シカゴ美術館:アメリカのみならず世界中の美術品をコレクションする総合美術館

シカゴ美術館はアメリカ・シカゴにある美術館です。アメリカ美術の代表作品はもちろん、印象派・新印象派といったヨーロッパ近代美術の有名作を多く所蔵することで知られています。そんなシカゴ美術館の歴史と所蔵品について、詳しく解説していきます。

■シカゴ美術館とは

シカゴ美術館はアメリカのシカゴにある美術館で、1879年に開館しました。

前身は1866年設立の「シカゴ・アカデミー・オブ・デザイン」でしたが、1871年のシカゴ大火で消失します。その後継として1879年に「シカゴ・アカデミー・オブ・ファイン・アーツ」が発足し、1882年には現在の「シカゴ美術館」に改名しました。

現在の建物は、1893年のシカゴ万博博覧会のために建設されたものです。また、日本の屏風を紹介するコーナーを安藤忠雄が設計したことでも知られています。

常設展だけでなく、企画展も定期的に行われています。アジアの遊牧民族の美術品からアンディウォーホールといった現代アートの作品まで、幅広い芸術を取り扱うのも特徴です。

■シカゴ美術館の所蔵品

シカゴ美術館ではアメリカ・ヨーロッパをはじめ、アジア・アフリカ・オセアニアなど世界中の美術品をコレクションしています。

特に、アメリカの代表画家であるグラント・ウッドとエドワード・ホッパーの作品は、当美術館の看板作品として有名です。

コレクションはコレクターからの寄贈により現在も増え続けており、さらなる充実が期待されます。また、作品の種類もバラエティに富んでおり、絵画・版画・彫刻・陶磁器・屏風・インテリアのミ二チュアなど見どころは尽きません。

そんなシカゴ美術館のコレクションには、どのような作品が含まれているのでしょうか。主要な作品をご紹介します。

・《睡蓮》1906年クロード・モネ

(Public Domain /‘Water Lilies’by Claude Monet. Image viaWIKIMEDIA COMMONS)

(Public Domain /‘Water Lilies’by Claude Monet. Image viaWIKIMEDIA COMMONS)

クロード・モネは、1840年にフランスのパリで生まれました。一家はモネが5歳の頃にノルマンディー地方のル・アーヴルに移住します。その頃からモネは絵が上手で、似顔絵を販売できるほどの腕前でした。

18歳で風景画家ウジェーヌ=ルイ・ブーダンに師事すると、1859年からはパリの画塾に通うようになります。1865年にサロンに初入選しますが、その後は落選が続き経済的に苦しい時代が続きました。

転機となったのは1874年に画家仲間と行ったグループ展です。モネが出品した『印象・日の出』がのちの印象派の原点となりました。また、1878年まではアルジャントゥイユで制作していましたが、妻が亡くなったこともあり1883年からはセーヌ川沿いのジヴェルニーに住み始めました。

(Public Domain /‘Claude Monet’by Nadar. Image viaWIKIMEDIA COMMONS)

1890年代は「積み藁」「ポプラ並木」「ルーアン大聖堂」などの連作を生み出し、巨匠と呼ばれる画家となります。晩年は白内障の手術を受けながら制作を続け、1926年に86歳で生涯を閉じました。

本作品は、モネが1898年頃から集中的に描いた『睡蓮』の一作です。モネが暮らしたジヴェルニーの家の庭には、花の庭と水の庭がありました。本作品のモデルとなった水の庭には睡蓮が咲いており、これを主題とした作品を1900年までは太鼓橋を中心とした構図、1900年代後半までは花・葉・水面を中心とした構図で多数制作しています。

《グランド・ジャット島の日曜日の午後》1884年~1886年ジョルジュ・スーラ

(Public Domain /‘A Sunday Afternoon on the Island of La Grande Jatte’by Georges Seurat. Image viaWIKIMEDIA COMMONS)

本作品は1884年~1886年に制作された作品で、新印象派の画家ジョルジュ・スーラによって描かれました。

ジョルジュ・スーラは、1859年にフランス・パリの裕福な家庭で生まれました。1878年からはエコール・デ・ボザール(国立美術学校)に入学し美術教育を受けますが、途中1年間兵役で休学しています。

1883年からは多くの素描やクロクトン(油彩下絵)を制作し、何度も構図やモチーフを研究しながら最初の大作「アニエールの水浴」を完成させました。スーラは、この作品で一部使用した点描を突き詰め、のちに「点描画」という技法を発明します。

(Public Domain /‘Georges Seurat’by Unknown author. Image viaWIKIMEDIA COMMONS)

さらなる活躍が期待されたスーラでしたが、1891年に31歳の若さで亡くなりました。死因ははっきりしておらず、パリ東部のペール・ラシェーズ墓地で眠っています。

本作品は、スーラのキャリア最大で、代名詞ともいえる作品です。郊外の公園で人々が穏やかにくつろぐ様子を、独特の世界観で描いています。1886年に開催された最後の印象派展に出品され、大きな話題を集めました。批評家フェリックス・フェネオンは本作品を「新印象派」とカテゴライズしています。

直観的であった印象派の色彩理論を、光学的な観点で推進する「点描画」。この技法にたどり着いたスーラは、色・光・形に重きを置き、約2年かけて本作品を完成させました。

・《ナイトホークス》1942年エドワード・ホッパー

(Public Domain /‘Nighthawks’by Edward Hopper. Image viaWIKIMEDIA COMMONS)

本作品は1942年に制作された作品で、20世紀アメリカ絵画の代表画家エドワード・ホッパーが描きました。

エドワード・ホッパーは、1882年にアメリカのニューヨーク州で生まれました。商業美術の学校へ進学すると、さらにニューヨーク美術学校で学びを深めます。

ニューヨーク美術学校でホッパーが出会ったロバート・ヘンライは、独自の印象派絵画を構築するアシュカン派(ごみ箱派)のリーダー的存在でした。煌びやかなアメリカではなく、一般階級の人々のリアルな暮らしを描くアシュカン派の作品は、ホッパーの描写法に大きな影響を与えたとされています。

美術学校を卒業したホッパーは、イラストレーターとして仕事を請け負うようになりました。しかし、自身の希望とは違う絵を描く生活にストレスを感じ、水彩画と油彩画を再開することを決心します。

(PublicDomain /‘Edward Hopper, New York artistAbstract/medium’by Harris & Ewing. Image viaWIKIMEDIA COMMONS)

次第に風景画を中心に評価が高まり生計が立てられるようになると、ワシントン・スクエアにアトリエを構えます。しかし、生活自体は質素を好み、車や列車での旅をひそかな楽しみにしていました。

本作品は、ホッパーが描いた数多くの作品の中でも一番有名だとされる傑作です。ニューヨークの街角のレストランを描いており、効果的な光の演出が特徴です。無表情な4人の登場人物の表情からは、人間の孤独・大都市の空虚さを表現していると考える説もあります。

■おわりに

シカゴ美術館はアメリカ・シカゴにある美術館で、アメリカ・ヨーロッパを始め世界中の芸術作品を鑑賞することができます。企画展やイベントも不定期で行われており、訪れるたびに新しい発見が見つかります。

※本記事はコロナウイルス感染症拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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