デ・ヤング美術館:17世紀以降のアメリカアートやコンテンポラリーアートが充実している美術館

デ・ヤング美術館は1894年に開館したサンフランシスコの美術館です。17世紀以降のアメリカ芸術史を網羅したコレクションが見どころで、加えてコンテンポラリーアートやアフリカアートなども鑑賞することができます。そんなデ・ヤング美術館の歴史と所蔵品について、詳しく解説していきます。

■デ・ヤング美術館とは

デ・ヤング美術館はアメリカのサンフランシスコにある美術館です。都市公園であるゴールデン・ゲート・パークを構成する施設の一つとなっています。

元々の建物は、1894年のカリフォルニアミッドインター万国博覧会のために建設されたファイン・アート・ビルディングでした。美術館は、万博の委員長であったマイケル・ハリー・デ・ヤングにちなんで『デ・ヤング美術館』と名付けられます。1906年にはサンフランシスコ地震の被害に遭い、1年半の年月を要する修復工事を余儀なくされました。

コレクションが増加した1919年には、追加展示スペースの建築も始まります。新たなスペイン風の建物は、デ・ヤングが死去した1925年に完成しました。その後も増改築を繰り返します。

1929年になると安全上の問題により当初の建物の取り壊しが行われ、さらに1989年のロマ・プリータ地震では残りの建物も大きな被害を受けました。そのため、新館を建設することが決まり、スイスの建築家ヘルツォーク&ド・ムーロンの設計により2005年に現在の建物が完成しました。

■デ・ヤング美術館の所蔵品

デ・ヤング美術館のコレクションの中心は17世紀以降のアメリカアートで、1,000点以上の絵画、約800点の彫刻、3,000点以上の装飾美術品を所蔵しています。

また、コンテンポラリーアート、アフリカ芸術・海洋芸術・テキスタイルアートなど、幅広いジャンルの作品を鑑賞することができます。

そんなデ・ヤング美術館のコレクションには、どのような作品が含まれているのでしょうか。主要な作品をご紹介します。

・《縛られたプロメテウス》1847年トマス・コール

(Public Domain /‘Prometheus Bound’by Thomas Cole. Image viaWIKIMEDIA COMMONS)

本作品は1847年に制作された作品で、ハドソン・リバー派の創始者トマス・コールが描きました。

トマス・コールは、1801年にイギリスのボルトン・レ・ムーアで生まれました。1818年に一家でアメリカ・オハイオ州に移住すると、そこで出会った放浪画家スタインから絵画を学びます。

1822年からは肖像画家として仕事を請け負うようになりますが、コールの興味は次第に風景画へと移っていきました。1824年にペンシルベニア美術アカデミーで本格的に絵画を学ぶと、1826年にはアメリカ学芸アカデミーの年次展示会への出品作で高い評価を受けます。

(Public Domain /‘Portrait of Thomas Cole, American painter’by Unknown author. Image viaWIKIMEDIA COMMONS)

その後、コールの描く絵画はハドソン・リバー派とカテゴライズされるようになり、アメリカ最高の風景画家という名声も手に入れました。生涯で描いたスケッチは数千点にものぼり、その多くはデトロイト美術館に所蔵されています。

また、コールは風景画だけでなく、寓話的な作品も数多く制作しました。架空の帝国の始まりから衰退・荒廃を描いた連作や、アダムとイブをモチーフとした作品が有名です。

本作品は、古代ギリシャ神話をモチーフとした寓話的絵画です。天界の火を盗んで人類に与えたとされる神・プロメテウスが、ゼウスから処罰を受けているシーンが描かれています。雪山を照らす光の描写技術が高い評価を受けました。

・《熱帯地方の雨季》1866年フレデリック・エドウィン・チャーチ

(Public Domain /‘Rainy Season in the Tropics’by Frederic Edwin Church. Image viaWIKIMEDIA COMMONS

本作品は1866年に制作された作品で、アメリカの風景画家フレデリック・エドウィン・チャーチが描きました。

フレデリック・エドウィン・チャーチは、1826年にアメリカのハートフォードで生まれました。父親は実業家という裕福な家庭で育ち、家族の知り合いにはワズワース・アテネウム美術館を作ったダニエル・ワズワースがいました。18歳になるとワズワースの紹介により、ハドソン・リバー派の画家トマス・コールの弟子になります。

2年間の修行期間を終えると、ニューイングランドとニューヨークを巡り様々な地方の風景画を描きました。1846年にはワズワース・アテネウム美術館が130ドルで彼の絵画を買取り、1848年には国立デザインアカデミーの最年少正会員となります。

1853年と1857年に南米を訪れた際には、エクアドルのキトに拠点をおいて、アンデスの風景や山、川をスケッチしました。ニューヨークに戻るとそのスケッチを元に絵画制作を行い、発表された作品は当時存命のアメリカ人アーティストとして最高価格で売却されました。

(Public Domain /‘Frederic Edwin Church, c.1868’by Napoleon Sarony. Image viaWIKIMEDIA COMMONS)

1860年頃がチャーチの全盛期で、アメリカで最も有名な芸術家の1人になりました。その後、ロンドン・パリ・エジプト・エルサレム・ローマへ長期旅行をしますが、その先々ではチャーチの作品は評価されず、ニューヨークに戻ったときにはすでに知名度は衰えていました。

本作品は南米の熱帯雨林を描いたもので、チャーチが長期旅行へ出発する直前に制作されました。虹が非常に印象的ですが、山肌や樹木の茂り・山道などの忠実な描写は、チャーチの真骨頂が発揮されているといえます。

・《《プレット》1948年クリスチャン・ディオール

本作品はクリスチャン・ディオールのドレスで、1948年に制作されました。

当美術館には、第二次世界大戦後の20世紀のテキスタイルが数多く所蔵されています。その中の一作であるこのドレスは、1950年代に活躍したファッションデザイナーであるクリスチャン・ディオールの作品です。

クリスチャン・ディオールは1946年にパリで設立されたファッションブランドです。1947年に最初のコレクションを発表し、細いウエストとゆったりしたスカートのデザインで注目を集めます。当初は膝下まで覆うデザインや贅沢な生地使いに賛否が分かれましたが、戦争が終わって物資が十分に行き渡るようになると、次第に評価を得るようになりました。

ディオールの革新的なデザインは『ニュールック』と呼ばれ、女性服のデザインに大きな影響を与えます。パリはファッションの中心地となり、ディオールブランドはオートクチュールの頂点となりました。

本作品は、ディオールのキャリア最初期に作られたドレスです。ウエストの引き締まったデザインと幾重にも重なったスカートが、当時のディオールブランドの特徴をよく表しています。

■おわりに

デ・ヤング美術館はサンフランシスコにある美術館で、アメリカ・アフリカ・オセアニアの芸術作品にふれることができます。作品の形態はバラエティに富んでおり、絵画・彫刻・工芸品・テキスタイルなどが広い館内で展示されています。

※本記事はコロナウイルス感染症拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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