ノーベル医学・生理学賞1973年カール・フォン・フリッシュ:ミツバチの8の字の発見で有名なオーストリアの動物行動学者

カール・フォン・フリッシュはオーストリアの動物行動学者です。オランダの動物行動学者・鳥類学者であるニコ・ティンバーゲンと、オーストリアの動物行動学者であるコンラート・ローレンツと共に「個体および社会行動様式の組織化とその誘発に関する発見」で1973年度のノーベル医学・生理学賞を受賞しました。ミツバチの仲間とのコミュニケーションの方法や魚類の感覚器官の研究を行いましたが、よく知られているのはミツバチの「8の字ダンス」を発見したことでしょう。

ここではカール・フォン・フリッシュの受賞までの道のりなどを詳しくご紹介します。

◆生年月日、生まれた町の概略

カール・フォン・フリッシュは1886年11月20日にオーストリア(ハンガリー帝国)のウィーンで生まれました。ハンガリー帝国はハプスブルグ家の君主が統治した中東欧の連邦国家で、ウィーンは第一次世界大戦まではその首都としてドイツ帝国を除く大部分に君臨していました。

ウィーンは、ドナウ川に沿ってヨーロッパを東西に横切る道と、バルト海とイタリアを結ぶ南北の道(琥珀街道)が交差するところにあり、ゲルマン系、スラヴ系、マジャール系、ラテン系の各居住域の接点にあたるため多彩な民族性を集約した都市として、また交通の要衝として栄えました。

1529年と1683年にはオスマン帝国による包囲を受けますがこれを撃退し、ハプスブルグ家支配下の帝都ウィーンでは華やかな貴族文化が栄えていました。19世紀半ばに、産業革命を迎え急激に人口が増加、1910年頃はロンドンやパリに匹敵する都市でした。

多民族国家であるオーストリア(ハンガリー帝国)の帝都ウィーンには帝国各地からあらゆる民族出身の才能ある人々が集まりウィーン文化は絶頂期を迎えていましたが1914年に第一次世界大戦が始まりハプスブルグ家の帝国は解体します。

ドイツで独裁者となったアドルフ・ヒトラーにより、1938年にオーストリアはドイツに併合されますが、第二次世界大戦でナチスは崩壊、1955年にオーストリアは主権国家として独立を果たし永世中立国としての道を歩むことになります。

現在ではニューヨーク、ジュネーブに続く第三の国連都市であるウィーンには、国際連合ウィーン事務局として数々の国際機関があります。

◆幼少期、学生時代

カール・フォン・フリッシュは外科医で泌尿器科医、大学教授である父親アントン・リッター・フォン・フリッシュと作家であるその妻、マリー・ネ・エクスナーの息子で、4人兄弟の末っ子です。幼いころから動物を集めるだけでなく、観察にも熱心でした。

カールはウィーン大学医学部に進みますが途中で退学。ミュンヘン大学で動物学を学び、魚類の感覚と体色の研究をすることで1910年にウィーン大学で博士号を取得します。

同じ年にミュンヘン大学の動物研究所でリチャード・ハートヴィッヒの助手になり、動物学と比較解剖学の大学教育証明書を取得します。

◆受賞に至るまでの逸話など

ミュンヘン大学で魚類の研究を行った後はミツバチの研究にも取り組み、ミツバチの色覚と花びらの色の共進化をあきらかにしました。1914年に第一次世界大戦が始まると兵役は免れ病院で働きますが、この病院で看護婦をしていたマルガレーテ・モーアと1917年に結婚します。

1919年からは教授としての活動の幅を広げていきます。彼は生徒と共にミツバチが仲間たちに情報を伝える方法についてさまざまな実験を行い、ミツバチがダンスによって情報伝達していることをつきとめます。

実験でカールは濃い砂糖水を使って1匹のミツバチを誘い、そのミツバチが巣に戻ってから特殊な行動をすることを発見します。特殊な行動とはカールが「ダンス」と呼んだ行動のことで、歩行軌跡が円をえがく「円ダンス」と腹部を速く横に振る「尻振りダンス」の2種類です。

カールは、ダンスのタイプは巣から砂糖水までの距離に関係があると考え、同じ巣のミツバチを2つのグループに分け、さらに見分けやすく赤と青に染色しました。それぞれのグループに、近い距離にある砂糖水と遠い距離にある砂糖水の場所を教えたのです。すると、砂糖水までの距離が近いグループは「円ダンス」を、砂糖水まで遠いグループは「尻振りダンス」をすることがわかりました。

このような実験を続けるうちにミツバチの嗅覚、視覚、味覚、位置の把握方法などがわかり、ミツバチが仲間に砂糖水(エサ場)の位置を教える場合、太陽に対する角度がエサ場の方向、お尻を振る時間がエサ場までの距離をあらわしていることなどがはっきりしたのです。

カールは1921年にミュンヘン大学動物学部で教授となります。1923年にはブロツワフ大学教授を経て、1925年からミュンヘン大学の元教師リチャード・ハートヴィッヒの跡を継ぎ、動物学研究所で働きます。しかし1933年ナチスによって、大学を去ることを余儀なくされてしまいます。

ミュンヘン大学は第二次世界大戦で被害にあい、1946年にグラーツ大学へ移りますが、研究所が再開されるとミュンヘン大学に復帰。1958年には大学を退職し名誉教授となりますが、研究はさらに続けられました。

その後も一般向けの動物行動学、特にミツバチの生態に関して多くの本を書き、1973年にティンバーゲンやローレンツと共にノーベル医学・生理学賞を受賞しました。

このカールによるミ「ツバチがダンスによって情報伝達している」という説は、直接実験で証明されたことはありませんでした。しかし2005年にイギリスの研究者チームによる実験でミツバチが確かにダンスを解読し、示された方向へすぐに飛んでいくことがわかったのです。

2年もかけてミツバチにも運べる小型軽量トランスポーターシステムを作り上げて行われたこの実験結果は「ネイチャー」にも掲載されました。

◆おわりに

とても馴染みのある身近な昆虫であるミツバチのダンスには、大事な意味があるということをカールは教えてくれたのです。ただ、真っ暗な巣の中でのダンスからどのようにして情報を得るのか、ダンスはどのように進化したのかなどはいまだ謎のままです。いつの日か、カールのように生物相手の研究をしている誰かによって解明されるのではないでしょうか。

※本記事はコロナウイルス感染症拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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