サスミタロカ博物館:インドネシアの国民的英雄スディルマン将軍の功績を称える博物館

サスミタロカ博物館はインドネシア・ジョグジャカルタ市にあり、スディルマン将軍の邸宅を改装した博物館です。インドネシア独立戦争で軍最高司令官を務めたスディルマン将軍は、現在もインドネシア国民からの尊敬を集め続けています。そんな博物館の歴史と所蔵品について詳しく解説していきます。

■サスミタロカ博物館とは

インドネシアのジョグジャカルタ市にある博物館で、1976年に設立しました。

1942年~1945年の期間は日本の占領下に置かれ、家具の押収後に日本人将校が利用しています。

インドネシア共和国の独立後は、スハルト中佐の「トゥクル」会社本部として3カ月間使用されました。1945年12月18日~1948年12月19日の期間は、人民安全保障軍の最高司令官・スディルマン将軍の公邸となっています。

1948年12月19日にオランダ軍が首都ジョグジャカルタへの侵攻をスタートすると、建物は情報基地となります。そして、1949年12月27日にインドネシアの主権が認められると、ヨギャカルタ市軍司令部の本部や歩兵隊、障害患者の寮として使用されました。

1968年から1982年の期間は陸軍博物館として公開され、1982年にスディルマン将軍の功績を称える博物館に生まれ変わりました。

建物はリマサン型で、植物をモチーフとした内装装飾や美しいシャンデリア、模様のある床タイルが印象的です。館内には14つの部屋があり、将軍とその家族が生活した空間を鑑賞することができます。

■スディルマン将軍とは

スディルマンは1916年にオランダ領東インドのプルバリンガで生まれました。生後すぐに裕福な叔父に引き取られ養子となります。スディルマン自身は18歳まで養子であることを知りませんでした。

1916年にはチラチャプへ引っ越し、学問と地域の課外活動に精を出します。中等学校の頃から持ち前のリーダーシップを発揮しており、周囲の人々から尊敬されていました。1936年に教育大学を卒業すると、教師として働き始めます。

1942年の日本占領下でも教師を続けていましたが、1944年に郷土防衛義勇軍へバニュマス大隊長として参加します。反逆を鎮圧するなど活躍をみせましたが、のちに拘留されました。

1945年8月17日のインドネシア共和国独立宣言をきっかけにスディルマンは拘留から解放され、ジャカルタへ移りました。ジャカルタでスカルノ大統領と面会を果たすと、日本兵投降者の監督・第5管区の部隊長・軍の最高司令官と順調に昇進します。

民衆からの指示が高まったのは、オランダ軍と戦ったアンバラワの戦いにおける陣頭指揮・イギリス軍を撤退させたことの2点が大きかったと言われています。

しかし、オランダ軍との交渉・協定が失敗に終わったことで、軍内部からの反発を受けました。失脚するかに思えましたが、1948年12月19日にオランダ軍が行ったカラス作戦に対しゲリラ戦で応戦し、オランダ軍を撤退させることに成功します。これがきっかけとなり、オランダが正式にインドネシア共和国の独立を認めました。

独立の立役者となった将軍でしたが、持病の結核によりオランダの独立承認から数か月後に生涯を閉じます。スディルマン将軍の死は、インドネシア国民に大きな衝撃と悲しみを与え、葬儀には数千人の人々が集まりました。現在も国民的英雄として扱われており、記念碑やモニュメントの多くに名が刻まれています。

■サスミタロカ博物館の所蔵品

博物館のコレクションは、スディルマン将軍に由来する品が中心です。

日常生活で使用していた私物・家具・軍会議で使用した重要資料・軍服・武器などの所蔵品を通して、スディルマン将軍の生き様を後世に伝えています。日常生活で使用していた私物・家具・軍会議で使用した重要資料・軍服・武器などの所蔵品を通して、スディルマン将軍の生き様を後世に伝えています。

展示室は14室あり、「リビングルーム」「ラウンジ」「ワークスペース」「ゲストベッドルーム」「スディルマン将軍の寝室」「車両収集室」「パラガンアンバラワルーム」「プライベートコレクションルーム」「ドキュメントルーム」など、テーマ別に分類されています。

そんな博物館のコレクションには、どのような作品が含まれているのでしょうか。主要な展示物をご紹介します。

《スディルマン将軍の軍服》

本展示品はスディルマン将軍が実際に着用していた軍服です。

インドネシア中部・東ジャワの丘で将軍はオランダ軍とゲリラ戦を繰り広げました。ゲリラ戦を戦い抜くため、妻の宝石を売って資金を調達していたと伝えられています。

当博物館では、軍服のほかに靴・杖・ジャケット・コート・パジャマなどを鑑賞することができます。

《サブマシンガン(SMR)》

本展示品は1945年12月12日~15日のアンバラワの戦いで使用されたものです。

サブマシンガン(SMR)は、当時の他のマシンガンよりも軽量に設計されています。予備弾薬を運搬する補助員が付くこともありましたが、基本的には兵士が1人で持ち運んで使用する武器でした。戦地では主力部隊よりも、後方部隊が支援のために使用することが多かったとされています。

大きさは中型の機関銃よりも小さくて軽いライフルサイズでした。また、現代の最新マシンガンよりも多くの弾薬ベルトを搭載することが可能なので、途中で補充することなく長時間打ち続けることができます。

《戦地のジオラマ》

当博物館の展示室の1つにジオラマルームがあり、そこでは3つのジオラマを鑑賞することができます。

『ジオラマ1』1948年12月19日のオランダ軍とスディルマン将軍率いる軍の攻防の様子。
『ジオラマ2』オランダ軍とのゲリラ戦に突入した際の攻防の様子。
『ジオラマ3』ゲリラ戦でスディルマン将軍が指示した作戦やマップ。

このようにジオラマ展示では、スディルマン将軍が戦いの中でどのような作戦を練り、部隊を動かしていたかを分かりやすく表現しています。

■おわりに

サスミタロカ博物館はインドネシア・ジョグジャカルタ市にある博物館です。スディルマン将軍の邸宅を使用しており、将軍とその家族の暮らしぶりはもちろん、将軍が関わったインドネシア軍の戦いの歴史について知ることができます。ジョグジャカルタ市を訪れた際には、一度足を運んでみてください。

※本記事はコロナウイルス感染症拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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