ワシントン・ナショナル・ギャラリー:ワシントン観光では外せない充実した美術の世界

ワシントン・ナショナル・ギャラリーは、アメリカ合衆国の首都ワシントンD.C.にある国立美術館です。銀行家のアンドリュー・メロンが自身のコレクションと美術館設立の基金をアメリカ連邦政府へ寄贈したことが発端となり、1941年に開館しました。アンドリュー・メロンの意向により、誰でも入れる美術館としてなんと今もなお入場無料となっています。多くの資産家たちによる寄付や寄贈のもと規模を拡大したワシントン・ナショナル・ギャラリーは、世界に誇る美術館へと成長を遂げたのです。

ワシントン・ナショナル・ギャラリー

ワシントン・ナショナル・ギャラリーは、1941年にアメリカの首都ワシントンD.C.に開館した国立美術館です。設立したのは、アメリカの銀行家で実業家、美術品収集家でもあるアンドリュー・メロンという人物。財務長官としてワシントンに勤務していた際、他先進国と同じような国立美術館の建設を発案したことがきっかけで建設が始まりました。アンドリュー・メロンはワシントン・ナショナル・ギャラリーの建設にあたり、自分の所持するコレクション150点以上を寄贈し、さらに美術館建設のための基金もアメリカ連邦に寄贈しています。

最初に誕生したのはワシントン・ナショナル・ギャラリーの西棟部分、そして新館として東棟が1978年に誕生しました。以降も資産家たちによる寄付や寄贈によって支えられたワシントン・ナショナル・ギャラリーは、世界に誇ることのできる美術館となったのです。

またアンドリュー・メロンは、ワシントン・ナショナル・ギャラリーを「誰でも入れる美術館」としました。その意思は現在も引き継がれ、入場料無料で誰でも訪れることができる場所となっています。

ワシントン・ナショナル・ギャラリーの所蔵品・展示

ワシントン・ナショナル・ギャラリーは前述の通り、アンドリュー・メロンの寄贈した美術作品をはじめ、資産家たちによる寄贈の作品群が集約されています。その数なんと2,000点以上。西棟では、20世紀初頭までの絵画や彫刻作品が展示され、東棟では現代美術を中心とした展示がされています。また、西棟の西には彫刻庭園もあるので、余すことなく美術作品を楽しめるのも特徴です。

ワシントン・ナショナル・ギャラリーは大変貴重な作品が数多く所蔵されているのもの特徴です。北米に1枚しか存在しないレオナルド・ダ・ヴィンチの絵画や、アメリカ国内ではモネの作品の所蔵数はワシントン・ナショナル・ギャラリーがナンバー1と、注目すべき点が盛りだくさんです。

では、ワシントン・ナショナル・ギャラリーでは、どのような作品を常設展でみることができるのでしょうか。ここで、主な作品および展示品をご紹介します。

《ジネブラ・デ・ベンチの肖像》1474-1478年頃レオナルド・ダ・ヴィンチ

(Public Domain /‘Ginevra de’ Benci’by Leonardo da Vinci. Image viaWIKIMEDIA COMMONS)

本作品は、イタリアのルネサンス期を代表する芸術家レオナルド・ダ・ヴィンチが、若い時に描いた貴重な絵画作品です。なんと、パリのルーブル美術館に所蔵されている《モナ・リザ》よりも前に描かれているそうです。モデルとなった女性は、15世紀のフィレンツェ貴族出身の女性ジネブラ・デ・ベンチで、彼女の結婚記念に製作された作品と考えられています。

展示では絵画の裏も観ることができ、ラテン語で「美は徳を飾る」というジネーヴラの象徴を示唆した文言が記載されています。その繊細なデザインにも注目です。

こちらの絵画を購入するにあたり、ワシントン・ナショナル・ギャラリーはリヒテンシュタイン公家から買い取ったようで、金額は当時最高額の500万ドルだったのだとか。

(Public Domain /‘Portrait of Leonardo da Vinci’by Portrait of Leonardo da Vinci. Image viaWIKIMEDIA COMMONS)

レオナルド・ダ・ヴィンチ(以下レオナルド)は、1452年にトスカーナのヴィンチという村で生まれました。名前の「ダ・ヴィンチ」というのは、イタリア語の「ヴィンチ村出身」であることを意味しています。レオナルドは芸術だけでなく、音楽や数学、幾何学、生物学など様々な分野に精通した人物で、若い頃は美男子だったといわれています。

14歳のころに、フィレンツェで最も優れた工房のひとつを主催していた芸術家ヴェロッキオの元へ弟子入りし、めきめきとその才能を発揮していきます。ここでは絵画や彫刻だけではなく、金属加工や木工など、様々な分野にまでその才能を咲かせていました。あまりの上手さに、師匠であるヴェロッキオが絵描きを止めてしまったという逸話も残されています。

しかし、以降のレオナルドはスランプに陥り、請け負った仕事を完成できずに投げ出すこともありました。遅筆というコンプレックスを抱えていたようです。

さらに、同性愛者であるということで訴えられた上に、イタリアの不景気と、災難が次から次へとレオナルドを襲うのです。

レオナルドはそんな困難を乗り越え、40代半ばであの有名な絵画《最後の晩餐》の制作依頼を受けるのです。この作品を最後までやり遂げることができたレオナルドは、世間から高い評判を集めます。この《最後の晩餐》以降、レオナルドは《モナ・リザ》などの作品を手掛けるようになるのでした。

利き手だった左手が言うことを聞かなくなると絵描きのほうでの活動は縮小し、最後は67歳で亡くなるのでした。

《散歩、日傘をさす女性》1875年クロード・モネ

(Public Domain /‘Woman with a Parasol -Madame Monet and Her Son’by Claude Monet. Image viaWIKIMEDIA COMMONS)

本作品は、印象派を代表するフランスの画家クロード・モネが描いた作品です。日傘をさした女性は、クロード・モネの最初の妻であるカミーユで、そばにいる男の子は長男のジャンがモデルとされています。

このころのクロード・モネは、本作品のように日傘をさした女性と子供をモデルとした絵画をたくさん描いています。

(Public Domain /‘Claude Monet’by Nadar. Image viaWIKIMEDIA COMMONS)

1840年にパリで生まれたクロード・モネは、かねてより絵画の才能に溢れていたそうです。18歳の頃に風景画家ウジェーヌ=ルイ・ブーダンと出会ったことで、戸外での油絵制作を学びます。その後パリで絵画の勉強をはじめたクロード・モネは、ルノワールらと知り合うのでした。

1865年にサロン・ド・パリという公式展覧会に初入選し、以降はサロンへの挑戦を続けていきます。このころから本作品のモデルとなったカミーユと交際を始め、長男が誕生しています。

日本の絵画にも関心が高かったクロード・モネは、自身も多数の浮世絵コレクションを所持していたことでも有名です。1860年代のモネの作品には、浮世絵画家の歌川広重や葛飾北斎の作品をモチーフにしたものもあります。

1890年代に入ると、画家として認められるようになったクロード・モネは、少しずつ名声をあげ、国家が作品を買い上げるまでに成長します。この頃から、睡蓮の池で有名な「水の庭」を作り、《睡蓮》などの作品を描きます。

晩年のクロード・モネは、白内障に罹患し、視力障碍に悩まされます。しかし、それでもクロード・モネの創作魂は燃え尽きることはなく、86歳に肺硬化症で亡くなります。

おわりに

ワシントン・ナショナル・ギャラリーには、上記以外にも数多くの有名画家の作品や、注目すべき所蔵・展示作品があります。これらが無料で開放されているなんて、信じられないですよね。

ワシントン・ナショナル・ギャラリーでは、オーディオガイドも完備されていて、こちらはなんと無料!通常であれば料金がかかる美術館が多い中、ワシントン・ナショナル・ギャラリーはこういった面においても「誰でも」楽しめる場所を提供しているのです。

ワシントン・ナショナル・ギャラリーに足を運ぶ際は、是非オーディオガイドも借りて、作品をより深く楽しみましょう。これだけでも満足すること間違いありません!

※本記事はコロナウイルス感染拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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