ビクトリア国立美術館:オーストラリア最古の美術館

ビクトリア国立美術館はオーストラリアのビクトリア州・メルボルンにある、オーストラリアで最古の美術館です。ヨーロッパはもちろんアジアやアメリカ、そしてオセアニアなどの世界の美術品が収集されており、その収蔵品数は7万点に及びます。そんなビクトリア国立美術館の歴史とコレクションについて詳しく解説していきます。

■ビクトリア国立美術館とは

ビクトリア国立美術館はオーストラリアのビクトリア州・メルボルンにある美術館であり、1861年に開館しました。メルボルンはオーストラリア有数の都市であり、人口は約508万人とシドニーに次いでオーストラリアでは第2位にあたります。メルボルンは歴史的な建築や文化が残っていることで知られており、また政治や文化、ビジネスの拠点ともなっていることから、オーストラリアでも有数の世界都市として注目を集めています。

そんなメルボルンにあるビクトリア国立美術館が設立されるきっかけとなったのは、ゴールドラッシュでした。1851年にゴールドラッシュが起きたことをきっかけにビクトリアはオーストラリアでもっとも豊かな植民地となりましたが、急速に発展したことで美術館をはじめとした公共施設の設立が求められました。こうした求めに応じる形で1861年には美術館が開館し、その後多くの作品が収集されていくこととなります。

特にコレクションが充実されるきっかけとなったのはフェルトン・コレクションであり、オーストラリアの実業家として知られるアルフレッド・フェルトンの意志によって寄付がなされ、1904年から1万5千点以上の作品を購入するために用いられました。中世から現代にいたるまでさまざまな芸術作品を所蔵する美術館として注目を集め続けています。

■ビクトリア国立美術館のコレクション

ビクトリア国立美術館のコレクションはヨーロッパの絵画や彫刻、版画などに加え、アジア美術コレクション、そしてオーストラリアの先住民族の作品や20世紀から現代にいたるまでのコンテンポラリー・アートなど多岐にわたっています。その収蔵品数は7万点に及んでおり、年間を通して多角的な観点から構成された展覧会が行われています。

そんなビクトリア国立美術館のコレクションには、どのような作品が含まれているのでしょうか。主要な作品をご紹介します。

・《雲》

(Public Domain/‘Cloud Study’ by John Constable. Image viaWIKIMEDIA COMMONS)

本作品は1822年に19世紀を代表する風景画家ジョン・コンスタブルによって描かれました。

コンスタブルは1776年イギリス、サフォーク州のイースト・バーゴルトに生まれました。生家は製粉業者を営んでおり、コンスタブルも家業を手伝うべく20歳の時にロンドンに滞在するも、その際に出会った風景画家であるジョージ・スミスの作品に衝撃を受け画家を目指すようになります。23歳のときにはロイヤル・アカデミー付属美術学校の見習い学生となり、1800年には正規の学生として絵画を学ぶようになりますが、コンスタブルがアカデミーの準会員となるのは43歳、正会員となるのはさらに10年後の53歳の時でした。

出典:ジョン・コンスタブル–Wikipedia2021年1月7日閲覧

この背景にはコンスタブルが生涯にわたってサフォークの身近な風景を描き続けたことが関係したと考えられていますが、コンスタブルの手法は印象派の表現を先駆けたものだとも考えられており、現在では高く評価されています。1830年から1832年にかけてはこれまで描いた作品20枚を版画化した作品集『イングランドの風景』を刊行しました。そして1837年にブルームズベリーにて61歳で生涯を閉じています。

《雲》は1821年から1822年にかけてハムステッドに滞在していた際に制作した作品の一つです。この頃のコンスタンブルにとって空という題材は非常に重要な要素であり、「空は自然においてすべての光の源」だと考えていました。コンスタンブルはあらゆる気象状態を記録するために、移り変わる空の風景を大量に制作したといいます。

・《クレオパトラの饗宴》

(Public Domain/‘The Banquet of Cleopatra’ by Giovanni Battista Tiepolo. Image viaWIKIMEDIA COMMONS)

本作品は1743年から1744年にかけて、フレスコ画の名手として知られたジョヴァンニ・バッティスタ・ティエポロによって描かれました。

ティエポロは1696年、ヴェネツィアに生まれました。芸術に興味を持つようになったティエポロは歴史画家であるグレゴリオ・ラッザリーニに師事しますが、作品への影響は同時代に活躍したジョヴァンニ・バティスタ・ピアツェッタやバロックを代表する画家ピーテル・パウル・ルーベンスなどから受け、独自のスタイルを作り上げていきました。

徐々に頭角を現したティエポロは教会や修道会などの大規模な装飾壁画を手掛けるようになり、イエスズ会やドメニコ会、カルメン会などから多数の依頼を受けるようになっていました。またドイツのヴュルツブルクの司教カール・フィリップ・フォン・グライフェンクラウの依頼を受け、司教宮殿の装飾の仕事も引き受けるようになります。晩年になるとスペイン国王で会ったカルロス3世の依頼によりマドリードにある王宮のフレスコ画を手がけ、王侯貴族にも重用されるようになっていきました。

そんなティエポロによって描かれた《クレオパトラの饗宴》は、歴史的に有名な「クレオパトラの晩餐会」を主題にした作品です。エジプトの女王クレオパトラはアントニウスととある賭けをします。賭けの内容はアントニウスが今まで体験したことのない宴を披露してみせようというものでした。クレオパトラが開いた晩餐会は大変華やかなものでありましたが、アントニウスがこれまで経験してきた宴を越えるようなものではなく、アントニウスは自らの勝利を確信しました。それに対しクレオパトラは身に付けていた高価な真珠のイヤリングをワイングラスに投げ込み、真珠をとかして飲み干したのです。

本作品では中央のテーブルにクレオパトラとアントニウスが描かれており、周りの人々は興味深そうにその手元をのぞき込んでいます。クレオパトラはアントニウスを見据えつつ、ワイングラスを高く掲げており、今から真珠が溶けたビネガーを飲み干そうとしているようです。それを見たアントニウスは驚きの表情を見せています。

「クレオパトラの晩餐会」の主題は多くの画家に好まれた作品であり、ティエポロのほかにもヤーコブ・ヨルダーンスをはじめとした画家たちによって描かれています。そうした作品の中ではエジプトの要素が描かれておらず、ティエポロの作風が色濃く出ているといえるでしょう。

■おわりに

ビクトリア国立美術館はオーストラリアを代表する美術館であり、ヨーロッパやアジア、そしてオセアニア各地の芸術作品を所蔵しています。メルボルンを訪れた際には、ぜひ足を延ばしてみてはいかがでしょうか。

※本記事はコロナウイルス感染症拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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