術館の主な作品および展示品をご紹介します。

《Book of the Dead of the Goldworker of Amun, Sobekmose》紀元前約1500~1480年

(Public Domain /‘Bamboo Yards, Kyōbashi Bridge’by Hiroshige. Image viaWIKIMEDIA COMMONS)

本作品は、ブルックリン美術館の所蔵品の中でも大変貴重なものとなっています。通称「死者の書」と呼ばれるこれらの作品は、パピルスという種類の当時の紙に書かれた、絵とヒエログリフを以て死者の冥福を祈り、死者と共に埋葬された葬祭文書です。

古代エジプトに関する美術品の所蔵数が世界第3位を誇るブルックリン美術館だからこそ、貴重なこの「死者の書」が所蔵されているのです。

《名所江戸百景》1856年~1858年歌川広重

(Public Domain /‘Moonlight View of Tsukuda with Lady on a Balcony’by Hiroshige. Image viaWIKIMEDIA COMMONS)

本作品は、日本の浮世絵師である歌川広重によって作られた連作浮世絵名所絵です。歌川広重の晩年の作品であり、死の直前まで制作が続けられていた作品としても有名な本作品は、その完成を見ることなく歌川広重が亡くなったため、二代目歌川広重が輔筆した作品です。

歌川広重が生涯に描いた浮世絵の数は、なんと20,000点といわれています。何気ない江戸の風景を、遠近法や俯瞰、鳥瞰を駆使して描いた斬新な作品の数々は、江戸時代にはベストセラーとなります。

本作品に端を発し、ゴッホをはじめとする海外の有名画家達がこぞって歌川広重の作品を模写したことで生まれたのが、『ジャポニズム』というワードなのです。ブルックリン美術館は、本作品を完全セットで見られる、大変貴重な美術館です。

歌川広重はペンネームで、本名は安藤重右衛門(あんどうじゅうえもん)と言いました。1797年に江戸(現在の東京都千代田区)で生まれた歌川広重は、12歳の頃に相次いで両親を亡くし、父の稼業であった消防組織の定火消の仕事を継ぎます。しかし、どうしても幼少のころから持っていた絵に対する情熱が冷めやらず、画家を目指すようになります。こうして、歌川派と呼ばれる浮世絵の流派のひとり・歌川豊広の弟子として活動を始めました。

17歳で歌川広重の名前を与えられ、浮世絵師としてデビューした歌川広重は、主に女性を描く美人画や歌舞伎役者を描く役者絵を中心に活動します。

(Public Domain /‘Arashi Ryūzō I as Ishibe Kinkichi in the Play “Hana Ayame Bunroku Soga”’by Tōshūsai Sharaku. Image viaWIKIMEDIA COMMONS)

歌川広重は結婚後も浮世絵師として働く傍ら、ときどき定火消の仕事もこなすダブルワーカーとして活動しています。
で発表したのが、浮世絵の風景画《東都名所拾景》という作品です。この作品がきっかけで、歌川広重の描く風景画は日本だけでなく、世界に広がることとなったのです。

35歳で幕府に任命されて京都に旅立つのですが、この旅の道中を描いたのが傑作《東海道五十三次》です。
その後は歴史画をはじめ、春画鵜やすごろく、狂本などの挿絵を手掛けており、数多くの作品を残していきます。
しかし、当時流行っていたコレラという感染症が歌川広重を襲い、惜しまれつつも62歳でこの世を去るのです。

《二代目嵐龍蔵の金貸石部金吉》1794年東洲斎写楽

(Public Domain /‘Arashi Ryūzō I as Ishibe Kinkichi in the Play “Hana Ayame Bunroku Soga”’by Tōshūsai Sharaku. Image viaWIKIMEDIA COMMONS)

本作品は、江戸時代に活動していた謎多き浮世絵師・東洲斎写楽が描いた代表的な取材作品です。寛政6年(1794年)5月に上演された歌舞伎「花菖蒲文六曽我」において、歌舞伎役者の二代目嵐龍蔵が金貸石部金吉役を演じた場面を描いています。本作品は現存確認ができているのものが22点ありますが、そのうちの1点がブルックリン美術館に所蔵されています。

東洲斎写楽はわずか10か月程度の活動後、突然姿を消した謎の浮世絵師としても有名です。その正体は現在も諸説ありますが、最も有力なのは斎藤十郎兵衛(さいとうじゅうろうべい)と呼ばれる能役者という説です。

僅か10か月の活動期間の中で東洲斎写楽が残した作品は、145点ほど。主に歌舞伎役者を描いた役者絵、力士の似顔絵や土俵入りの姿を描く相撲絵の浮世絵を描いていました。似顔絵のようではありますが、東洲斎写楽の描く浮世絵はデフォルメが特徴で、目のしわや鼻や口の形といった顔の特徴を大げさにかつダイナミックに描いています。

おわりに

ブルックリン美術館には、上記以外にも数多くの有名画家の作品や、注目すべき所蔵・展示作品があります。

また、月に一度、第一土曜日には開館時間を延長し、「ナイトミュージアム」を行っています。しかもこれが無料で開放されるというのですから、行くしかありませんね!展示だけではなく、ミュージックイベントなどの様々なイベントも催されているようですので、ブルックリン美術館をまた違った角度で楽しむことができますよ。

普段の日も「ナイトミュージアム」も余すことなく楽しめるブルックリン美術館に、ぜひ訪れてみましょう!

※本記事はコロナウイルス感染拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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