ノーベル生理学・医学賞1949年アントニオ・エガス・モニス:精神疾患の治療法として前頭葉切断手術を考案した医学者

アントニオ・エガス・モニスは、ポルトガル出身の医者・政治家です。1949年に『精神疾患の根本的治療として前頭葉切断(ロボトミー手術)を考案したこと』でノーベル生理学・医学賞を受賞しました。そんなアントニオ・エガス・モニスの受賞までの道のりについて詳しく解説していきます。

◆生年月日、生まれた町、生まれた町の概略

アントニオ・エガス・モニスは、1874年11月29日にポルトガルのアヴェイロ県エスタレージャ市で生まれました。

エスタレージャ市は、リア・デ・アヴェイロ近くに位置する都市です。主な文化遺産として「シネ劇場」「エガス・モニスハウスミュージアム」などがあります。

「エガス・モニスハウスミュージアム」は、その名の通りアントニオ・エガス・モニスの生涯を伝える博物館です。18世紀に建てられたモニスの生家であり、スイス出身の建築家エルネスト・コローディが設計を手がけています。モニスには子どもがいなかったため、自身で生家を地域博物館に作り変えました。1997年からはエスタレージャ市が管理を行っています。

◆幼少期、学生時代

アントニオ・エガス・モニスは、農場の一家に生まれました。

※コインブラ大学

モニスは1894年にコインブラ大学の医学部に入学し、1899年に卒業しました。その後は神経学を学ぶためにフランスのボルドーとパリに渡り、研究に励みました。

◆受賞に至るまでの逸話など

1902年、モニスはコインブラ大学に戻り、神経学科の主任を担当します。また、同時期に妻エルビラ・デ・マセド・ディアスと結婚しました。

さらに、1911年からはリスボン大学の神経学教授に任命され、その後20年以上にわたって勤務しています。

また、モニスは学生活動家として知られており、大学在学中にはデモ参加によって2回投獄されています。さらに、リスボン大学勤務中にも学生デモを制圧する警察の邪魔をしたとして逮捕されています。

政治家としての活動は1903年にスタートしました。ポルトガルの国会議員を1917年まで務め、1917年からは外務大臣に就任します。第一次世界大戦終了後の1918年には、ポルトガル代表団を率いてパリ講和会議に参加しました。また、1917年から2年間に渡りスペイン大使も務めています。

その後、政界から引退を決めたモニスは、本格的な研究生活に入ります。モニスが行ったのは、X線を用いた脳診断方法の模索でした。まず、『X線で脳内の血管を視覚化することで、脳の異常部位をより正確に判定できる』と仮説をたてます。最初の実験では、ストロンチウムと臭化リチウムと脳動脈に注入しX線撮影を行いました。しかし、この実験は失敗し1人の患者が死亡してしまいます。

次の実験では、脳動脈に注入する溶液を25%のヨウ化ナトリウムに変更しました。その結果、脳血管造影図の撮影に世界で初めて成功します。モニスは1927年のパリ神経学会とフランス医学アカデミーでこの成果を発表しました。この『X線を利用した脳血管造影法』の開発は、脳腫瘍・動静脈奇形などの病気の診断の精度を上げることに繋がりました。

脳の病気に強い関心をもっていたモニスは、次に精神疾患の研究に取り掛かります。当時、生理学者のジョン・フルトンやCFヤコブセンは、『チンパンジーの前頭葉を取り除くと、穏やかで協力的な性格に変化する』という実験結果を発表していました。モニスはこの論文を熱心に読み込み、自身も前頭葉を負傷した兵士の『従来の性格からの変化』を観察し続けました。

そして、『前頭葉から白質繊維(知性と感情をつかさどる部分に繋がる神経繊維)を切断すること』が、患者の精神疾患の改善に繋がると仮説を立てます。モニスは脳神経外科手術の経験が少なく、当時痛風を患っていた彼は手を自由に動かすことがままならなかったため、同僚のアルメイダ・リマがこの仮説にのっとり統合失調症やうつ病を患っている患者20名に対して外科手術を行いました。

初めてこの手術を受けたのはうつ病・妄想・幻覚・不眠症・不安に苦しむ63歳の女性で、術後の回復は早く、2ヶ月後には精神状態が安定します。なかには改善のみられない患者もいましたが、モリスとリマは20名全員の症例を報告しました。

※『ロイコトーム』をより効果的に改良した器具『オービトクラスト』

モリスとリマは手術方法の改善を模索し、『ロイコトーム』という針のような器具で白質繊維を分離する手法を開発します。モリスはこの手術を行うことにより『精神疾患のある患者の性格が穏やかになり問題行動が減る』と主張しました。その結果、1949年のノーベル生理学・医学賞を受賞します。この手術法はのちにアメリカで修正され、『ロボトミー手術』と呼ばれるようになりました。

ノーベル賞を受賞した研究でしたが、のちに患者から人間性を奪う深刻な副作用が問題視されます。『人格を破壊する非人道的な手術』だと反対運動がおこり、1970年代にはロボトミー手術は行われなくなりました。その後、彼は自身が担当した患者に銃撃され下半身付随となってしまいます。そして、1955年にリスボンでその生涯を閉じました。

◆終わりに

アントニオ・エガス・モニスは精神疾患に対する効果的な治療法を考案しました。しかし、治療による深刻な副作用のため、多くの非難を巻き起こすことになります。手術を受けた患者の家族のなかには、モニスのノーベル生理学・医学賞受賞を取り消す運動を行う人もいるほどでした。ノーベル賞を受賞した彼の研究は、今なお恐ろしい研究として語り継がれています。

参考:https://ja.wikipedia.org/wiki/エガス・モニス
https://en.wikipedia.org/wiki/António_Egas_Moniz

※本記事はコロナウイルス感染症拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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