ノーベル生理学・医学賞1947年バーナード・ウッセイ:炭水化物の代謝から糖尿病への対処法を発見した医学者

ーナード・ウッセイはアルゼンチン出身の生理学者です。炭水化物の代謝と糖尿病に関して研究し、『下垂体の切除が糖尿病の重症度低下に繋がる』ということを発見します。その研究が評価され、1947年にノーベル生理学・医学賞を受賞しました。

◆生年月日、生まれた街、生まれた街の概略

バーナード・ウッセイは、1887年4月10日にアルゼンチンのブエノスアイレスで生まれました。

※ブエノスアイレスの街並み

ブエノスアイレスは、アルゼンチンの首都で「南米のパリ」とも呼ばれる美しい街です。政治・経済・文化の中心として栄え、南米有数の世界都市として知られています。もともとは「偉大な田舎」と呼ばれる小さな町でしたが、次第にヨーロッパの文化を取り入れるようになり、現在では中南米で最も欧州の文化を反映した街になりました。

スペイン語の「buenos(良い)」「aires(空気、風)」に由来があり、船乗りたちにとって縁起の良い地名となりました。ラ・プラタ川に面しており、対岸はウルグアイのコロニア県です。

◆幼少期、学生時代

バーナード・ウッセイは、法廷弁護士である父アルバートと母クララの間に生まれました。

私立学校に入学したウッセイの成績は非常に優秀で、わずか14歳でブエノスアイレス大学調薬学校への入学を果たしました。17歳となった1904年には、同大学の医学部に進学しています。

学生時代から既に研究者としてのキャリアをスタートしていたウッセイは、フランスの生理学者クロード・ベルナールの研究手法に影響を受けたとのちに語っています。在学中には、インスリン(ペプチドホルモンの一種)が内分泌腺へ及ぼす影響についての研究を行っていました。

◆受賞に至るまでの逸話など

卒業後のウッセイは獣医学部の講師に就任し、同時にブエノスアイレスの市民病院で医師の補助も行っています。翌年の1911年には『下垂体の生理学的活動』に関する論文を発表しました。

1913年にはアルベアル病院の主任医師になっています。加えて、1915年からは国立公衆衛生研究所(ブエノスアイレス)の病理学部主任として活躍しました。

そして1919年、ブエノスアイレス大学医学部の生理学の教授に任命されます。在任中には生理学研究所を立ち上げ、実験生理学や医学の講座は国際的にも評判となりました。1943年まで教授職兼研究所長を務めましたが、ナチ思想に反対する自由主義のウッセイは当時の軍事独裁政権から疎まれ、職を奪われてしまいます。

その後、同じように病院や教育研究機関から追放された学者たちは、ウッセイを中心に私立研究所を設立します。この研究所には約150名のスタッフが集まり、ソーベラン財団をはじめとする多くの団体からの寄付で運営されました。政権は1946年にフアン・ドミンゴ・ペロンへ移行しますが大学へ戻ることは叶わず、1955年の軍事クーデターまでこの状態は続きます。大学追放の期間中には他国の研究機関から多くの招きがありましたが、ウッセイはアルゼンチンに留まり続けました。

1955年、ようやくブエノスアイレス大学に復職したウッセイは、晩年まで後進の育成に尽力します。また、1957年からは国家科学技術振興会の会長に就任しました。

ウッセイが行った研究は、神経系・消化器系・呼吸器系・循環器系・薬理学・生理学分野と多岐に渡ります。そして、500を超える論文を執筆し、数冊の本を出版しました。

なかでも高い評価を受けたのが、『炭水化物の代謝に関する研究』で、特に糖尿病についての研究に力を入れていました。1930年代にウッセイが行った研究により、『脳下垂体前葉部が分泌する成分には、糖尿病誘発の効果が含まれている』ことを発見します。そして、『前頭下垂体切除を行うことで、糖尿病の症状悪化を抑えられる』という対応策を発表しました。

ウッセイの研究発表『炭水化物の代謝と糖尿病に関する研究』は世界的に大きな評価を受け、1947年度のノーベル生理学・医学賞を受賞しました。この研究は現代における内分泌学の基礎的な理論となり、ホルモンが自動的に制御を行うメカニズムの解明の大きな一歩となっています。

また、ウッセイは長年の研究生活の中で多くの弟子を育てました。主な弟子には、血管収縮と血圧上昇を引き起こすアンジオテンシンを解明したエドゥアルド・ブラウン・メネンデスや、ブラジル生理学会創設者の一人となったミゲル・ローランドー・コビアンらがいます。弟子たちと共に執筆した人間生理学の教科書は、スペイン語とポルトガル語で発行され、ラテンアメリカ諸国に大きな影響を与えました。また、この教科書は1950年の初版から幾度も改訂され、現在も世界中で使われ続けています。

私生活では、科学者であったマリア・アンジェリカ・カタンと結婚し、3人の息子に恵まれています。妻マリアは1962年に亡くなり、ウッセイは9年後の1971年にその生涯を閉じました。

◆終わりに

バーナード・ウッセイは、炭水化物の代謝と糖尿病に関して研究し、『下垂体の切除が糖尿病の重症度を低下させる』という仕組みを発見した生理学者です。この発見によって医学は大きく進歩し、その理論は現代における内分泌学の礎となっています。

参考:https://ja.wikipedia.org/wiki/バーナード・ウッセイ

※本記事はコロナウイルス感染症拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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