ブルガリア国立美術館:ブルガリアの伝統作品を所蔵する美術館

ブルガリア国立美術館はブルガリアのソフィアに1948年に設立された、キリスト教美術やブルガリア美術の作品を多く所蔵する美術館です。そんなブルガリア国立美術館の歴史とコレクションについて解説していきます。

■ブルガリア国立美術館とは

ブルガリア国立美術館はブルガリアのソフィアにある美術館です。ソフィアはブルガリアの首都であり、政治経済と文化の中心地でもあります。ヨーロッパ最古の都市の一つであり、その歴史はおよそ7000年にもおよぶといわれています。

ブルガリア国立美術館は、1892年に国立考古学博物館が設立されたことをきっかけとして1948年に設立されました。国立考古学博物館には美術部門が併設されており、同時代のブルガリア美術作品を収集していました。美術部門は徐々に拡大していき、1934年には州立美術館に格上げされ、国立考古学博物館から独立することになります。その後第二次世界大戦の際には空襲で被害を受けたこともあったものの、コレクションは戦火を逃れることができ、1948年に内閣命令で国立美術館は独立した機関となり、現在にいたっています。

■ブルガリア国立美術館のコレクション

ブルガリア国立美術館のコレクションは4世紀から19世紀のキリスト教美術や、19世紀後半から20世紀にいたるまでのブルガリア出身の画家の作品が世界的にも非常に充実したものとなっています。

そんなブルガリア国立美術館の主要な作品をご紹介します。

・《ララの死》1848年ウジェーヌ・ドラクロワ

こちらはフランスロマン派の巨匠ウジェーヌ・ドラクロワによって1848年に制作された作品です。

(Public Domain /‘Eugène Delacroix’ byFélix Nadar. Image viaWIKIMEDIA COMMONS)

ウジェーヌ・ドラクロワは1798年、フランス、パリのシャラントンに生まれました。幼い頃から古典絵画に

(Public Domain /‘Scène des massacres de Scio’ byEugène Delacroix. Image viaWIKIMEDIA COMMONS)

1824年には《キオス島の虐殺》を制作します。この作品は1822年にオスマン帝国統治下にあったギリシアのキオス島で起きた虐殺事件を主題に制作されました。当時ギリシア独立戦争はフランスの人々の関心を集めていたこともあり、大きな注目を集めました。また1827年から1828年にかけては《サルダナパールの死》を制作。これらの作品はそれまでの新古典主義様式とは正反対の劇的な表現であったため、徐々にドラクロワはロマン派の巨匠として扱われるようになっていきました。

1832年になるとドラクロワはフランスの植民地となったアルジェリアに出向き、そこでプリミティブな文化を学び、《アルジェの女たち》を制作。晩年にいたるまで精力的に制作活動を行い、1863年8月23日にその生涯を閉じることになります。

本作品は1814年に発表されたバイロンの詩「ララ」からインスピレーションを受けて制作されました。ドラクロワはバイロンの作品に心酔していたことで知られており、彼の代表作である《サルダナパールの死》もまたバイロンの詩を主題としています。

本作品では荒涼としたタッチで物語の主人公であるララと彼の給仕のカレド、そして戦いの様子が描かれています。ララは甲冑に身を包んでいるものの、腹部からはおびただしいほどの血が流れており、その顔色からも死が間もなく訪れることが伺えます。鮮やかな衣装に身を包んだカレドは必死にその血を止めようとしていますが、その手も真っ赤に染まっています。そんな二人を守るかのようにララの馬は背景の戦いを見つめており、その立ち上る煙から今も激しい戦闘が行われていることがわかります。

・《レマン湖岸》1875年ギュスターヴ・クールベ

こちらはフランス写実主義の巨匠ギュスターヴ・クールベによって1875年に制作された作品です。

クールベは1819年にスイス国境に近いフランシュ・コンテ地方の山の中の村、オルナンに生まれました。1839年にパリに居を移し、スチューベンやヘッセのアトリエで絵を描き始めます。1849年には《オルナンの夕食後》ではじめてサロンに入選し、金メダルを受賞します。またこの作品はフランス政府に買い上げられました。同年に制作した《石割人夫》は当時社会主義や共産主義が誕生し、貧困や社会的不平等についての問題意識が高まっていたということもあり、非常に高い評価を受けることになります。

その後1870年に普仏戦争が勃発し、1871年3月にパリ・コミューンが台頭するとクールベも参加しました。しかし5月にはフランス軍によってパリ・コミューンが鎮圧され、彼も逮捕されてしまいます。6カ月という短い懲役刑で済んだものの、罰金刑を科せられていた彼は破産を逃れるためにスイスに亡命します。1877年12月31日には肝臓病が原因で死去、58歳の激しい生涯を閉じることになります。

本作品はクールベがスイスに亡命した最晩年に、滞在先のレマン湖を描いた作品です。画面のほとんどに空が描かれており、雲がもくもくと湧く様子は彼の不安を示しているかのようです。そんな雲の下に描かれている湖は静寂に満ちたものとなっており、空と湖の対比が見事に表現されています。

■おわりに

ブルガリア国立美術館はキリスト教美術やブルガリア美術のコレクションに定評がある美術館であり、そのほかにもヨーロッパやアジアの作品も数多く所蔵していることで知られています。美術館はソフィアでもアクセスのよい場所にあり、世界から数多くのアート・ファンが訪れています。ブルガリアを訪れた際には、ぜひブルガリア国立美術館に足を延ばしてみてはいかがでしょうか。

※本記事はコロナウイルス感染症拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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