インドネシア国立博物館:インドネシアの遺産を2世紀以上に渡って守り続ける博物館

インドネシア国立博物館は、インドネシア・ジャカルタにある博物館です。コレクションの充実度は東南アジア全域から注目を集めており、インドネシアの歴史に関わる出土品・美術品の展示はもちろん、研究・教育機関としても大きな役割を果たしています。そんなインドネシア国立博物館の歴史と所蔵品について、詳しく解説していきます。

インドネシア国立博物館とは

インドネシア国立博物館はインドネシアのジャカルタにある博物館で、1778年に設立されました。

1778年当時、オランダの植民地であったインドネシアには多くのオランダ人が居住していました。彼らのなかには歴史・考古学・民俗学などを専門とするオランダ人グループが存在し、研究と発表のために王立バタビア芸術科学協会を設立します。そして、創設者のひとりであるレーダーマッハーが、文化財や書籍のコレクションを自分の家ごと寄贈しました。この家が、インドネシア国立博物館の最初の姿です。

しかし、レーダーマッハーの家はすぐにコレクションでいっぱいになったため、ジャランマジャパヒトで博物館の建設計画が始まります。完成後にはコレクションを全て移動し、その新たな建物で展示を再開しますが、何年かたつとその博物館でも収容しきれないコレクション数となりました。

1862年、オランダ領東インド政府はさらに大きな展示スペース・保管スペースを有する博物館の建設を決定します。この博物館こそが現在も使用されている建物で、1868年に一般公開がスタートしました。その後、1950年に王立バタビア芸術科学協会がインドネシア文化研究所に改名し、1962年9月17日には博物館の管理をインドネシア政府に任せることになりました。インドネシア政府は名称を中央博物館に変更しましたが、コレクションの重要度から1979年5月28日に国立博物館に認定しています。

現在は、インドネシアの歴史的に重要な遺産の展示・保存・管理・研究・教育の一大拠点となっています。また、インドネシアの人々には「Gedung Gajah(象の建物)」「MuseumGajah(象の博物館)」の名で親しまれています。これは、1871年に博物館を訪問したタイのチュラロンコン王が贈呈した青銅製の象に由来します。

インドネシア国立博物館の所蔵品

インドネシア国立博物館、は考古学資料・工芸品・美術品・民俗衣装・装飾品・建築模型など約14万点をコレクションしています。人間が文明を持つ以前の貴重な資料も多くあり、インドネシアの歴史を研究する上で重要な役割を果たしています。

そんなインドネシア国立博物館のコレクションには、どのような作品が含まれているのでしょうか。主要な3作品をご紹介します。

《パドラオ》1522年制作者不明

本展示品は1522年に安山岩で制作された記念碑です。

ヨーロッパ大航海時代、当時のジャカルタはスンダ王国の港として各国の商人の居住地として栄えていました。しかし、イスラム王国からの侵攻の危機があったため、スンダ国王はポルトガルに助けを求めます。内容としては、平和条約の締結・唐辛子の取引・主要港にポルトガルが砦を建設することなどです。アジアで次々に貿易拠点を構えていたポルトガルは、この提案を受け入れました。

そして、1522年にポルトガル船が初めてこの地を訪れ、貴重な唐辛子を本国へ持ち帰ります。ポルトガルとスンダ王国の貿易協定は1522年に合意され、条約の2通の文書はそれぞれの国で保管されました。

本展示物は、1918年にジャカルタで行われた埋め立て工事の際に発見されました。ポルトガルとスンダ王国の貿易協定合意を記念して制作されたもので、パドラオにスンダ語の文章が彫られています。パドラオとはポルトガルの記念石のことで、新しい土地を発見したときに建てるのが当時のポルトガルの習慣でした。

《アディティアヴァルマンの像》制作年不明作者不明

本作品は、西スマトラ州のパダングロコで発見された高さ4mの石像です。当博物館の展示物のなかでも特に注目を集めています。

モチーフは、中央スマトラのマラヤプラを統治していたアディティアワルマンです。彼は1294年~1310年頃に誕生したと考えられていて、成長後はマジャパヒト帝国から大臣職を与えられ、主に軍事部門を拡大することに成功しました。マジャパヒト帝国がスマトラの東海岸を征服した背景には、アディティアワルマンの活躍があったのです。

1347年頃にはパガルユン王国を設立し、1375年まで統治します。この地でアディティアワルマンは、金の貿易管理を行っていました。この時代に制作された碑文や石の彫像が、西スマトラの首都バトゥサンカルに近い丘で発見されており、かつて王宮のあった場所だと考えられています。

本作品はアディティアワルマンがバイラヴァになった姿を表現した彫刻作品です。バイラヴァとはヒンドゥー教のタントラ神のことで、「恐ろしい」という意味をもつ単語「bhīru」に由来します。ヒンドゥー教においてバイラヴァは、信者を恐ろしい出来事や敵から守ってくれる存在として崇められていました。このことから、当時の人々にとってアディティアワルマンがとても信頼されていたことが読み取れます。


《海峡地図》1729年ピーター・ファン・デル・アー

(Public Domain /‘Sunda Strait Map’by Pierre Van Der Aa. Image viaWIKIMEDIA COMMONS)

本作品は1729年にオランダの出版経営者ピーター・ファン・デル・アーが作成したものです。

ピーター・ファン・デル・アーは1659年にドイツのホルスタインで生まれました。1683年からはリーデンの貿易出版社に勤務し、医学と科学に関する本の出版を担当します。その後、地図の発表を始め、編集作業も自身で行うようになりました。独立して印刷業を営むようになると、多くの絶版地図を再発行します。1715年からはリーデン市と大学の印刷を請け負うようになり、市内で最も有名な印刷会社になりました。

本作品は、スマトラ島・ジャワ島の間にあるスンダ海峡の海の深さを示した海峡地図です。よく見ると細かな数字が書かれており、地形にそって海の深さが変化していることが分かります。

おわりに

インドネシア国立博物館はジャカルタにある博物館で、インドネシアという国の成り立ちや人々の生活に繋がる展示物を数多く公開しています。東南アジアでも指折りの充実した博物館で、石像・装飾品・遺跡からの出土品など、バラエティに富んだ展示品は非常に見応えがあります。

※本記事はコロナウイルス感染拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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