レンブラントの家:オランダ黄金時代の画家レンブラントが住んだ邸宅

「レンブラントの家」は、オランダのアムステルダムにある博物館で1911年に設立されました。レンブラントの家は、オランダ黄金時代を代表する画家レンブラント・ファン・レインが1639年から20年間住んでいた場所です。そんなレンブラントの家の歴史とコレクションについて詳しく解説していきます。

■レンブラントの家とは

レンブラントの家はオランダのアムステルダムに1911年に開館した博物館で、正式名称はレンブラントハウス博物館と言います。現在はオランダの首都であるアムステルダムですが、もともとは小さな漁村であったものの、13世紀にアムステル川の河口にダムが築かれたことをきっかけとして海運貿易の港町として発展することとなり、16世紀にはヨーロッパ屈指の都市となりました。証券取引所やオランダ銀行が置かれるアムステルダムはヨーロッパ有数の金融都市であると同時に、観光地としても有名です。

そんなアムステルダムにあるレンブラントの家は、1639年にレンブラントが13000ギルダーの大金で購入し、1658年まで暮らしていた邸宅です。妻サスキアとむつまじい生活を送りながら、《夜警》の注文を受けるなどレンブラント自身が最盛期を送った場所でもあります。しかし1642年にサスキアはこの世を去り、レンブラント自身も借金が重なって1656年に破産してしました。家は1658年に競売にかけられることとなります。

その後、レンブラント生誕300周年を記念して、1906年にアムステルダム市がレンブラントの家を購入しました。レンブラントの家は修復と保存を重ねられ、5年後の1911年に博物館として開館します。内部にはレンブラントが住んでいた当時を再現されているほか、レンブラントのエッチングが展示されています。

■レンブラント・ファン・レインとは

そもそもレンブラントとはどういった人物だったのでしょうか。レンブラントは1606年ネーデルランド共和国のライデンに生まれました。ラテン語学校へ通っていた彼はそこでの優秀な成績を評価され、14歳のとき飛び級で大学に入学することになります。両親はそんな彼が法律家になることを期待していましたが、彼は画家になることを望んでいたため大学には数ヶ月しか籍を置きませんでした。

その後地元の歴史画家のもとに弟子入りして修業を積んだのちに、家にアトリエを構え《聖ステバノの殉教》を制作します。その劇的な表現が話題になり、1628年には22歳にして弟子を取るようになります。1631年になると彼はアムステルダムにアトリエを移し、肖像画を中心とした依頼を受けるようになっていきました。

レンブラントの名前を一躍有名にしたのが、集団肖像画です。当時のオランダにおける集団肖像画は、それぞれのモデルを平等に描かなくてはならず、まるで記念写真のような没個性的なものでした。それに対してレンブラントの《テュルプ博士の解剖学講義》はテュルプ博士にスポットライトが当たり、ドラマチックな作品に仕上げられています。1632年に発表したこの作品により、彼は一躍人気画家となっていきました。


(Public Domain/‘Portrait of Saskia van Uylenburg.’ by Rembrandt. Image viaWIKIMEDIA COMMONS)

その後レーワルデン市長であった父をもつサスキア・ファン・アイレンブルフと知り合い、1633年に結婚します。サスキアの一族は大変裕福で、富裕層がレンブラントに依頼をするきっかけとなりました。

1642年には世界三大絵画ともいわれる《夜警》を発表します。こうしてレンブラントは数多くの傑作を制作しましたが、子どもたちを病気で亡くし、また妻のサスキアも病に臥せってしまうという不幸が続きます。更に《夜警》発表後、彼への依頼は徐々に減っていきました。

晩年のレンブラントは積み重なる借金により家を追われ、生活は貧困を極めました。息子ティトゥスの力を借りて制作を続けましたが、その息子も1668年に亡くなり、レンブラント自身も1669年10月4日に63歳で死去。彼の遺体はアムステルダム西教会の共同墓地に埋葬されています。

■レンブラントの家の内装

レンブラントの家はレンブラントが生きた時代をそのまま再現するために改修がなされています。彼の寝室に加え、彼自身が所蔵していたコレクションの展示室、メイドの寝台のあるキッチンなど、部屋の中に入るとまるでオランダ黄金時代にタイムスリップしたかのような内装になっています。

■レンブラントの家のコレクション

レンブラントの家のコレクションはエッチング(銅版画)が200点以上所蔵されているのに加え、エッチングをする機械などが展示されており、それらは隣接している新館で見ることができます。

そんなレンブラントの家のコレクションには、どのような作品が含まれているのでしょうか。主要な作品をご紹介します。

・《三本の十字架》1653年レンブラント・ファン・レイン

こちらはレンブラントのエッチング作品でも特に重要視されている1653年に制作された作品です。

中央にははりつけにされたイエスが描かれ、その両隣には二人の泥棒が描かれています。足元には聖母マリアや馬に乗ったローマの兵士たちが描かれており、その人物描写は極めて高度なものです。またキリストにハイライトが当たるように明暗が調整されており、天から神の光がさしていることを表現しています。

レンブラントは多数のエッチング作品を制作しています。何枚も刷ることができ、油彩画よりも安価に販売することができるエッチングは、多くの顧客を獲得しやすかったのです。

・《サスキアとの自画像》1636年レンブラント・ファン・レイン

(Public Domain/‘Self-portrait with Saskia.’ by Rembrandt. Image viaWIKIMEDIA COMMONS)

こちらはレンブラントとその妻サスキアを描いた1936年に制作された作品です。レンブラントは正面を見据えており、彼と向き合うようにして座っているサスキアもまた、こちらをじっと見つめています。本作品が制作されたのは彼らが結婚してから間もないころであり、一種の記念写真のように描いたものだったのかもしれません。

レンブラントの画家としての大成は富裕層の出身であったサスキアが大きく影響しており、サスキアの人脈があったからこそ多くの依頼を受けることができました。レンブラントは絵筆を握る姿で描かれていますが、その後ろにサスキアが描かれているのは、そうした背景も暗示しているのかもしれません。

■おわりに

レンブラントの家はオランダ黄金時代の画家レンブラント・ファン・レインが破産するまで住まいとしていた邸宅であり、現在は彼が住んでいた時代のインテリアが再現されているほか、彼のエッチング作品も鑑賞することができます。レンブラントの作品がお好きな方は、ぜひ足を延ばしてみてはいかがでしょうか。

※本記事はコロナウイルス感染症拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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