ノーベル生理学・医学賞1922オットー・マイヤーホフ:筋肉のエネルギー源に関する研究に対し、真摯に取り組んだ生化学者

オットー・マイヤーホフは、ドイツの生化学者および医師です。1922年、筋肉における乳酸生成と代謝の研究によりノーベル生理学・医学賞を受賞しました。精神科医から生化学者へ転身した彼は、筋肉のエネルギー源に関する研究で多くの発見をしています。そんなオットー・マイヤーホフが受賞するまでの道のりについて詳しく解説していきましょう。

※ハノーファーの街並み

◆彼の生まれた町について

オットー・マイヤーホフは、1884年4月12日にドイツのハノーファーで生まれました。

ハノーファーは、北ドイツの主要都市で、ニーダーザクセン州の州都です。中世に築かれたこの町は、ライネ川沿いに位置しているため、元々は漁村として栄えていました。

現在のハノーファーは商工業が盛んで、世界最大規模の国際産業技術見本市「ハノーファー・メッセ」が有名です。また、北ドイツにおいて交通の要衝でもあるハノーファーには、ヘレンハウゼン王宮庭園をはじめとした多くの観光スポットが点在しています。ハノーファーは商工業の発展だけでなく、緑豊かな美しい景観を誇る観光地としても魅力的な町です。

◆幼少期、学生時代

オットー・マイヤーホフは、裕福な商人の家庭に生まれました。1888年頃、家族でベルリンへ移ると、幼少時代のほとんどをベルリンで過ごし、医学の勉強を始めます。

ストラスブールやハイデルベルクなどで研究を続けたマイヤーホフは、1909年に「精神疾患における心理学的理論の適応」の研究を行いました。その後、「精神疾患の心理理論への貢献」という論文を発表しています。ハイデルベルクでは、後に妻となるヘドウィグ・シャレンバーグとも出会いました。

◆受賞に至るまでの逸話など

精神科医となったマイヤーホフは、友人である生化学者オットー・ワールブルクの勧めにより、生化学者へ転身。その後1912年、彼はキール大学へ行き、1918年には教授職に就きました。キール大学に勤務していた1922年までの間、彼は「筋肉」に関する研究を熱心に行っています。

身体の大部分を占める「筋肉」については、生化学において古くから主要な実験対象となってきました。多くの学者たちは、筋肉がエネルギーを発生させるまでにどのような物質が関与しているのかという研究に挑み続けてきたのです。20世紀初頭には、ケンブリッジ大学の生理学者ウォルター・フレッチャーが、当時話題になっていたことの真意を確かめようと思い立ちます。その話題とは、カエルの身体から分離された筋肉が収縮を繰り返して疲労する際、筋肉に乳酸が溜まってくるというものでした。

(Public Domain /‘Archibald Vivian Hill’ by,UNKNOWN. Image viaWIKIMEDIA COMMONS)※アーチボルド・ヒル

マイヤーホフの実験結果では、肝臓のグリコーゲンから筋収縮という仕事により筋肉中に供給された乳酸は、血流で肝臓に戻ります。そして、グリコーゲンに合成された後、ブドウ糖に分解され、血流で筋肉に戻されるというものでした。当時、ケンブリッジ大学で生化学教授を務めていたフレデリック・ホプキンズは、マイヤーホフの論文に感銘を受けます。そして、この発見を成し遂げたマイヤーホフと生理学者のアーチボルド・ヒルをノーベル生理学・医学賞選考委員会へ熱烈に推薦し、2人は翌年の1922年にノーベル生理学・医学賞を受賞しました。

その後の1929年〜1930年頃、マイヤーホフはハイデルベルグに新設されたカイザー・ヴィルヘルム生物学研究所(現在のマックス・プランク研究所)の所長となります。しかしその頃、彼らのノーベル賞受賞を揺るがす重大な出来事が起こりました。なんと、コペンハーゲンの生理学者アイナー・ルンズゴールから、彼らが発表した乳酸学説を覆すような内容の手紙が届いたのです。マイヤーホフはそれを確かめるため、ルンズゴールをハイデルベルクへ招き、目の前で実験を行わせました。そして、彼の実験結果により、乳酸学説は完全に崩壊してしまったのです。それ以降も、筋肉のエネルギー源に関して、多くの学者たちが研究を続けています。

ユダヤ人であったマイヤーホフは、ナチスドイツから迫害を受けた一人でもありました。1933年からはヒトラーが政権を独裁し、ユダヤ人への迫害が始まります。ノーベル賞受賞者たちは各大学や研究所からの退去を余儀なくされ、すぐに国外へ移住しました。しかし、当時研究の最盛期であったマイヤーホフは、逃げ遅れてしまったのです。マイヤーホフは1938年までドイツに留まり、ようやくパリへ逃れると、1940年にはアメリカ合衆国へ移住しました。アメリカ合衆国では、ペンシルベニア大学の客員教授に就任しています。

◆おわりに

ノーベル賞受賞の理由である乳酸学説が、後に覆される結果となった事実には驚かされます。しかし、マイヤーホフらの熱心な研究の積み重ねにより、生化学の世界が発展し続けてきたことに変わりはありません。ナチスからの迫害を乗り越え、67歳でこの世を去るまで、家族に支えられながらも熱心に仕事を続けた彼の人生は、多くの人に希望を与えてきたことでしょう。

※本記事はコロナウイルス感染症拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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