ブレディウス美術館:偉大な美術収集家ブレディウスの美術館

ブレディウス美術館は、マウリッツハイス美術館の館長を務めた美術収集家であり鑑定家、またレンブラント研究家であったアブラハム・ブレディウスの個人コレクションを展示している美術館です。17世紀オランダの絵画と銀細工、アンティーク家具、磁器をコレクションとしており、家庭的な雰囲気で質の高い展示の美術館となっています。

ブレディウス美術館とは

ブレディウス美術館はオランダ、デン・ハーグに位置し、美術収集家で鑑定家、歴史家であったアブラハム・ブレディウスの個人コレクションを展示しています。

ブレディウスは、デン・ハーグにあるマウリッツハイス美術館の館長を1889年から20年に渡って務めたことのある、オランダ絵画界において最も権威ある鑑定家でした。また、著名なレンブラント研究家でもあり、1935年に出版したレンブラントのカタログは国際的に有名な書籍となっています。

1924年から彼は健康上の理由でモナコに居を移していましたが、モナコの気候は美術品の保存に合わないとして、ハーグの自宅にコレクションを残し展示していました。1946年、ブレディウスの死後にハーグ市は彼の邸宅を買い、1955年から美術館として開館させました。しかし、来館者の減少と助成金が停止してしまったことにより、1985年には閉館を余儀なくされました。

のち、ハーグ市の芸術愛好家達によって“ブレディウス協会”が結成され、美術館の運営資金が確保できるようになります。1990年には現在のビネンホフ(議事堂)前の18世紀の邸宅に移転し、再開館しました。ブレディウスのコレクションであるアンティーク家具も展示され、家庭的な雰囲気で質の高い展示をしている美術館となっています。

ブレディウス美術館のコレクション

ブレディウス美術館は黄金期オランダ、レンブラントをはじめ、ヤン・ステーン、アドリアーン・ファン・オスターデなどの絵画約150点の他、銀細工、アンティーク家具、磁器を含む作品をコレクションしています。レンブラントの素描を多数所蔵しており、巨匠作品の基礎を知ることができる興味深い展示が構成されています。

また、コレクションの銀食器や磁器による優雅なテーブルセッティングも展示されており、アンティークの世界に入り込んだかのような雰囲気を楽しむことが出来ます。

そんなブレディウス美術館のコレクションには、どのような作品が含まれているのでしょうか。主要な作品をご紹介します。

《キリストの胸像》制作年不詳レンブラント・ファン・レイン

(Public Domain /‘Christ’by Rembrandt. Image viaWIKIMEDIA COMMONS)

本作品はオランダの巨匠、レンブラント・ファン・レインによって描かれた作品です。

レンブラント・ファン・レインは17世紀オランダ、バロック期の巨匠であり、その巧みな明暗法の表現から、“光と影の画家”とも呼ばれています。彼は肖像画、風景画、風俗画、歴史画や宗教、神話的な絵画まで幅広いジャンルを多様な様式で描きました。油彩だけでなく版画やエッチングなどでも優れた作品を残している、まさに巨匠の大画家です。また、彼は生涯において成功を極めた後に転落を経験するという、まさに“光と影”の激動の人生であったことでも知られています。

1606年、レンブラントは製粉業を営む裕福な家庭に生まれました。ライン川近くに住んでいたため、姓は“ライン川の”を意味するファン・レインとなっています。1620年、14歳の時に飛び級でライデン大学に入学しますが、絵画への情熱から中退し、画家に弟子入りをします。

絵画の基礎を3年間修業した後、当時の一流画家、ピーテル・ラストマンに師事します。ここでイタリアのカラヴァッジョ派にみられる明暗技法や物語性の表現などを学びました。1625年に故郷のライデンにアトリエを開き、1628年には弟子を持つようになります。そして1632年「トゥルプ博士の解剖学講義」を発表し、革新的な描き方の集団肖像画で注目を集めます。この頃から、レンブラントは画家として高い評価を得るようになりました。

(Public Domain /‘Saskia van Uylenburgh, the Wife of the Artist’by Rembrandt. Image viaWIKIMEDIA COMMONS)

1634年、レンブラントは元市長の娘、サスキア・ファン・アイレンブルフと結婚します。サスキアとの結婚でレンブラントはアムステルダムの市民権、彼女の多額の持参金、そして富裕層へのコネクションを手に入れます。また、画家組合である聖ルカ組合のメンバーになったのもこの頃のことでした。
サスキアは、レンブラントの幸運の女神でした。また、レンブラントにとって絵画のミューズでもあったようで、彼女をモデルとして複数の作品が残されました。

しかし、1635年からレンブラントとサスキアは授かった子供達が相次いで亡くなるという悲劇に見舞われます。男児1人と女児2人がいずれも生後1、2か月で死去しており、夫婦の子供で成人したのは1641年に生まれたティトゥスという息子だけでした。

(Public Domain /‘The Night Watch’by Rembrandt. Image viaWIKIMEDIA COMMONS)

この頃、レンブラントは画家として大成功をおさめ、多くの弟子をとり、富と名声を手に入れていました。豪邸や絵画の資料を大量に購入するなど浪費癖がつき、散財するようになっていってしまいました。1642年、レンブラントは傑作「夜警」を完成させ、画家として不動の地位を手に入れました。しかし同年6月、体調を崩した妻サスキアが29歳の若さで亡くなります。

この頃より、レンブラントは依頼主の趣向より自らの芸術性を優先させる作品を描くようになりました。また、顧客を待たせることも頻繁にあった為、注文数は減少していきます。1649年頃から家政婦ヘンドリッキエ・ストッフェルスと愛人関係になると、以前に愛人であった乳母のヘールトヘ・ディルクスから訴訟を起こされて支払い請求が課せられ、財産を失っていきます。

そして1652年、英蘭戦争が勃発すると絵画の注文は激減します。そのような中でもレンブラントの浪費癖は続いた為、負債は膨れ上がりました。1656年からは邸宅及び財産を競売にかけられ、貧民街ローゼンフラフトに居住を移すことになります。レンブラントは全てを失ったことにより、かえって純粋に芸術と向き合うようになりました。この時期には、それまでより多くの作品を意欲的に制作しています。また、画家としての評価は依然として高かったため、注文も多く入っていました。

しかし、1663年に10年以上レンブラントを支えていたヘンドリッキエが亡くなり、1668年にはレンブラントを助け、幾度となくモデルとして描かれていた息子のティトゥスが26歳の若さで亡くなりました。1669年、レンブラントは63歳でその激動の生涯を閉じ、2人の妻と息子が眠る西教会に埋葬されました。

この「キリストの胸像」では、キリストの胸から上の正面が描かれています。制作年が明確でない作品ですが、レンブラントの息子のティトゥスの面影があるようにも見えます。優しく静かにこちらを見つめるキリストの目は憂いがあり、人生を駆け抜けたレンブラントを見守っているかのようです。

《トビアスとサラの結婚式》1660年頃ヤン・ステーン

(Public Domain /‘The wedding night of Tobias and Sarah’by Jan Steen. Image viaWIKIMEDIA COMMONS)

本作品は1660年頃に制作された作品で、オランダの風俗画家、ヤン・ステーンによって描かれました。

ヤン・ステーンは17世紀の黄金期オランダ、ライデン出身の風俗画家です。肖像画、歴史画、宗教画、静物画、また、寓話やことわざなどを題材にした教訓的な絵画といった幅広いジャンルで作品を制作し、当時非常に人気があった画家でした。なかでも、にぎやかで雑然とした庶民の日常を描いた画家として有名です。「ヤン・ステーン一家」という、散らかっていることを意味するオランダのことわざは、ステーンの風俗画に由来しているそうです。


(Public Domain /‘Self-portrait’by Jan Steen. Image viaWIKIMEDIA COMMONS)

ヤン・ステーンは1626年、醸造業と宿屋を兼業するライデンの家に生まれました。
ドイツ人の画家、ニコラス・クプファーに師事し、1648年には画家の組合である聖ルカ組合をライデンで組織しています。そして風景画家ヤン・ファン・ホイエンに弟子入りし、その後、ハーグ、デルフト、ライデン、ハーレムと移り住み、各地で活躍しています。
1674年にライデンの聖ルカ組合の長になり、1679年に死去しました。
ステーンは生涯で800枚もの絵画を制作したといわれており、そのうち350枚が現存しています。

「トビアスとサラの結婚式」は旧約聖書にあるトビト書のエピソードで、ボッティチェリやレンブラントなど多くの画家達が作品の主題として扱っています。

サラという女性は悪魔にとり憑かれたことにより、7回に渡り新婚初夜に夫が死ぬという悲劇に見舞われます。
哀れに思った神は大天使ラファエルを、サラの叔父トビトの息子であるトビアスとともにサラのもとに向かわせます。
ラファエルは魚を焼いた香りでサラに憑いている悪魔を退治し、トビアスとサラを結婚させました。

(Public Domain /‘Tobias and Sarah’by Nikolaus Knüpfer. Image viaWIKIMEDIA COMMONS)

このエピソードはステーンの師であるニコラス・クプファーも描いており、ステーンは彼の作品からインスピレーションョンを得たといわれています。

右側にはサラとトビアス夫婦がベッドの前で祈る姿、その上には天使達が描かれています。左側には緑の衣を纏った大天使ラファエルが悪魔を縛り、魚を焼いた香りで退治している場面が描かれています。

この絵画はかつて分断され、別々のコレクターに渡っていましたが、1996年に修復、結合されました。

天使の部分はブレディウスが、ベッド側部分はユトレヒト中央博物館が所蔵していたそうです。さらに、上部と右側にも続く部分があると想定されています。完璧な状態ではないながらも、にぎやかに描きこまれたステーンの画面構成が楽しめる、素晴らしい作品となっています。

《デ・ゴイヤー一家と画家》1650年-1655年アドリアーン・ファン・オスターデ

(Public Domain /‘The De Goyerfamily and the painter’by Adriaen van Ostade. Image viaWIKIMEDIA COMMONS)

本作品は1650年-1655年頃に制作された作品で、ハーレムの画家アドリアーン・ファン・オスターデによって描かれました。

アドリアーン・ファン・オスターデはオランダ、ハーレム出身の画家で、その生涯のほとんどを生まれ故郷で過ごしました。富裕な庶民や農民の日常生活をテーマに、居酒屋や市場、農家の場面を詩的で情緒豊かに描いています。油彩の他、水彩、エッチングなども手がけ、複数の弟子を育てました。彼の弟子には弟の画家アイザック・ファン・オスターデ、ヤン・ステーン、コルネリス・ベガなど著名な画家達があげられます。

(Public Domain /‘The painter in his Studio’by Adriaen van Ostade. Image viaWIKIMEDIA COMMONS)

オスターデは1610年、ハーレムにて織工の家に生まれました。父がオスターデ町の出身であったことから、弟とともにオスターデの姓を名乗っています。
1627年にはハーレムの大画家フランス・ハルスに弟子入りし、1634年に画家の組合である聖ルカ組合に登録されています。1640年頃からは、レンブラントの影響を強く受けた作品を描くようになっています。
オスターデは1661年に画家組合の聖ルカ組合の長になっており、当時画家として大きく活躍していたことがわかります。

「デ・ゴイヤー一家と画家」はアムステルダムの有名なカトリックの家族、ゴイヤー家を描いた作品です。
右側の着席している男性がヘンドリック・ゴイヤーであり、その隣には後に彼の妻となるアンナ・クスティエ、そして手紙を手にしているがアンナの妹カタリーナ、左側に立っているのがオスターデ本人と、合計4人の人物が描かれています。
描かれている人物の詳細が明らかになっているのは、ブレディウスの記録研究の成果です。

くだけた様子で座っているヘンドリックやアンナ、カタリーナの様子など、日常的で気取らない家族の肖像であり、オスターデらしい作品となっています。

おわりに

ブレディウス美術館には、美術に人生をかけたブレディウスの選りすぐりの絵画が揃っています。優雅な18世紀の邸宅で、レンブラントをはじめとした素晴らしい傑作を楽しむことが出来ます。

公式サイト

※本記事はコロナウイルス感染拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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