オーストラリア国立美術館:オーストラリアを代表する美術館

オーストラリア国立美術館はオーストラリアの首都キャンベラにある国立美術館であり、1967年に設立されました。オーストラリアの画家トム・ロバーツの働きかけで設立され、国内外の画家たちの作品を所蔵しているほか、オーストラリア人の肖像画のコレクションを有しているなど、オーストラリアを代表する美術館として注目を集めています。そんなオーストラリア国立美術館の歴史とコレクションについて詳しく解説していきます。

オーストラリア国立美術館とは

オーストラリア国立美術館はオーストラリアの首都キャンベラにある国立美術館であり、1967年に設立されました。キャンベラは約40万人の人口を有する都市であり、オーストラリア首都特別地域に属しています。もともとは、アボリジナル・ピープルのンガリゴ族やワンダンディアン族などの先住民族が居住しており、ヨーロッパ人は1820年代初頭になって移住し始めました。シドニーやメルボルンに比べるとキャンベラの発展は非常に緩やかなものでしたが、1909年にチャールズ・スリヴェナーによって調査が行われ首都としてふさわしいとの評価が下されました。その後は各政府機関やオーストラリア国立大学、オーストラリア高等裁判所などの機関が設立され、現在に至っています。

そんなキャンベラにあるオーストラリア国立美術館は、オーストラリア出身の画家トム・ロバーツが美術館創設運動を行ったことがきっかけとなり設立されました。トム・ロバーツは1856年イギリス・ドーセット州のドーチェスターで生まれた人物で、1869年にオーストラリアに移住。スイス出身の画家ルイ・ビュベロから絵画を学び、1881年から1884年までロイヤル・アカデミー・オブ・アーツで学ぶなど、画家としての修業を積んでいきました。そしてオーストラリアに帰国した際はメルボルンにアトリエを開き、オーストラリアの風景を主題とした作品を制作しており、「ハイデルバーグ派」のひとりと称されることになります。

ロバーツは画家として活動しながらも、オーストラリアも国立美術館を持つべきであるという信念を持っており、1901年にオーストラリア初代首相のエドモンド・バートンや歴代首相に働きかけ、それは5代目首相のアンドリュー・フィッシャーの時代になってようやく承認されることとなりました。そして連邦芸術諮問委員会が設立されると美術品が購入されコレクションが形成されていきましたが、2度の世界大戦や不況に見舞われたこともあって、計画はなかなか進まず、実際に計画が具体化したのは1960年代になってからでした。最終的に国立美術館が創設されたのは比較的最近である1967年になりました。

オーストラリア国立美術館のコレクション

オーストラリア国立美術館のコレクションは、西洋美術や東洋美術、写真や工芸品に現代美術と多岐にわたっていますが、それに加えてオーストラリアのアボリジナル・ピープルとトレス海峡の島民たちの作品が所蔵されていることはオーストラリア国立美術館ならではといえるでしょう。またコレクションの収蔵点数は16万点に及んでおり、年間を通して多角的な視点で構成された展覧会が行われています。

そんなオーストラリア国立美術館のコレクションには、どのような作品が含まれているのでしょうか。主要な作品をご紹介します。

(Public Domain /‘Haystacks, midday’ by Claude Monet. Image viaWIKIMEDIA COMMONS)

《積みわら》1890年-1891年クロード・モネ

本作品は1890年から1891年にかけて制作され、印象派の巨匠クロード・モネによって描かれました。

クロード・モネは1840年フランスのパリで生まれました。5歳の時にノルマンディー地方のル・アーブルに移り、このころから絵の才能を示していたといわれており、18歳になると風景画家のウジェーヌ・ブーダンと知り合い、戸外での油絵制作の技術を学びます。パリに出るとアカデミー・シェイスで学び、1865年にはサロンに初入選。しかし普仏戦争が勃発したことにより、ロンドンに逃れざるを得なくなってしまいます。

戦後パリに戻るとアルジャントゥイユにアトリエを構えて制作活動を始め、1874年にサロンとは独立した展覧会を開催し、《印象・日の出》を出品。この展覧会は第1回印象派展と称される歴史的なものになりました。そして1881年になるとポワシーに移り住み、ノルマンディーへ制作旅行。1883年にはセーヌ川沿いのジヴェルニーに移住し、《積みわら》や《ルーアン大聖堂》などの連作に取り組むようになっていきました。晩年は白内障による視力低下に苦悩しますが、友人の励ましもあり、残りの人生を《睡蓮》大装飾画の制作に費やします。そして1926年に86歳でその生涯を閉じています。

そんなモネによって制作された本作品は、1890年の夏の終わりから1891年の春の間に描かれた連作であり、それぞれ異なる時間や季節、天候などを描いています。この作品はそうした連作の中でも日中の明るい光と逆光を浴びる摘みわらの影が対比的に表現されており、平面的な印象を与える作品となっています。

《ブルー・ポールズ:ナンバー11,1952》1952年ジャクソン・ポロック

本作品は1952年に制作された作品で、抽象表現主義の巨匠ジャクソン・ポロックによって描かれた作品です。

ポロックは1912年、アメリカ合衆国ワイオミング州に生まれました。1928年にロサンゼルスのマニュアル・アーツ・ハイスクールで抽象美術の基礎や彫刻を学び、1930年には兄のチャールズを追ってニューヨークに渡り、アート・スチューデンツ・リーグではトーマス・ハート・ベントンのもとで学んでいます。1935年から1942年にかけて公共事業促進局の連邦美術計画に参加し、そこでメキシコ壁画運動の作家、ダビッド・アルファロ・シケイロスらのスプレーガンやエアブラシなどで描くスタイルに衝撃を受けることとなります。

1943年にペギー・グッゲンハイムの画廊と契約を結び、アクション・ペインティングの画家として一世を風靡するようになるものの、ポロックは連邦美術計画に参加していたころからアルコール依存症に悩まされており、画家としてのプレッシャーからその病状は加速度的に悪くなっていきました。1956年に飲酒運転をおこし、帰らぬ人となります。

本作品はそんなポロックによって描かれた作品であり、1952年以降塗料を注ぎかけながら線を描くドリッピングによって描かれた作品です。この時期ポロックはアクション・ペインティングから脱却し、新しい表現を追求するべくさまざまな表現を試みていましたが、アルコール依存症もあって混迷していた時期でもありました。作中には染みやまき散らし、ドロッピングなどはもちろん、ガラスの破片なども用いた表現が描かれており、ポロックがいかに新しい表現を実現するべく試行錯誤していたのかを感じ取れる作品となっています。

おわりに

オーストラリア国立美術館はオーストラリアの首都キャンベラにある国立美術館であり、国内外の芸術作品はもちろん、アボリジナル・ピープルをはじめとした先住民の芸術作品も所蔵しています。

※本記事はコロナウイルス感染拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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