アファンディ美術館:インドネシア表現主義の巨匠、アファンディの美術館

アファンディ美術館とは、インドネシアの表現主義の巨匠アファンディ画伯の自宅兼アトリエを解放し、公開している美術館です。アファンディは絵の具をキャンバスに直接出し、筆の代わりに自らの手を使った厚塗りの技法で独特な絵画を描きました。美術館の建物はバナナの葉の形の屋根にカラフルな彩色、高床式のユニークなデザインで、画家自身が設計した建物となっています。作品とともに巨匠アファンディの生涯を感じることが出来る美術館となっており、インドネシアの画家の卵達の聖地となっています。

■アファンディ美術館とは

アファンディ美術館とはインドネシアの近代絵画である画家アファンディ画伯の自宅兼アトリエを解放し、公開している美術館です。

アファンディはインドネシアのジョグ・ジャカルタを拠点として活躍した、世界的に有名な表現主義の巨匠ともいえる画家です。表現主義とは、外界の客観的な要素よりも、人間の内面を表現することを重要とした芸術の流れを言います。表現主義の作品は、個人の主観によってとらえた世界、心の揺らぎなどを、非現実的なフォルムやゆがみをともなわせて表現するのが特徴となっています。アファンディは、チューブから直接キャンバスに絵の具を出し、筆の代わりに自らの手を使った厚塗りの技法で彼の内面性があふれる独特な世界観の絵画を描きました。

アファンディがチューブから直接描く技法を確立できたのは、偶然によるものでした。ある日、絵を描いていた時に筆が紛失して見つからなかった為、我慢できずにチューブから絵の具を出して手で直接キャンバスに描いたのです。この偶然の出来事で、アファンディは絵の具と手による自由な表現の魅力に開眼し、自らの絵画技法として確立させました。その波打つような、流動的な厚塗りの筆致は、ゴッホ作品との共通性が指摘されています。

アファンディは1907年にジャワ島の西ジャワ州、チレボンにて砂糖農園を営む家に生まれました。母親は彼が医者になることを望んでいましたが、絵画への情熱から高校を中退し、独学で絵画を学んでいきます。アファンディは誰にも師事せず、雑誌に掲載されている巨匠達の絵画から技法を学んでいきました。印象派、ゴヤ、ムンクやルネッサンス期のボッティチェリ、ボス、ブリューゲルがアファンディにとっての師匠であり、彼らに影響を受けながら作品を制作していきます。

1933年、絵描き仲間のマリアティと結婚し、翌年には長女カルティカが生まれます。生計を立てるために教師や劇場のチケット切り、看板描きをしながら絵を描き続けました。やがて、看板描きの仕事で余った絵の具を使って風景画を描くと、それらの作品が売れるようになり、アファンディは本格的に画家としての活動を始めます。

1943年、日本軍占領下のジャカルタで初の展覧会を開き、1948年には「インドネシア画家連合」の創始者の1人となりました。アファンディの作品は世界から注目されるようになり、1949年からのインドへの絵画研修の旅行をはじめ、ヨーロッパ、アメリカと世界中を周り、展示会を開催していきます。

1962年にオハイオ州立大学の教授に任命され、1968年にはハワイのジェファーソンホールのフレスコ画を完成させ、1970年の大阪万博にも共同展示で参加しています。1974年にはシンガポール大学の名誉博士となり、1977年にはイタリアのフィレンツィエでグランド・マエストロの称号を授与されました。

その後、娘のカルティカをはじめ、画家になった親族らと数多くの家族展を開催します。そして1990年、アファンディは83歳で生涯を閉じました。死の直前、彼はこの美術館で自らの作品を長い時間みつめながら過ごしたそうです。アファンディは生前、家族と自分の作品に常に囲まれていることを強く望んでいたそう。彼の遺志に従い、自宅兼アトリエであった美術館の敷地内に埋葬されました。

■アファンディ美術館のコレクション

アファンディ美術館はインドネシアのジョグ・ジャカルタのガジャウォン川のほとりに位置しています。美術館はアファンディ自身が設計した、バナナの葉形の屋根、カラフルな壁で高床式のユニークなデザインの建物を含む、3つのギャラリーから構成されており、約300点のアファンディ作品をコレクションしています。

第1ギャラリーはバナナの葉形をした屋根の建物で、1974年に建てられました。アファンディの素描や水彩画、油彩画など、彼の初期の作品から独自性を確立するまでの全ての作品を観賞することが出来ます。また、愛用の自転車やアファンディと娘のカルティカの愛車だった三菱の黄色いギャランなどもあり、画家の日常や趣向を知る興味深い展示もあります。

第2ギャラリーは1988年に増築された建物で、アファンディの友人や地元の作品が多く展示されています。第3ギャラリーはアファンディの死後、アファンディ財団によって2000年に建てられた建物で、妻マリアティの刺繍や、娘の画家カルティカやルクミニ、息子の画家ジュキの作品など、芸術家一族であるアファンディ家の作品が展示されています。

美術館にはギャラリーの他、アファンディと妻マリアティが眠る墓や、家族と生活した邸宅、ジェロバック(インドネシアの伝統的な車)を改装した礼拝所があり、アファンディの人生や生活を感じることが出来ます。また、アーティストや学生のための展示やワークショップ用のスペースであるガジャウォンスタジオも開設されています。作品とともにアファンディの精神を引き継ぐ美術館となっており、インドネシアの画家の卵達の聖地となっているのです。

そんなアファンディ美術館のコレクションには、どのような作品が含まれているのでしょうか。主要な作品をご紹介します。

・《自画像》1938年アファンディ

本作品は1938年に制作された作品で、インドネシアの表現主義の巨匠アファンディによって描かれた作品です。

この作品には、30歳頃と思われる若き日のアファンディの自画像が描かれています。アファンディの背後に描かれた暗色の影のような物体は、亡き父の姿とされています。アファンディの父親は彼が生まれて間もなく死去しているため、彼の父親は明確な輪郭を持たず、ぼんやりとした影のように描かれています。

この作品はアファンディの初期作品であり、表現主義的な技法は用いられず、写実的な絵画となっています。独学とは信じがたいほど高い描写力で完成された自画像となっており、アファンディの才能を感じさせる作品となっています。

・《画家とその娘》1950年アファンディ

本作品は1950年に制作された作品で、インドネシアの表現主義の巨匠アファンディによって描かれた作品です。

この作品は1950年のインド旅行中、アファンディが溺愛していた娘のカルティカが結婚する時期に描かれています。ケバヤ(インドネシアの伝統衣装で、ワンピースの上にブラウスを着た服)を着て正装し、髪に花をつけたカルティカが絵の中央に描かれ、左には手足と胴体の一部だけのアファンディが描かれています。

アファンディは自分の全身を描かないことにより、愛する娘を幸福のために手放すこと、そして彼女が旅立ってしまうことへの強い孤独感を表しています。結婚前の父と娘の微妙な距離感が描かれており、また、娘の幸せを願う良き父、アファンディの姿が浮き彫りになった作品といえます。

カルティカはアファンディの作品に頻繁にモチーフとして描かれており、彼のインスピレーション源となる1人のアーティストであったことがうかがえます。カルティカも父を継いで画家となり、一流の画家として活躍しています。美術館の第3ギャラリーには彼女の作品も展示され、アファンディから受け継がれた才能と絵画への情熱を感じることが出来ます。

・《初孫を抱く》1953年アファンディ

本作品は1953年に制作された作品で、インドネシアの表現主義の巨匠アファンディによって描かれた作品です。

この作品はアファンディにとって最初の孫の誕生を描いた作品で、絵の具を直接キャンバスにのせて描く彼の独自の技法が確立された作品となっています。

暗い色と色がうねりあう背景に三日月が浮かび上がり、中央にはアファンディが生まれたばかりの裸の赤ん坊を抱いて立つ姿が描かれています。初めての孫を抱くアファンディは感極まって泣いているかのような表情で、抱かれている赤ん坊は安らかに眠っています。アファンディの初孫誕生へのあふれ出る感情の波が画面全体に広がり、すべての輪郭をゆがめてしまっているかのようです。

キャンバスに絵の具を直接のせて手で描く技法は、アファンディの感性とキャンバスを直結させることを可能にしました。この独自の表現方法により、感情と本能にまかせて創造されるアファンディの芸術性が余すところなく発揮され、彼の心情があふれ出る作品となっています。

■おわりに

アファンディは独学で絵画を学び、独自の技法で人間の感情や内面のありのままを表現しました。彼は本能のままに絵画を描き、それらの作品は人の心に訴える強い魅力を持っています。インドネシアを訪れる機会があれば、ぜひ足を延ばしてみてはいかがでしょうか。

※本記事はコロナウイルス感染症拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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