リエージュ美術館(ラ・ボベリー):地元ベルギーの作家からゴッホ・シャガールら有名作家の作品まで幅広く所蔵する美術館

リエージュ美術館(ラ・ボベリー)は、ベルギー・リエージュにある美術館です。ベルギーの代表作家の作品を豊富にコレクションしており、ベルギー芸術の移り変わりを知ることができます。また、世界的に有名な海外作家の作品も多く、リエージュの人々と芸術を繋ぐ拠点としても重要な場所です。そんなリエージュ美術館(ラ・ボベリー)の歴史と所蔵品について、詳しく解説していきます。

リエージュ美術館(ラ・ボベリー)とは

リエージュ美術館(ラ・ボベリー)はベルギー東部の都市リエージュにあり、2016年に開館しました。

開館当時は、リエージュ万国博覧会のパレ・デ・ボザール(宮殿美術館)として一般公開され、万博終了後は会議やイベント・特別展示を行う会場として使用されました。

美術館となったのは1970年以降で、ボザール美術館のコレクションが移されたことがきっかけです。1988年以降は改修工事を重ね、1993年にリエージュ近代美術館(通称:MAMAC)としてリニューアルオープンしました。しかし、2011年にリエージュ美術館(ラ・ボベリー)の設立計画が立ち上がり、MAMACのコレクションもその中に加わることとなります。

2011年にMAMACが閉館すると大規模改装がスタートし、2016年5月5日にはリエージュ美術館(ラ・ボベリー)として生まれ変わりました。現在、ラ・ボベリーには常設展示スペースに加えて特別展示スペース・ギャラリーショップもあり、ガイド付きツアーで主要作品の解説を聞きながら鑑賞することも可能です。

リエージュ美術館(ラ・ボベリー)の所蔵品

リエージュ美術館(ラ・ボベリー)では、絵画・彫刻・版画・ドローイングなど約4万点以上の作品をコレクションしています。

1850年頃~現代までの作品が中心で、印象派・ポスト印象派・象徴主義・シュールレアリスムなど幅広い作風・技法を知ることができます。

そんなリエージュ美術館(ラ・ボベリー)のコレクションには、どのような作品が含まれているのでしょうか。主要な作品をご紹介します。

《赤いコルセットの女性》1880年エイドリアン・デ・ウィッテ

(Public Domain /‘Femme au corset rouge’by Adrien de Witte. Image viaWIKIMEDIA COMMONS)

本作品は1880年に制作された作品で、リエージュ派の代表作家エイドリアン・デ・ウィッテが描きました。

エイドリアン・デ・ウィッテは1850年にベルギーで生まれた画家・彫刻家です。リエージュの美術学校に通ったのち、若き芸術家を支援するダルキス財団からの奨学金を得てローマに渡りました。ローマでの修行を終えると帰国し、1885年に母校である美術アカデミーの教授となります。晩年も彼はリエージュを離れることはなく、1935年にその生涯を閉じました。

本作品はローマに滞在していた時期に描かれたもので、ウィッテの作品のなかで最も有名な一作です。モデルとなった女性はウィッテの愛人だと考えられていて、髪を整えようとする自然な動きをとらえています。

赤いコルセットが強調する腰のくびれと、ふくよかな太もも。これらは女性の色気を十分に醸し出していますが、ポイントとなっているのは影の付け方です。大胆に陰影をつけることで若い女性の肉付きを表現し、さらに画面全体を引き締める効果を得ています。

《ブローニュの森での日曜日の散歩》1899年アンリ・ジャック・エドゥアール

(Public Domain /‘Sunday Stroll in the Bois de Boulogne’by Henri Evenepoel. Image viaWIKIMEDIA COMMONS

本作品は1899年に制作された作品で、フォーヴィズム初期の画家アンリ・ジャック・エドゥアールによって描かれました。

アンリ・ジャック・エドゥアールは1872年にベルギーのブリュッセルで生まれました。幼い頃に母親が亡くなっており、公務員であり音楽愛好家であった父親に育てられます。サンジョステンヌーデ美術アカデミーで本格的に絵画の勉強を始めると、絵画工房・ブリュッセル王立美術アカデミーでさらに学びを深めました。

1892年にパリへ移ったアンリは、エコール・デ・ボザールに入学します。その頃にアンリ・マティスやサイモン・ビュセ、ジョルジュ・ルオーらと親交をもちました。1894年にはいとこのルイーズ・ド・メイを描いた肖像画でサロンデビューを飾っています。

さらに精力的に活動しようとした矢先、アンリは病気を患い、アルジェリアで数カ月間の療養に入ります。アルジェリアで生活した経験はアンリの絵画表現、特に色彩に大きな影響を及ぼしました。

パリに戻ったアンリは多くの作品を描き、前衛芸術グループやパリ万国博覧会へ参加します。パリ万国博覧会の終了後には、いとこのルイーズと結婚するためにブリュッセルへ戻る予定でしたが、その数日前に腸チフスにかかり、27歳の若さで亡くなりました。

本作品は、アンリが亡くなる数か月前に完成したものです。生前にも高い評価を受けていたアンリの、芸術家としてのキャリアがスタートした作品とされています。地面が作品全体の三分の一を占める独特の構図と、ピンク・黄・オレンジなどの鮮やかな色彩が特徴の一作です。

《ボンネットをかぶった女性》1883年ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ

本作品は1883年に完成した作品で、ポスト印象派の代表画家ヴィンセント・ヴァン・ゴッホが描きました。

(Public Domain /‘Self-Portrait’by Vincent van Gogh. Image viaWIKIMEDIA COMMONS)

ヴィンセント・ヴァン・ゴッホは1853年にオランダのグルート・ズンデルトで生まれました。アートディーラーを目指してグーピル画廊に就職しましたが、解雇され職を転々とします。その後、牧師を目指して試験に挑戦するも失敗し、ベルギーで伝道師としての活動を始めました。そして27歳になった頃、画家として生きてゆく決心をします。

オランダに戻ったゴッホは、農村に住む人々の生活をモチーフに独学で絵画制作を行ったのち、1886年にパリへ移り住みます。パリでは美術館に通い、巨匠の作品を模写することで技法を習得しました。さらに、アンリ・ド・トゥールーズやポール・ゴーギャン、新印象派の画家たちと知り合ったことで、最先端の芸術を知ります。日本の浮世絵から刺激を受けたのもこの時期でした。

その後、南フランスのアルルでゴーギャンと共同生活を送りますが、次第に二人の関係は悪化し、自分の耳を切り落としてしまう事件を起こします。療養のためサン・レミで暮らすようになりましたが、創作意欲が衰えることはありませんでした。実際にゴッホが残した作品の多くは、アルルとサン・レミで制作されたものです。

本作品は当美術館に寄付されたもので、オランダ美術史研究所のキュレーターによって真作であると証明されています。1882年~1883年の間に、鉛筆とチョークで描かれたスケッチの一作です。色を重ねてから削り取る表現方法やキャラクターの歪んだ表情は、公開当初大きな批判を浴びました。

おわりに

リエージュ美術館(ラ・ボベリー)は、地元ベルギーの芸術家と近現代の有名作家の作品をコレクションする美術館です。リエージュにおける芸術の発展拠点としても注目を集めています。

※本記事はコロナウイルス感染拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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