ペラ美術館:文化的に貴重なトルコの美術品を展示した美術館

トルコのイスタンブールにあるペラ美術館は、スナ・イナンクラチ財団によって設立された美術館です。遺跡や考古学的な出土品が豊富な一方で写実的な絵画などが重要視されていなかったトルコの、貴重な古美術品が展示されています。今回はそんなペラ美術館の歴史と所蔵品について詳しく解説していきます。

■ペラ美術館とは

2005年にスナ・イナンクラチ財団によって設立された比較的新しい美術館ですが、建物自体は元々1893年に旧ブリストルホテルとして設計されたものです。2003年に改修作業が行われ、外観を維持したまま近代的な内装の美術館へと整えられました。

歴史深い土地柄のトルコでは、遺跡や出土物など考古学的に重要なアイテムが多く保存されてきましたが、それに比べ絵画などの美術品はあまり重要視されてこなかったという傾向にあります。長い間イスラム教徒の土地であった為、偶像崇拝が禁じられてきたことが背景にあると見られています。模様などの様式美は発展しましたが、写実的な絵画の文化はあまり発展しませんでした。近年、国内外でトルコ美術への見方が見直され、トルコ内の美術館は近年増えつつあります。ペラ美術館もその流れの中で生まれました。

美術館では、貴重なトルコの古美術品を中心に、19世紀の芸術におけるオリエンタリズムに特に焦点を当てた展示がされています。他にも、オスマン帝国時代の写本、ビザンチン時代の作品、共和国時代の書籍のコレクションなどを所蔵し、まさに文化を伝える役割を果たしています。

また、開館以来毎年、国内外の芸術および教育機関と協力し企画展を開催しています。ピカソやシャガール、更には日本の黒澤明など、著名なアーティストの展示も過去に数多く、ジャンルは多岐に渡ります。

■ペラ美術館の所蔵品

キュタフヤ陶器やオスマン時代の絵画など、文化的に貴重なトルコの美術品が所蔵されています。中でも注目はオスマン・ハムディ・ベイというイスタンブール生まれの画家です。彼の作品はトルコ国内での美術ブームの火付け役になったほど重要です。

そんなペラ美術館のコレクションには、どのような作品が含まれているのでしょうか。主要な作品をご紹介します。

(Public Domain /‘The Tortoise Trainer’by Osman Hamdi Bey. Image viaWIKIMEDIA COMMONS)

《亀の調教師》1906年オスマン・ハムディ・ベイ

本作品は、オスマン帝国の行政官、知識人、美術専門家、画家であり、考古学者でもあったオスマン・ハムディ・ベイによって描かれた作品です。代表作であり、トルコでの美術ブームの火付け役となった作品でもあります。

1992年、テレビ事業者のエロル・アスコイがこの作品を70万ドルで購入。当時トルコ人画家の描いた作品としては最高価格でした。2004年12月12日にオークションにかけられ、スナ・イナンクラチ財団がペラ美術館に展示するために350万ドルで落札しました。異例の落札価格にメディアが大々的に取り上げ、一般市民へと知れ渡り、この絵画はモチーフとして何百万回も複製されグッズも多く発売されました。

オスマン・ハムディ・ベイは1842年イスタンブールに生まれ小学校を出た後、イスタンブール、パリにて法律を学びますが画家になりたいという夢を諦めることは出来ませんでした。その為、法学を辞めフランスのオリエンタリズムを代表するジャン=レオン・ジェロームとギュスターヴ・ブーランジェに師事することにします。

当時の芸術の国際的中心地であったパリに9年間居住します。彼の滞在中ナポレオン3世がオスマン帝国君主を1867年のパリ万国博覧会に招き、初の西洋訪問を果たします。彼はその博覧会で、3つの絵画を展示することにしました。

その後、学生時代に出会ったフランス人女性マリーと共にイスタンブールに戻り結婚。2人の娘をもうけます。帰国後はミドハト・パシャの行政団体の一員として勤めた後、宮廷儀礼の官庁の副長官に就任します。1870年代にはオスマン帝国の官僚制度の上層部の役職をいくつかこなしていきます。

1881年、帝国博物館の館長に就任すると、博物館の発展に尽力しました。また、文化財保護に関する法律の整備や、考古学探索の支援を行いました。1882年には芸術アカデミーを創設し、その長として就任。オスマン人に帝国外に出ることなく美術と芸術の鍛錬を行う手段を提供しました。博物館館長とアカデミーの長を務めつつ、絵画の作成を積極的に続けており、とても多才な人物として名を残しています。

(Public Domain /‘Prince Abdürrahim Efendi’by Fausto Zonaro. Image viaWIKIMEDIA COMMONS)

《Prince Abdurrahim Efendi》1900年ファウスト・ゾロナ

本作品は、イタリア人画家ファスト・ゾロナによって描かれた作品です。アブドゥルラヒム・エフェンディ王子がモデルとなっています。

ファウスト・ゾロナは1854年、オーストリア帝国の一部であったパドヴァ県マシで生まれました。絵描きとしての才能を現した彼は研究所やアカデミーで学び、その後ヴェネツィアで小さなアートスクールとスタジオを開設します。積極的に展覧会で作品を展示し、高い評価を得ることになりました。その後エリザベッタパンテという女性と恋に落ちたことが転機になり、東洋旅行記にインスピレーションを受け2人でオスマン帝国の首都イスタンブールへと旅立ちます。

1892年、2人は結婚しイスタンブール、ペラ周辺に住むことになりました。次第に貴族階級の支持を得るようになり、ユルドゥズ宮殿に招待され、有名な地元の芸術家オスマン・ハムディ・ベイに会うように勧められたことをきっかけに、互いを知ることになります。その後イタリアに戻りますが、オスマン帝国の生活と歴史の写実的な絵を残した画家として、トルコでも深く名を刻みました。

(Public Domain /‘A European in Turkish Costume’by Antoine DeFauray. Image viaWIKIMEDIA COMMONS)

《トルコ衣装を着たヨーロッパ人》1762年アントワーヌ・ド・ファヴレイ

本作品は、フランス生まれの画家アントワーヌ・ド・ファヴレイによって描かれた作品です。彼はオスマン帝国やマルタで肖像画などを多く描きました。

1706年、フランス北部のバニョレで生まれました。若い頃の詳細については知られていません。画家のジャン=フランソワ・ド・トロワの弟子として修行を積み、当時はラファエロやティツィアーノの作品の模写をしていたという記録が残っています。1744年にマルタを訪れ、1751年には聖ヨハネ騎士団に入会。貴族の肖像画や修道院の装飾画を描いていましたが、スキャンダルがあったことからマルタを離れることになります。その後の1762年にコンスタンティノープルに移り、フランスのトルコ大使ヴェルジャンヌ伯爵に気に入られトルコに9年間滞在し、伯爵の家族の肖像画やトルコの風物を描きました。再びマルタに戻り、92歳で亡くなるまで画家として活動し、役人としても働きました。

■おわりに

ペラ美術館では、文化的に重要で貴重なトルコの古美術品を鑑賞することができます。小規模ながらも充実した展示とモダンな館内はとても見応えがあり、人気の美術館です。トルコに訪れた際には、ぜひ足を延ばしてみてはいかがでしょうか。

※本記事はコロナウイルス感染症拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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