アートギャラリー・オブ・オンタリオ:カナダ美術最大級の規模を誇る美術館

アートギャラリー・オブ・オンタリオはカナダのオンタリオ州トロントにある美術館で、1900年に開館しました。紀元前100年ごろから現代にいたるまでの作品8万点以上を所蔵しており、コレクションの半分はカナダに関するもので、カナダ美術に関しては最大級の規模を誇っています。そんなアートギャラリー・オブ・オンタリオの歴史とコレクションについて詳しく解説していきます。

アートギャラリー・オブ・オンタリオとは

アートギャラリー・オブ・オンタリオはカナダのオンタリオ州トロントにある美術館で、1900年に開館しました。オンタリオは世界有数の世界都市であり、北米ではニューヨーク、ロサンゼルス、シカゴに次いで4番目の大都市でもあります。金融や経済、芸術、医療研究などさまざまな産業の基盤があることから、国内の企業の本社はもちろん世界的に活躍する企業も置かれており、世界有数の都市の一つに数えられています。

そんなトロントにあるアートギャラリー・オブ・オンタリオは、トロント芸術協会と一般の人々によって1900年に設立されました。当初はアート・ミュージアム・オブ・トロントという名称であったものの、1919年にはアート・ギャラリー・オブ・トロントと改名され、1966年にアートギャラリー・オブ・オンタリオとなりました。2008年には地元トロント出身の建築家フランク・ゲーリーの設計のもと拡張工事が行われ、11月にリニューアルオープン。世界中のアートファンが訪れる美術館として注目を集めています。

アートギャラリー・オブ・オンタリオ

アートギャラリー・オブ・オンタリオのコレクションには紀元前100年ごろから現代にいたるまでの芸術作品8万点が所蔵されており、その半分はカナダに関するものとなっています。そのためカナダ美術に関する作品の充実度は世界一となっており、グループ・オブ・セブンやエミリー・カーなどの作品が充実しています。またイヌイットやカナダの先住民たちの作品が所蔵されているなど、カナダ文化を知る上で欠かせない美術館の一つとなっています。

そんなアートギャラリー・オブ・オンタリオのコレクションには、どのような作品が含まれているのでしょうか。主要な作品をご紹介します。

(Public Domain /‘The Massacre of the Innocents’ by Peter Paul Rubens. Image viaWIKIMEDIA COMMONS)

《幼児虐殺》1611年-1612年ピーテル・パウル・ルーベンス

本作品は1611年から1612年にかけて制作された作品で、「王の画家、画家の王」と呼ばれたピーテル・パウル・ルーベンスによって制作された作品です。

ルーベンスは1577年、ドイツのジーゲンで生まれました。1587年に父親を亡くすという不幸に見舞われましたが、フィリップ・フォン・ラレング伯爵の未亡人のもとに働きに出たことがきっかけとなり芸術的な才能が認められ、画家ギルドの聖ルカ組合の一員となります。1600年になると古代や中世の芸術を学ぶ目的でイタリアに留学。ヴェネツィアではティツィアーノやヴェロネーゼ、ティントレットの作品を目にします。また、ルーベンスは奉公先の伯爵家で小姓として貴族的な教育を施され、優雅な古典的教養と7か国語を操る術を身につけていました。
それゆえ、当時のスペイン王フェリペ4世はもちろんイタリア貴族からも認められ、上流階級からの絶大な信頼を得ていたのです。

ルーベンスは1609年にスペイン領ネーデルランドの君主でオーストリア大公であったアルブレヒト7世とスペイン王女イサベルの宮廷画家に迎えられ、特別にアントウェルペンに工房を構えることになります。そして1621年にはフランス王太后であったマリー・ド・メディシスの依頼を受けて、《マリー・ド・メディシスの生涯》を制作。外交官としても活躍していた彼は、1630年にはイングランド王チャールズ1世からナイトに叙される栄誉にあずかりました。

そんなルーベンスによって描かれた本作品は、「マタイの福音書」に記された幼児虐殺の一説に基づいて制作されました。ユダヤの支配者であったヘロデ大王は、占星術士からユダヤの新王となるべき子供がベツレヘムに誕生したと聞き、激怒しました。そして、ベツレヘムと周辺地域の2歳以下の男児を全て殺害せよという残忍な命を下しました。しかしイエスの両親ヨセフとマリアはお告げでこの危機を知り、エジプトに逃れたためイエスは殺害から免れることができたのです。

本作品はそんな幼児虐殺の中で、幼子たちが殺害される最も衝撃的な場面が描かれています。殺された幼子たちは地面に倒れこんでおり、男たちは容赦なく女性たちから子どもを奪い、叩きつけ、抵抗する女性たちに剣を向けています。女性たちの表情は驚きと悲しみ、苦しみに歪んでおり、殺された幼子たちの表情がその凄惨さを物語っています。

(Public Domain /‘Pont Boieldieu in Rouen, Rainy Weather’ by Camille Pissarro. Image viaWIKIMEDIA COMMONS)

《ルーアンのボワエルデュー橋、雨》1896年カミーユ・ピサロ

本作品は1896年に制作された作品で、印象派の巨匠カミーユ・ピサロによって制作された作品です。

ピサロは1830年7月10日デンマーク領時代のセント・トーマス島に生まれました。12歳になるとパリ近郊のパッシーにあるサバリー・アカデミーに入学します。そしてドローイングやペインティングなどを学び、その才能を見抜いた教師に画家になることを薦められます。しかしピサロの父は仕事を継いでくれることを望んでいました。ピサロはアカデミーを卒業後父の仕事を手伝いながら、仕事の後や休憩中にドローイングの練習を続けました。

その後フリッツ・メルビューと出会ったことをきっかけに、専業画家になることを決意しました。そしてベネズエラに移住し風景画を制作したのち、1855年にパリへ移住。パリでは同時代のクールベ、シャルル=フランソワ・ドービニー、ジャン=フランソワ・ミレーたちから学ぶようになっていきます。普仏戦争の後には印象派展に参加するようになり、新印象派の画家たちの表現を取り入れるなど新しい表現を模索していきました。

描かれているのは1885年に完成した鉄橋ボワエルデュー橋であり、川の向かいにはオルレアン駅とカルノー広場が描かれています。ピサロは1896年にルーアンに滞在しており、また1883年にもルーアンを旅しています。ルーアンはピサロお気に入りの地でもあり、本作はそうしたルーアンで描かれた作品の一つにあたります。

ピサロは印象派のメンバーとともに制作活動にあたった後、後期印象派や点描技法を学んでおり、実際に作品にもそうした表現を活かした時期がありました。しかし徐々にピサロはそうした表現から離れ、印象派の技法に戻ることとなりますが、本作品はその時期に描かれた作品にあたります。本作ではピサロが関心を寄せていた橋や船といった都市の近代性に焦点が当てられており、当時のルーアンの賑わいが強調されています。

おわりに

アートギャラリー・オブ・オンタリオはオンタリオ州トロントにある美術館であり、8万点近い所蔵品の半分はカナダ関連と、カナダ文化を知る上で欠かすことのできない美術館となっています。またヨーロッパ絵画のコレクションも充実しており、年間を通して充実した展覧会が行われています。

※本記事はコロナウイルス感染拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

関連記事一覧