バンクマンディリ博物館:オランダ植民地時代の銀行の様子が分かる博物館

バンクマンディリ博物館は、インドネシア・ジャカルタにある企業博物館です。ジャカルタの最大銀行であるマンディリ銀行が運営しています。植民地時代の銀行内部の様子を色濃く残しており、展示されている当時のカウンターや金庫、家具の数々はまるでタイムスリップしたかのような空間は必見です。そんなバンクマンディリ博物館の歴史と所蔵品について詳しく解説していきます。

■バンクマンディリ博物館とは

バンクマンディリ博物館はインドネシアのジャカルタ旧市街にあり、1998年に開館しました。同名のマンディリ銀行の企業博物館で、隣にはインドネシア銀行博物館があります。

もともと、この場所にはドイツの企業が所有するオフィスビルと倉庫がありましたが、1920年に大規模火災が発生し建て替えることになりました。その際に入居を希望したのがオランダ貿易協会(NHM)です。

オランダ貿易協会は1850年代~1860年代にかけて砂糖の販売で大きく発展した企業で、金融業界に大きな影響力を持っていました。本社はオランダ・アムステルダムにあり、バタビア(ジャカルタ)に支店を置くことでさらなる飛躍を目指しました。

1929年に新館の建設がスタートすると、1933年にオランダ貿易協会の第10代大統領CJカレルヴァンアールストが開館を宣言しました。建物はアールデコに近い近代建築で建てられており、建築物としても見応えがあります。

大きな利益を上げていたオランダ貿易協会は1960年に国有化され、Exim銀行の輸出入部に発展します。順調に経営していたように思われましたが、1998年に破綻してしまいます。そのため、インドネシア政府は同時期に破綻した4つの銀行(BBD・BDN・Exim・Bapindo)を合併し、新銀行の設立を発表しました。この新銀行こそがマンディリ銀行です。

政府は設立の際に、支部、職員数を大幅に減らして再編を図りました。その後は、2004年には東ティモールのディリに支店を開設。中国の上海にも事務所を開設するなど、海外への出店も積極的に行っています。

一方、当博物館の開館は1998年で、銀行として盛り上がりを見せていた植民地時代の風景をそのまま保存しています。証券・預金サービスのカウンターや財務室、簿記室、キャッシャー室はもちろん、オランダ貿易協会時代の砂糖検査室・砂糖栽培オフィスも残っています。

興味深いのは地下の展示室。顧客の現金・証券・貴重品を保管する貸金庫のような役割の部屋があり、普通の銀行ではなかなか入ることのできない貴重な鑑賞体験が可能です。

また、展示室だけでなく市民サービスルームやトロフィールーム、図書館なども併設されています。

■バンクマンディリ博物館の所蔵品

博物館では、オランダ植民地時代の銀行にまつわるコレクションを数多く所蔵しています。

内装はもちろん備品や家具も植民地時代のまま残されているので、古い建築やインテリアに興味がある方へもおすすめの博物館です。また、ファイリングされたセキュリティ文書やコインコレクション、現金カウンターなども鑑賞できます。

そんなバンクマンディリ博物館のコレクションには、どのような作品が含まれているのでしょうか。主要な作品をご紹介します。

《ステンドグラスの碑文》制作年不明作者不明

本作品は、NHMバタビアの第10代大統領であるカレルCJヴァンアールストからの寄贈品です。
ステンドグラスの碑文は大きく2つの部分で構成されています。碑文の上部は、オランダ人探検家のコルネリス・ド・ホウトマンをモチーフとしています。

コルネリス・ド・ホウトマンは、1565年にオランダの都市ゴーダで生まれました。30歳の誕生日である1595年4月2日に、オランダのアムステルダム港から4隻の船で出航します。当時はスパイス貿易をポルトガルが独占しており、オランダの悲願である現地との貿易ルートの確保のためでした。

航海はトラブル続きで、壊血病(ビタミンC不足が原因)に対する準備不足から多くの死者を出すことになります。マダガスカルに到着したときには、すでに70名が死亡していたとも伝えられています。また、船内では乗組員同士の諍いも勃発しました。

そして1596年6月、一行はジャワ島の港町バンテンに到着します。早速、王室との貿易交渉に入りますが、ホウトマンの態度が受け入れられず追放されてしまいます。その後、マドゥラ・バリ島を経由しながらモルッカを目指しましたが、船員の疲労が激しかったためオランダへの帰国を決定します。出航時に249人いた乗組員は、帰国時には87人まで減っていました。

ホウトマンの航海は準備不足で多くの船員が亡くなったこともあり、部分的には失敗とも考えられています。しかし、オランダから東インド諸島への新しい航路を発見したことにより、多くのオランダ船がインドネシアを訪れるきっかけをつくりました。そのため、バンテンに到着した1596年こそが、インドネシアのオランダ植民地化のスタートだと言われています。

碑文の下部は、ヨーロッパの四季とインドネシアの自然を表現しています。


《銀行家の肖像写真》

本作品は博物館の大会議室にあります。会議用の大テーブルと椅子を囲うように15名以上の肖像写真が壁面に展示されています。

ここで紹介されているのは、インドネシアの銀行業界を支えた重要人物です。マンディリ銀行の社長取締役をはじめ、各銀行の頭取・インドネシアの財務大臣・副財務大臣などの写真が飾られています。

■おわりに

バンクマンディリ博物館は、インドネシアのマンディリ銀行が運営する企業博物館です。植民地時代の銀行内部のインテリアをそのまま保存しており、ステンドグラスやコインコレクションも見どころの1つです。インドネシアを訪れた際には、一度足を伸ばしてみてはいかがでしょうか。

※本記事はコロナウイルス感染症拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

関連記事一覧