デトロイト美術館:市民に愛され存続を果たしたアメリカ屈指の美術館

デトロイト美術館は、アメリカのミシガン州デトロイトにある美術館で、1885年に開館しました。この美術館は、市の財政破綻により窮地に立たされていたところを、デトロイトの周辺住民や多くの企業の支援を受けて存続を果たしたという特別な歴史を持ちます。その後も多くの援助により貴重なコレクションが多く集まり、規模が大きくなったことによって、アメリカ屈指の美術館として知られるようにもなりました。そんなデトロイト美術館の歴史と所蔵品について詳しく解説していきます。

■デトロイト美術館とは

デトロイト美術館は、アメリカのミシガン州デトロイトにある美術館です。ギャラリー数は100を超え、古代エジプト美術から現代美術にいたるまでの65000点以上におよぶ芸術品を所蔵しています。

1919年以来、この美術館は市が所有していました。しかし、2013年のデトロイト財政の破綻により所蔵品の売却が検討されるという窮地に立たされます。美術館を愛するデトロイトの周辺住民はこれに賛同できず、寄付の呼びかけを行います。この運動が功を成したことで、美術館は1点の作品も売却することなく存続できることになったのです。デトロイト周辺には地元の企業だけでなく世界の企業も多く進出しており、歴史的で貴重なコレクションを誇るこの美術館を救うため、多くの企業からの寄付が集まりました。

多大な支援を受けて存続を果たしたデトロイト美術館は、独立した非営利団体の管轄となり、市の財政破綻が再び起こっても所蔵品売却の危機に陥ることはなくなりました。その後も自動車業界などの有力者からの資金援助も受け、アメリカ屈指の規模を誇るコレクションとなりました。また、ゴッホやマティスの作品をアメリカ公共美術館として初めて購入した美術館としても知られています。

■デトロイト美術館の所蔵品

デトロイト美術館には、古代エジプト美術からルネッサンス、バロックの絵画や彫刻、アフリカやネイティヴ・アメリカンの造形美術、近現代美術にいたるまでの幅広く多様なコレクションが65000点以上所蔵されています。特に、アメリカ出身の芸術家による作品は多く、その数はアメリカで3番目の規模を誇っています。また、モネ、ルノワール、ドガ、ゴッホ、ゴーギャン、セザンヌ、マティス、モディリアーニ、ピカソといった近代ヨーロッパ絵画の巨匠たちによる貴重な作品も多数展示されています。

そんなデトロイト美術館のコレクションには、どのような作品が含まれているのでしょうか。主要な作品をご紹介します。

・《Detroit Industry Murals》1932年~1933年ディエゴ・リベラ

本作品は1932年~1933年に制作された壁画作品で、メキシコの画家ディエゴ・リベラによって描かれています。

ディエゴ・リベラは1886年、メキシコのグアナファトの裕福な家庭に生まれました。1896年、10歳でサン・カルロス美術学校に入学し絵を学んだリベラは、1907年に奨学金を得てスペインやパリなどでも絵の勉強をしました。リベラはパリのモンパルナスで暮らす中で、アメデオ・モディリアーニやモイズ・キスリングといったエコール・ド・パリ(モンマルトルやモンパルナスに集まり、ボヘミアン的な生活をしていた画家たち=パリ派)の若い芸術家たちと交友を深めています。この頃、リベラはキュビズム(パブロ・ピカソとジョルジュ・ブラックが創設した現代美術の様式)に強い影響を受け、画家として注目されるようになっていきました。

1920年にパリを離れ、イタリア旅行で壁画を研究したリベラは、1921年にはメキシコ壁画運動の中心人物となりました。そして、公共建築などの壁画を多く手掛け、メキシコの伝統や社会主義的な文脈を組み合わせたテンペラ画による作品を描くようになります。その後リベラは、1930年から1933年にかけて大不況後のアメリカで活動し、産業や労働者をテーマにしたフレスコ画を多く制作しました。

本作品は、当時のアメリカの労働風景が様々なテーマに分かれて一面の壁に描かれています。中でも、フォードの自動車工場で働く労働者を描いた部分は特に注目されています。人種差別により、黒人が白人と一緒に仕事をすることはあり得なかった当時に、リベラはあえて白人と黒人が協力して作業をするという、自身の理想の形を描きました。当時、この作品は物議を醸していましたが、現在では傑作とされています。

・《Watson and the Shark》1782年ジョン・シングルトン・コプリー

(Public Domain /‘Watson and the Shark’by John Singleton Copley. Image viaWIKIMEDIA COMMONS)

本作品は1782年に制作された作品で、アメリカのボストン出身の画家ジョン・シングルトン・コプリーによって描かれています。

ジョン・シングルトン・コプリーは独立前のアメリカ出身の画家として、初めて国際的な評価を受けた人物の一人です。コプリーは1738年にアメリカのボストンに生まれました。少年時代に、母親の再婚相手であった義理の父親から絵を学び、ゴドフリー・ネラーやジョシュア・レノルズら画家たちの作品を模写しながら技術を磨きました。1766年には、ロンドンの展覧会に出品した絵がジョシュア・レノルズらから称賛されています。

(Public Domain /‘John Singleton Copley Self-Portrait’by John Singleton Copley. Image viaWIKIMEDIA COMMONS)

アメリカ独立戦争が近づく1774年、コプリーはイギリスのロンドンに住み、歴史画を描く新古典主義の画家ベンジャミン・ウエストと親しくなりました。その影響により、コプリーはもともと描いていた肖像画から、歴史画に分類されるような作品を描くようになったのです。1799年にはロイヤル・アカデミー・オブ・アーツの会員となり、健康の衰える晩年まで絵画制作を続けました。

本作品は、コプリーが歴史画を手掛けた最初の作品で、サメと戦う人間を題材にしたもののです。この絵は、1778年に最初に描かれたものが王立アカデミーで展示されました。その後、同サイズのレプリカとなる絵画が制作され、3番目には小さなバージョンが制作されています。本作品は、3番目のバージョンの作品にあたります。

・《Indian Telegraph》1860年ジョン・ミックス・スタンレー

(Public Domain /‘Indian Telegraph’by John Mix Stanley. Image viaWIKIMEDIA COMMONS

本作品は1860年に制作された作品で、アメリカの芸術家であり探検家でもあるジョン・ミックス・スタンレーによって描かれています。

ジョン・ミックス・スタンレーは1814年、ニューヨークのフィンガーレイクス地方に生まれました。12歳で孤児になり、14歳になると指導者のもと修業を積みます。その後も独学で絵画の技術を学びながら、20歳でデトロイトに移り、標識と肖像画の巡回画家として活動しました。

(Public Domain /‘John Mix Stanley Self-Portrait’by John Mix Stanley. Image viaWIKIMEDIA COMMONS)

1842年にアメリカ西部へ旅行したスタンレーは、アメリカ先住民の生活を描くようになりました。1846年のメキシコ戦争の勃発により、カリフォルニアおよびオレゴン準州へ派遣されたスタンレーは、遠征先でも多くのスケッチや絵画を描いています。引き続き西部の旅行で制作を続けた彼は、1852年にスミソニアン博物館で大規模な展示を行い、注目を集めました。スタンレーは、10年に渡るアメリカ西部とハワイ諸島の旅行により43の部族を描き、そのコレクションは200点にまで及びました。しかし、彼の作品は1865年のスミソニアンの火災により、そのほとんどが失われてしまいました。現在にも残るスタンレーの数少ない作品は、国立および多くの地域の博物館によって保存されています。

本作品は、スタンレーが描いた絵画のなかで、残された数少ない作品の一つです。夕日に照らされている高い岩に登ったアパッチ族(ネイティブ・アメリカン部族)の一員が、カーニー将軍(アメリカ陸軍の士官)の遠征の進軍を、煙で仲間に知らせている様子を描いています。

■おわりに

デトロイト美術館では、無料の公開ガイド付きツアーを毎日開催しています。デトロイトならではの芸術的なギフトの並ぶショップや、カフェ、レストランなども充実しています。

※本記事はコロナウイルス感染症拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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