ニュー・サウス・ウェールズ州立美術館:シドニーでもっとも重要な公立美術館

ニュー・サウス・ウェールズ州立美術館はオーストラリアのシドニーにある美術館で、ビクトリア国立美術館に続きオーストラリアで2番目に大きな美術館です。国内外の芸術作品はもちろん、アボリジナルアートや現代オーストラリア芸術の作品も所蔵しており、年間を通してさまざまな時代の作品が展示されています。そんなニュー・サウス・ウェールズ州立美術館の歴史とコレクションについて詳しく解説していきます。

■ニュー・サウス・ウェールズ州立美術館とは

ニュー・サウス・ウェールズ州立美術館はオーストラリアのシドニーにある美術館で、1871年に開館しました。シドニーはニュー・サウス・ウェールズ州の州都であり、オーストラリア最大の人口を有する都市でもあります。初期は流刑植民地として囚人が暮らす場所であったものの、1822年には銀行や市場、警察組織などを備えた街となり、徐々にイギリスや他のヨーロッパから移民が渡ってくるようになっていきました。現在では金融や経済、工業においてもオーストラリア屈指の世界都市となっており、非常に人気のある都市の一つとなっています。

そんなシドニーにあるニュー・サウス・ウェールズ州立美術館は、1871年に、定期的な展示会など芸術振興を行う芸術アカデミーが設立しました。1872年から1879年に定期的な美術展が開催され、1874年にはアカデミー後援のもと、アボリジナルアートの展覧会が開催されました。その後、ホルマン・ハントやクロード・モネ、アンリ・マティスといった巨匠たちの作品が収集・展示されるようになり、南半球でも屈指の美術館として評価されています。

■ニュー・サウス・ウェールズ州立美術館のコレクション

ニュー・サウス・ウェールズ州立美術館のコレクションは国外作家の作品はもちろん、アボリジナルアートや現代オーストラリアの芸術作品なども所蔵しており、その内容は多岐にわたっています。そんなニュー・サウス・ウェールズ州立美術館のコレクションにはどのような作品が含まれているのでしょうか。主要な作品をご紹介します。

(Public Domain /‘The Reverend Samuel Kilderbee’ by Thomas Gainsborough. Image viaWIKIMEDIA COMMONS)

・《サミュエル・キルデビー》1758年頃トマス・ゲインズバラ

本作品は1758年頃に制作されたもので、イギリスを代表する肖像画家のトマス・ゲインズバラによって描かれました。

トマス・ゲインズバラは1727年、イギリスのサフォークにあるサドベリーで生まれました。幼い頃に父親から素描の才能を見出されており、18歳になると画家になるためにロンドンへ渡ります。その後ロンドンにアトリエを構え、肖像画の注文を受けるようになりますが、ゲインズバラ自身は風景画を好んでいました。しかし生計を立てるためには肖像画の注文を受けざるを得ず、マーガレット・バーと結婚後も、肖像画を描く日々が続きます。

しかし1768年にロイヤルアカデミーの設立に参加し、50歳となった1777年に王族の肖像画を手掛けると、ジョージ3世のお気に入りの画家となっていきました。その一方で主席宮廷画家の後継者をめぐってジョシュア・レノルズと対立することになり、徐々にアカデミーとも対立していきました。その後1788年に癌を患いその生涯を閉じました。享年61歳でした。

本作品はゲインズバラがイプスウィッチに住んでいた際に描いたものです。サミュエル・キルデビーはイプスウィッチの牧師であり弁護士としても活躍した人物でした。キルデビーはゲインズバラの親友で、2人は手紙を交換し合う仲であったといわれています。

黒い背景に正装したキルデビーが描かれていますが、詳細な検査が行われた結果、顔を除くすべての部分が一度塗り直されていることが分かっており、おそらく1783年にキルデビーとゲインズバラが湖水地方に旅行した際に加筆されたものと考えられています。そうした意味ではキルデビーとゲインズバラの気安い親交が垣間見える作品と言えるでしょう。

(Public Domain /‘La Chaîne Simpson’ by Henri de Toulouse-Lautrec. Image viaWIKIMEDIA COMMONS)

・《シンプソン・チェーン》1896年アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック

本作品は1896年に、後期印象派として活躍したアンリ・ド・トゥールーズ=ロートレックによって描かれました。

ロートレックは1864年、ミディ=ピレネー地域圏のタルヌ県アルビに生まれました。ロートレックは幼少期に「小さな宝石」と呼ばれるほど、家中から可愛がられて育てられたものの、弟が幼くして亡くなると両親が不仲になってしまい、8歳のときに母親と共にパリに出ることになります。その際、芸術に関心を持つことになりますが、13歳の時に左の大腿骨を、14歳の時には右の大腿骨をそれぞれ骨折してしまい、その後足が成長しなくなってしまいます。胴体は大人なのに足の大きさは子供のままという姿を父親は受け入れることができず、ロートレックは孤独な日々を送ることになりました。

1882年になると再びパリへ移り、レオン・ボナの画塾やフェルナン・コルモンらの画塾で学ぶようになります。1887年からはトゥールーズの博覧会やブリュッセルで行われた「20人展」などに参加。1889年から1894年まではアンデパンダン展に定期的に参加し、精力的に制作活動を行っていました。そうした活動の一方で自身が身体障害者であるという劣等感と周囲から受ける差別に苦しんでおり、徐々にダンスホールや酒場などに出入りするようになり、そこで出会った夜の女性たちを主題として制作活動に励むようになっていきました。

そんなロートレックによって描かれた本作品は、ロンドンのメーカーであるW. S. シンプソン社が開発した自転車チェーンの広告です。自転車乗りのコンスタン・ユーレが、4人若しくは5人乗りの自転車を追い越そうとしている様子が描かれており、自転車の速度を感じさせる構図となっています。スコットランド人のダンロップが1889年に空気タイヤを開発したことで、自転車はスポーツとして人気が高まることになり、19世紀末のフランスでは競馬と並ぶほど人気のあるものになっていきました。ロートレックもこうした自転車レースに大変関心を持っており、作品にはレースを観戦する喜びがあふれています。

■おわりに

ニュー・サウス・ウェールズ州立美術館はオーストラリアを代表する美術館であり、国外の作家はもちろんアボリジナルアートや現代オーストラリアのアーティストの作品も所蔵しています。また普及活動にも力を入れており、ガイドツアーや子供向けのワークショップ、生涯学習プログラムなどが充実しています。また広い公園内に立地していることもあり、毎年100万人以上の人が訪れています。近くにはオペラハウスやオーストラリア博物館などの、シドニーの主要な観光スポットも豊富で、非常にアクセスのよい立地になっていますので、シドニーを訪れた際にはぜひ足を延ばしてみてはいかがでしょうか。

公式HP:http://www.artgallery.nsw.gov.au

※本記事はコロナウイルス感染症拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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