ノーベル生理学・医学賞1939ゲルハルト・ドーマク:ナチスにより、一度は受賞を辞退した男

ゲルハルト・ドーマクは、ドイツ出身の医師および細菌学者です。1932年、赤色プロントジルからサルファ剤を開発し、実用化させました。1939年、その功績によりノーベル生理学・医学賞を受賞します。しかし、ナチス政権の妨害によりノーベル生理学・医学賞の辞退を余儀なくされますが、1947年に改めて受賞することになりました。

※ラゴウの街並み

◆彼が生まれた町について

ゲルハルト・ドーマクは、1895年10月30日にドイツ帝国東部のラゴウ(現在のポーランド西部)で誕生しました。

ドイツとの国境に位置しているため、ドイツへ簡単に行き来することが出来ます。そのため、ドイツの文化に影響を受けやすく、自然を残しつつ、文化交流も積極的に行っている地域です。

◆幼少時代、学生時代

自然豊かな田舎町に生まれたゲルハルト・ドーマクは、伸び伸びとした少年期を過ごしました。1913年には、医師の道を志すため、ドイツのキール大学へ入学します。在学中、衛生兵として第一次世界大戦に出兵した際、感染症で多くの兵士達が亡くなって行く現実を見せ付けられました。彼自身も、負傷により大学へ復学すると、抗菌薬研究の重要性に取り付かれ、研究に励みます。

◆受賞に至る迄の逸話など

ゲルハルト・ドーマクは、大学を卒業した後も研究を続けました。その傍ら、幾つかの大学で病理学講師として働き、後進の指導にもあたっています。しかし、さらに研究を行いたいという熱意もあり、大学の仕事を兼任しつつも製薬メーカーIGファンベル社に就職し、より研究に力を入れていきました。

ゲルハルト・ドーマクは、ここで細菌感染の特効薬とも言える治療薬の開発に乗り出します。当時、ゲルハルト・ドーマクと同様にIGファンベル社も細菌感染の薬剤開発を目指していました。そのため、それらの分野を研究していた彼が適任であるとされ、責任者として迎え入れられたのです。

1932年、ゲルハルト・ドーマクは研究の結果、「赤色アゾ染料の一種である赤色プロントジルに抗菌作用が有る」という事実に辿り着きました。実際、レンサ球菌に犯されたネズミやウサギに赤色プロントジルを投与してみると、見事に回復していったのです。彼は動物の臨床実験に成功し、人体への効果も期待していましたが、この時点では未知数でした。

そんな時、ゲルハルト・ドーマクにとって一世一代の出来事が起こります。彼の愛娘ヒルデガルトが突然の事故により怪我をし、病院に運ばれました。手術によって一命を取り留めたものの、傷口の化膿が進み、レンサ球菌に感染してしまったのです。

当時の医療では進行を防ぐ事は出来ず、このまま死に行く娘の姿を見守るしかありませんでした。そこで、ゲルハルト・ドーマクは、研究途中で人間への臨床実験が確立されていないサルファ剤の投与を決断します。この時点では、まだ人間への安全性は保証されておらず、一歩間違えれば死んでしまう可能性もありました。それでも、一縷の望みをかけて愛娘に投与したのです。すると、ヒルデガルトは見る見る回復していきました。

スルファニルアミドの骨格式(サルファ剤の一つ)※イメージ

人間への投与も成功したと言って過言ではないでしょう。その後、正式に人間への臨床実験にも臨み、実用化の流れへと加速していきます。そして、ついに学会での正式発表に至り、魔法の赤い粉として「サルファ剤系合成抗菌薬」は、その名を世界に轟かせました。

その実績を買われたゲルハルト・ドーマクは、1939年にノーベル生理学・医学賞の受賞に至ります。研究者にとって最も権威の有る賞とされ、現在では自国の人が受賞すると、お祭り騒ぎになるくらいです。しかし、当時のドイツ・ナチス政権の方針により、彼は受賞を辞退させられるという屈辱を味わいました。もちろん、彼は政権に抗議しましたが、逆にこの抗議によって連行されてしまうという事態に。ナチス政権では、ドイツ人がノーベル賞を受賞する事を禁じていたのです。彼にとって、これほど屈辱的な事はありませんでした。

その後、IGファンベル社のみならず、各国で似たような効能を持つ薬品が続々と開発され、実用化されていきます。第二次世界大戦では、それらの薬剤により多くの命が救われますが、サルファ剤の栄光は長く続きません。

※ペニシリン(イメージ)

サルファ剤は、確かに画期的な薬剤ではありましたが、その構造は割と単純でした。そのため、多くの企業で生産に成功したわけですが、耐性菌が出来やすかったのです。そこで、サルファ剤に取って代わるように誕生したのが、イギリスの細菌学者アレクサンダー・フレミングのペニシリンでした。

ペニシリンの方がサルファ剤よりも優れていた事や、耐性菌が出来にくい事もあり、サルファ剤は次第に姿を消していきます。しかし、第二次世界大戦後、過去の事情から辞退を余儀なくされたゲルハルト・ドーマクは、1947年に改めてノーベル生理学・医学賞を受賞する事が出来ました。

◆終わりに

サルファ剤の台頭は、確かに短い間の事です。しかし、第二次世界大戦ではサルファ剤とペニシリンの併用によって、多くの感染症患者を救う事が出来ました。

※本記事はコロナウイルス感染症拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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