ノーベル生理学・医学賞1950年タデウシュ・ライヒスタイン:ポーランド出身者初のノーベル生理学・医学賞受賞

タデウシュ・ライヒスタインはポーランド出身の化学者です。1950年に副腎皮質ホルモンの構造と生物学的機能の研究によりエドワード・カルビン・ケンダルとフィリップ・ショウォルター・ヘンチとともにノーベル生理学・医学賞を受賞しました。そんなタデウシュ・ライヒスタインの受賞までの道のりについて詳しく解説していきます。

◆彼の生年月日と生まれた町について

タデウシュ・ライヒスタインは1897年7月20日にロシア帝国の支配下にあったポーランドのヴウォツワヴェクで生まれました。

ヴウォツワヴェクはポーランド中部にある都市で、ポーランドで最も長い川であるヴィスワ川が流れており、ポーランドの首都であるワルシャワから北西約140kmのところにあります。

この街は花柄のファイアンス焼きという陶器がとても有名で、野に咲く花をモチーフとしてひとつひとつの花を熟練した職人が手書きで描き、ふたつとして同じ花柄はないと言われています。

◆幼少期や学生時代

ライヒスタインはエンジニアであった父親のもとに生まれ、ウクライナのキエフで育ちました。その後ドイツのイェーナの寄宿学校で教育を受け、スイスのチューリッヒ工科大学に入学します。卒業後は1937年から母校の助教授を務め、1938年からはバーゼル大学の生化学研究所の教授に就任し、さらに1960年には同研究所の所長となっています。

◆受賞に至るまでの逸話など

ライヒスタインは副腎皮質ホルモンの構造と生物学的機能の研究を行う前に、ビタミンCの工業的合成の研究を行っていました。1933年にスイスのチューリッヒ工科大学で行った研究でビタミンC(アスコルビン酸)の人工的合成に成功しており、2年後に製薬会社であるエフ・ホフマン・ラ・ロシュ社によってビタミンC(アスコルビン酸)の工業的な大量生産がされることになったのです。

ライヒスタインはビタミンCの人工的合成に成功したことにより化学的分野での名声を上げ、その化学的技術は高い評価を得ていました。

ライヒスタインはビタミンCの人工的合成に成功したことにより化学的分野での名声を上げ、その化学的技術は高い評価を得ていました。

ライヒスタインはケンダルがコルチンから8種類の物質の単離に成功したのと同じころ、ケンダルよりもはるかに多い26種類の薬理効果が期待できる物質をコルチンから単離することに成功しています。また発見した26種類のうち、いくつかの物質に関してその化学構造についても解明していました。この時点で彼はケンダルよりもはるかに高い成果を上げていたといえるでしょう。

さらにビタミンCを人工的に合成することに成功していたライヒスタインは、その化学的技術を用いて薬理効果のあるコルチゾンなどの副腎皮質ホルモンの合成にもアメリカのケンダルたちよりも先に成功しています。

しかし、ライヒスタインが成功させたこの物質の生産量はとても少なく、工業的レベルとは言えないほどわずかなものでした。またこの物質の臨床試験は行われておらず、大量生産ができるまでには程遠い状態だったのです。

この工業的レベルでの大量生産と臨床試験を行ったのがアメリカのメイヨークリニックで研究をしていたケンダルとヘンチということになります。コルチンの研究のもととなったアレクシス・フランク・ハートマンの論文から始まり、ライヒスタインが単離や構造解明、合成において1歩抜きん出ていましたが、医学的な臨床検証などに関してはアメリカのメイヨークリニックが中心となって行っていました。

しかし、ライヒスタインとヨーロッパの製薬会社であるオルガノン社が副腎皮質における研究に大きく貢献をしたことに疑いはありません。これらの研究の成果が評価され、彼はケンダルとヘンチとともに1950年のノーベル生理学・医学賞を受賞しました。

◆終わりに

医学的な副腎皮質ホルモンの研究はケンダルやヘンチが在籍していたアメリカのメイヨークリニックが主に行っていますが、ライヒスタインの高度な化学的な技術によってコルチンから26種類という多くの物質を単離し、構造の解明や合成に成功したことは大きな功績といえるでしょう。また製薬会社を動かした彼の化学的な技術はとても素晴らしいものでした。

※本記事はコロナウイルス感染症拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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