ノーベル生理学・医学賞1919ジュール・ボルデ:補体結合反応や百日咳菌を発見した偉大な研究者

ジュール・ボルデは、ベルギーの細菌学者です。1919年には、「補体結合反応の発見」や「百日咳菌の発見」によってノーベル生理学・医学賞を受賞しました。多くの細菌学分野で世界的権威として認められている彼は、免疫学の偉大な提唱者および研究者でもあります。そんなジュール・ボルデが受賞するまでの道のりについて詳しく解説していきましょう。

※エノー州・モンスの風景

◆彼の生まれた町について

ジュール・ボルデは、1870年6月13日にベルギーワロン地域のエノー州にあるソワニーという町で生まれました。

エノー州は、アトゥ、シャルルロワ、ラ・ルヴィエール、モンス、ソワニー、テュアン、トゥルネー=ムクロンの7つの行政区で構成。その一つであるソワニーは、ソワニーの町とカストー、ショセノートルダムルーヴィニー、オリュ、ヌフヴィル、ナースト、ティウージーの村で構成されています。

ソワニーは、ヨーロッパにおいて切石の中心地でした。しかし、地域経済の低下に伴い、1812年には採石場の労働者がわずか92人(総人口は約4,000人)という時期もあったようです。その後、オランダ政権下で経済は回復に向かい、1830年のベルギー革命以降にはさらに回復していきました。現在でもソワニーは、石材産業やガラス産業が活発な地域として有名です。

◆幼少期、学生時代

ボルデの父親が学校長であったことから、彼は教育に理解のある家庭で育ちました。中等学校を卒業した後は、自然科学に興味を持ち、自宅に小さな実験室を作って様々な実験を試みます。ボルデが医学を目指したのは、16歳になってからでした。ブリュッセル自由大学で医学を学び、1892年に卒業しています。

(Public Domain /‘Ilya Mechnikov’ by,UNKNOWN. Image viaWIKIMEDIA COMMONS)※イリヤ・メチニコフ

◆受賞に至るまでの逸話など

ブリュッセル自由大学を卒業後、ベルギー政府からの奨学金を受けたボルデは、1894年にパリのパスツール研究所に入りました。この研究所では、イリヤ・メチニコフ(白血球の食作用を提唱し、免疫系の先駆的な研究を行った微生物学者および動物学者)の研究室で学ぶことが出来たのです。

「血清」に関する研究を続けていた1898年、「55度に加熱した血清には抗体が残っても、細菌に対する血清の作用は失われる」ということを発見しました。ボルデの考えは、「血清中には、抗体の作用として欠かせないが、熱に弱い成分が存在する」というものです。この成分は、当初「アレキシン」と命名されましたが、現在では「エールリヒ(ドイツの細菌学者・生化学者)による補体」という名称で呼ばれています。「補体」とは、生体が病原体を排除する時に抗体および貪食細胞を補助する免疫システムを構成するタンパク質のことです。さらにボルデは、免疫を獲得した動物の血清だけでなく、まだ免疫を獲得していない動物の血清中にも補体が存在することを確認しました。

ボルデは、1901年にブリュッセル・パスツール研究所を設立し、その初代所長となります。さらに、1905年には「補体結合反応」を発見しました。抗原、抗体、補体が存在する溶液内において、抗原は抗体に対して特異的に結合。その結合した抗原抗体複合体に対して補体が非特異的に結合します。また補体は、感作赤血球と結合して溶血(赤血球が破壊される現象)を起こします。検体に一定量の抗原と補体を加え、一定時間反応させた後の感作赤血球を加えることエノーにより、検体内に抗体が存在すれば抗原抗体複合体に補体が結合し、感作赤血球に結合する補体がなくなるため、溶血を起こしません。その反対に、検体内に抗体が存在しない場合は、溶血を起こすことになります。このことから、溶血を示さない場合は陽性であり、示した場合は陰性という結果が出ました。このように、抗原抗体複合体と補体が結合する性質を利用した反応のことを「補体結合反応」と言います。

※百日咳菌のイメージ

1906年になると、ボルデはオクターブ・ジャングと共に、「百日咳の病原体」を発見しました。それ以前、彼らは百日咳の患者のみに見られる細菌を顕微鏡で観察していましたが、当時行われていた培地を使用した方法では、培養することが出来なかったのです。その後、グリセリン加馬鈴薯血液寒天培地(ボルデ・ジャング培地)と呼ばれる新しい培地を開発しました。

※百日咳ワクチンのイメージ

百日咳の患者から新種の細菌を分離培養することに成功し、これを百日咳の原因であると仮定。この細菌は後に、発見者であるボルデの名にちなんで「Bordetella pertussis(百日咳菌)」と名付けられました。ボルデは後に、百日咳ワクチンも開発しています。

ボルデは、1907年になるとブリュッセル自由大学の細菌学教授に就任し、第一次世界大戦によって破壊された大学の再建のため、アメリカに渡って基金を立ち上げました。その後の1910年には、抗体が抗原と結合する際、補体の量が減少すること(補体結合反応)を確認しています。補体の反応は非常に敏感で、顕微鏡でも見られないごく僅かな病原体に対しても、反応が起こったのです。


(Public Domain /‘August Wassermann’ by,UNKNOWN. Image viaWIKIMEDIA COMMONS)※ワッセルマン

それによりボルデは、腸チフスやブタ風邪の診断に補体を用いるようになりました。この実験結果を知ったドイツの免疫学者ワッセルマンは、梅毒の診断方法としてこれを用いた「ワッセルマン反応」を確立しています。

ボルデは、多くの細菌学分野において世界的権威として認められていただけでなく、免疫学の偉大な提唱者であり、研究者であったと考えられています。そして彼は、渡米中の1919年にノーベル生理学・医学賞を受賞しました。基金も順調に集まり、後年ではバクテリオファージ(細菌に感染するウイルスの総称)の研究を進めています。

◆おわりに

生涯を通し、生命に関わる研究に勤しんだボルデの姿勢や偉大なる功績は、美しい生き方の模範ともなり、多くの人々に影響を与えたのではないでしょうか。

出典:Wikipedia(Jules_Bordet)(5.2021)

※本記事はコロナウイルス感染症拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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