メトロポリタン美術館:世界中のあらゆる美術作品を所蔵するニューヨークの美術館

メトロポリタン美術館はアメリカ・ニューヨークにある世界有数の美術館です。古代エジプトやヨーロッパ、アジアの美術作品など、世界中の多くの美術作品を所蔵しています。そんなメトロポリタン美術館の歴史と、主な所蔵品について詳しく解説します。

メトロポリタン美術館とは

メトロポリタン美術館は、アメリカ・ニューヨークのセントラルパーク東側にある美術館です。1870年にニューヨークの有力者であるユニオン・リーグ・クラブのメンバーを中心に創設され、1872年に現在の場所へ移転し開館します。C・ボークス(1824―95)によって設計された建物は、数十回にわたって増改築されています。この美術館の運営は非営利団体である評議員会が行い、施設の維持管理と警備はニューヨーク市が行っています。メトロポリタン美術館は世界有数の規模を誇る美術館ですが、私立の美術館であることが最大の特徴といえるでしょう。

メトロポリタン美術館の運営は非営利団体が行っているため、2018年2月までは入館料を設定せず、善意の寄付という形で見学者は入館料を支払うことになっていました。2018年3月からは諸事情により、ニューヨーク州、ニュージャージー州、コネチカット州の学生と、ニューヨーク州在住者以外は、大人25ドル、シニア17ドル、学生12ドルを支払うことになっています。12歳以下の子どもは無料です。

また1938年にフランスの修道院建築のクロイスターズがマンハッタン北部に移建された際には、メトロポリタン美術館に所蔵されていた中世の美術品が一部クロイスターズに移され、分館として開館しました。現在はクロイスターズ美術館と呼ばれています。

メトロポリタン美術館の所蔵品

メトロポリタン美術館の所蔵品は300万点以上あります。5000年前の古代エジプトの建築物や棺などの埋葬品などから、中世そして近現代までの美術作品はもちろんのこと、アジアの美術作品・イスラム世界の美術作品なども揃っています。一日では見て回ることができないほどの所蔵品の数です。膨大な所蔵品の数々は美術館の基金で購入した作品のほかに、多くの個人コレクターからの寄贈によってコレクションされています。

そんなメトロポリタン美術館のコレクションにはどのような作品が含まれているのでしょうか?主要な作品を紹介します。


≪少女≫1665年-1667年頃ヨハネス・フェルメール

(Public Domain /‘Study of a Young Woman’by Johannes Vermeer. Image viaThe Metropolitan Museum of Art)

本作品は、オランダの画家ヨハネス・フェルメールによって注文主の依頼に応じて製作されました。

ヨハネス・フェルメールは1632年生まれのバロック期を代表するオランダの画家です。正確な写実と緻密な構成、光を巧みに取り入れることで現れる質感は素晴らしいものであり、人気の高い画家です。本名はヤン・ファン・デル・メール・ファン・デルフトです。レンブラントとともに17世紀のオランダの代表的な画家として認識されています。特に日本で広く知られているフェルメールの作品は、「真珠の耳飾りの少女」でしょう。

フェルメールは1654年頃から画家としての活動を始めます。その後1675年に死去するまでの約20年間に製作した絵画は50作品ほどといわれています。そのうち現存している作品は、鑑定中のものを含めて36点ほどです。このように、フェルメールの作品はとても希少といえるでしょう。

(Public Domain /‘Girl reading a letter at an open window’by Johannes Vermeer. Image viaWIKIMEDIA COMMONS)

フェルメールの作品「窓辺で手紙を読む女」の背景の白い壁の下にキューピットが描かれていることが1979年にエックス線撮影で確認され、2019年にはキューピットの上半身が復元されています。完全修復には約1年かかるといわれています。

本作品は何かと話題の多いフェルメールが1665年から1667年頃に描いたとされる作品です。この作品の構図や作品の大きさが「真珠の耳飾りの少女」ととてもよく似ていることから何らかの関連性がある作品ではないかといわれています。また本作品のモデルはフェルメールの娘であるといわれています。

≪八橋図≫1709年以降尾形光琳

(Public Domain /‘Irises at Yatsuhashi (Eight Bridges)’by Ogata Kōrin. Image viaThe Metropolitan Museum of Art)

本作品は、日本画において独自の画風を確立した尾形光琳によって1709年以降に描かれています。

尾形光琳は1658年京都にあった呉服商「雁金屋(かりがねや)」の次男として生まれました。

生家が裕福であったため幼いころから能や書道などを学び、親しんでいました。また無類の遊び好きで、浪費家だったといいます。さほど美男子ではなかったようですが、巧みな話術を持ち、人を引き付ける性格だったといわれています。

尾形光琳が30歳のころ父が亡くなり、光琳の兄が家督を継ぎますが、当時はすでに家業は傾いていたようでかなり困窮した生活を送っていました。光琳はそれでも遊びが辞められず、父が彼のために残した膨大な遺産もすぐに使い果たしてしまいます。最後には弟にも借金するまでに困窮することになりますが、光琳が絵を描くようになったきっかけは生活の困窮があったためと考えられています。

生活が困窮していた光琳が絵を本格的に書き出したのは、40歳の頃です。その後44歳の時には「法橋(僧位で最高位、絵師などにも与えられた)」となり、本格的に絵を描き始めます。光琳の絵は当時からとても人気があり、公家、大名などのパトロンに恵まれていました。光琳はなくなる1716年までの十数年間、いろいろな作品を生み出しています。光琳の作品は詳しい制作年度がわからないものがほとんどですが、本格的に絵を描き始めたころの作品には「法橋光琳」の落胤が押されています。

(Public Domain /‘Irisis’by Ogata Korin. Image viaWIKIMEDIA COMMONS)

本作品は10年ほど前に光琳が描いた『燕子花図』とほぼ同じモチーフで描かれています。『燕子花図』との唯一大きな違いは、こちらには八橋の一部が描かれていることです。題材は古典の「伊勢物語」の第9段・八橋です。燕子花はとても自然に横からの視点で描かれ、八橋は上からの視点で描かれることによって全体的にある種の緊張感を持たせています。さらに、あえて人物を描かないことで静寂と孤独がうかがえ、見る人に独自の存在感を与えています。

おわりに

メトロポリタン美術館は世界でも有数のコレクションを所蔵している美術館です。古代エジプトから現代までの人類が築いてきた、多くの芸術作品を地域やテーマごとにじっくりと楽しむことができます。

※本記事はコロナウイルス感染拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

関連記事一覧