カッラーラ美術館:15~19世紀の絵画作品を中心としたイタリアを代表する美術館

カッラーラ美術館は、イタリア・ベルガモに位置する美術館です。そのルーツは、芸術活動のパトロンとして、または美術収集家として数多の芸術作品を集めていたジャコモ・カッラーラ伯爵のコレクションから始まります。ボッティチェリやベリーニ、マンテーニャといったイタリア・ルネサンス期に活躍した画家の絵画作品を中心に、実に多くのコレクションを所蔵・展示しています。今回は、イタリアを代表する美術館の一つであるカッラーラ美術館について、代表的な所蔵品を交えつつご紹介していきます。

カッラーラ美術館とは

カッラーラ美術館は、イタリアの中世の顔を色濃く残す町並みで有名なベルガモにあります。現代に至るまで悠々とそびえ立つ建物は、1810年に建築家レオポルド・ポラックの弟子であるシモーネ・エリアによって設計・竣工されました。カッラーラ美術館は、芸術活動のパトロンであり、数多の美術品を蒐集していたジャコモ・カッラーラ伯爵の優れたコレクションから始まっています。伯爵は、父から受け継いだ遺産によって絵画作品などの優れた芸術作品を蒐集し、当時のベルガモにおいて有数の美術コレクターとなりました。こうしたコレクションは邸宅では収まりきらなかったため、美術館が設立されました。のち1793年に一般公開されるようになりました。

1796年にカッラーラ伯爵が亡くなると、後継者のいなかった伯爵の妻と親族らで結成した民間財団が代理人となり、美術品や美術館の管理を行うようになります。ここで、カッラーラ美術館の現在に至るまでの基盤が完成します。その後1958年以降は、ベルガモのコムーネ(基礎自治体)が直接管理するようになりました。

またカッラーラ伯爵は美術館が一般公開されたのと同じ時期に、ドローイングや絵画を学ぶことができる美術学校を美術館に併設させました。1912年まではカッラーラ美術館と同じ建物の中に学校がありましたが、現在は別の建物で運営されています。その後1988年以降は公認のアッカデミア・デイ・ベッレ・アルティ(美術アカデミー)に昇格し、現在まで数多くの若い才能を育む場として存在しています。

さらに、1991年にはカッラーラ美術館の裏手にあった女子修道院を改修した近現代美術ギャラリー(GAMEC)が併設され、20世紀イタリア及び世界中の近現代美術作品が数多く集っています。その中には、『空間における連続性の唯一の形態』でお馴染みのウンベント・ボッチョーニやシュルレアリスムの大家ジョルジョ・デ・キリコ、『コンポジション』シリーズを手掛けたワシリー・カンディンスキーなど、優れた芸術作品を多数所蔵・展示しています。

カッラーラ美術館の所蔵品

カッラーラ美術館のコレクションは、カッラーラ伯爵が残した遺産としてのものだけでなく、寄付や購入によっても賄われています。メインは15~19世紀の絵画作品で、ボッティチェリやベリーニ、マンテーニャといったイタリア・ルネサンスを代表する巨匠が手掛けた作品を多数収蔵しています。また、絵画作品のみならず、ドローイングや版画、ブロンズ像、彫刻、陶磁器、家具、メダルなどジャンルを問わず実に多種多様な芸術作品を所有しています。その所有数は全体で16,000点以上、2006年には絵画作品のコレクション数が1,800点以上にも及んだそうで、イタリアの中でも特に有数の美術館としての貫禄を示しています。

そんなカッラーラ美術館のコレクションには、どのような作品が含まれているのでしょうか。主要な作品をご紹介します。

《聖セバスティアヌス》1501年~1502年頃ラファエロ・サンツィオ

(Public Domain /‘St. Sebastian’by Raphael. Image viaWIKIMEDIA COMMONS)

本作品は1501年から1502年ごろにラファエロ・サンツィオが20歳になる前に手掛けられました。キリスト教の聖人にして殉教者である聖セバスティアヌスをモデルに描いた肖像画です。聖人を証明する光輪や、繊細な細工が施された衣服、優美で女性的な姿が描かれています。まるで体温を感じさせるようなつややかな肌は生気があふれ、その表情は穏やかながらも、果たしてどこに向けて投げかけているのか分からない視線の向きによって神秘的な雰囲気を表現しています。右手に握られている1本の矢は、聖セバスティアヌスの殉教を示すアトリビュートです。

聖セバスティアヌスをモチーフとした宗教画は、マンテーニャの『聖セバスティアヌスの殉教』などのように柱に縛られて矢を射られる姿で描かれることが多いのですが、本作品はあくまで1本の矢で殉教を暗示するのみにとどまっています。殉死の痛ましいイメージを感じさせず、聖セバスティアヌスという一人の聖人の神性やあり方が本作品からは伝わってきます。

聖セバスティアヌスは、3世紀のディオクレティアヌス帝時代に活躍した聖人で、当時のキリスト教迫害で殉死したとされています。また、黒死病あるいは兵士の守護聖人としても知られていて、グンブルト王時代に黒死病の大流行がロンバルドを襲ったときに、パヴィア地方にある聖ペテロ教会で聖セバスティアヌスの祭壇を建てたことで、流行が治まったというエピソードが『黄金伝説』に残されています。

《チェーザレ・ボルジア》1513年アルトベロ・メローネ

(Public Domain/‘Portrait of GentlemanakaCesare Borgia.’by Altobello Melone. Image viaWIKIMEDIA COMMONS)

本作品は、イタリア・ルネサンス期の画家アルトベロ・メローネによって1513年頃に描かれました。グリエルモ・ロキス伯爵のコレクションの中で最も有名な絵画の一つとされ、モデルはルネサンス期に活動したヴァレンティーノ公チェーザレ・ボルジアで、軍人または政治家として辣腕を振るった人物とされています。

チェーザレの肖像画で現存するものは彼の死後に描かれたものとされ、本作品もチェーザレが亡くなった6年後に描かれています。生前描かれたチェーザレの肖像画は、かの巨匠レオナルド・ダ・ヴィンチによって描かれた26歳頃のスケッチや、バチカン美術館にあるボルジアの間に描かれたチェーザレとされている肖像のみで、残りはチェーザレの死後、ボルジア家に関する肖像画がユリウス2世によって焼却されたため、残されていないとされています。

チェーザレは軍人として、政治家としても実力がありながら容姿端麗であったとして知られ、『君主論』の作者マキャヴェッリからも「容姿ことのほか美しく堂々とし、武器を取れば勇猛果敢であった」と称されたほどだったそうです。

出典:チェーザレ・ボルジア

一方で非常に苛烈な人物であったとされ、一族の権力を不動のものにするためであれば暗殺や謀殺なども手段を選ばなかったそうです。本作品で描かれているチェーザレは堂々とした軍人然としつつ、どこか冷淡な政治家としての顔も見られ、チェーザレ・ボルジアという人物の底知れなさを物語っています。

《キリストと信者》1518年モレット・ダ・ブレシア

(Public Domain /‘Christ carrying the cross before a kneeling figure’by Moretto da Brescia. Image viaWIKIMEDIA COMMONS)

本作品は主にブレシアで活動した画家モレット・ダ・ブレシアが、1518年頃に制作しました。十字架を抱えるキリストの元には、跪いてキリストを崇拝する信者が、曇り空の隙間から指す光の中には3人の天使が描かれ、キリストはその天使たちの方に視線を向けながら信者に対して手を差し伸べています。

背景は暗く、陰惨な様子が漂いながらも、キリストは活気を感じさせるように描かれていて、暗い風景の中でまるで輝くようにキリストが存在しています。また、逆さまに開いた本や壊れた碑石などが意味深に置かれ、これらのモチーフは臨場感とともにキリストが信者に与える救いも表しているとされています。

おわりに

カッラーラ美術館では、15世紀から19世紀の絵画作品だけでなく、ドローイングや版画、彫刻などの優れた芸術作品を余すところなく堪能することができます。特にイタリア・ルネサンス期の作品は見どころが多く、ルネサンスファンであれば満足できるほどコレクションが充実しています。

※本記事はコロナウイルス感染拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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